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昭和62(1987)年1月17日 −甲山−
阪急甲陽園駅→十二番坂→神呪寺→309.2m山頂【往復】
【一言】 夙川在の義兄を見舞いがてらはじめての甲山体験。六甲山系の東の一尾根のコブに過ぎないのだがなかなか登るチャンスがなかった。雨の後で頂上はぬかるんでいた。下山路を赤ペンキ→印にしたがって失敗、ヤブ漕ぎになってしまった。 【→日記】 |
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昭和62(1987)年2月7日 −高見山−
近鉄榛原駅=杉谷(高見山登山口)→小峠→高見山頂上(1,248m)→大峠→小峠→杉谷=近鉄榛原駅
【一言】 59年、61年と登ってこの年が一番雪が少なく、樹氷ももう一つであった。写真は頂上にて。このあと大峠へ下り、小峠経由登山口へ戻った。大峠には相撲の高見山関が寄進した鳥居があった。写真は「高見峠→」とある大峠への下り直前。背後は東方・三峰山へと続く台高山脈の山々。 【→日記】 |
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昭和62(1987)年2月21日 −ダイトレ縦走−
近鉄富田林駅=金剛登山口→金剛山頂上(1,125m)→久留野峠→中葛城山(792m)→行者杉峠→西の行者→紀見峠→南海紀見峠駅
【一言】 ダイヤモンドトレイルの紀見峠から金剛山という逆コースは上り基調のため避けた記憶がある。写真は頂上葛木神社前にて。金剛山の実際のピークはこのお社の裏の茂みの中にある。 【→日記】 |
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昭和62(1987)年3月21日 −天ヶ岳−
京阪三条駅=小出石→前ヶ畑峠→百井→天ヶ岳(788m)→百井峠→百井谷→京福鞍馬駅
【一言】 京都北山歩きは少ないバス便との勝負だ。ひっそりとした百井の集落や百井谷の沢下りが印象的。写真は天ヶ岳ピーク。 【→日記】 |
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昭和62(1987)年4月29日 −東六甲縦走−
阪急芦屋川駅→ロックガーデン→風吹岩→雨が峠→東お多福山(697m)→土樋割峠→蛇谷北山(890m)→石宝殿→鳥居茶屋→(東六甲縦走路)船坂峠→大谷乗越→砂山権現→塩尾寺→阪急宝塚駅
【一言】 六甲全山縦走は56kmあるという。芦屋川からの取っ付きを含めてやはり30km弱?ハーフでも歩き甲斐はある。 長丁場に備え水分摂取を控えたため脱水状態になって石宝殿でダウン。ここで意を決して水筒を飲み干し、何とか元気を取り戻し宝塚まで頑張ったが、水明館そばで自分へのご褒美に缶ビール一缶呷ったらてきめん、乗換の豊中駅ホームで(起立性)貧血になるというお粗末。 写真上は東お多福山頂上。下は蛇谷北山のピーク。 【→日記】 |
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昭和62(1987)年5月10日 −風吹岩−
阪急芦屋川駅→高座滝→ロックガーデン→風吹岩(447m)→金鳥山→保久良神社→阪急岡本駅
【一言】 SB合唱団の同好の士と相語らって総勢7名で繰り出した。金鳥山途中で大きなイノシシが20m前に出てきて進退窮まるという一幕もあった。幸い山に戻ってくれたので事なきを得たが一時はどうなることかと思った。 写真上は魚屋道の途中。下は保久良神社
【→写真集】 |
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昭和62(1987)年8月12日〜13日 −大峰の山々−
(12日)近鉄下市口駅=洞川→法力峠→山上辻→大日のキレット→稲村ヶ岳(1,726m)→稲村小屋(泊) (13日)稲村小屋→レンゲ辻→小稲村→山上ヶ岳(1,719m)→洞辻茶屋→大峰大橋→洞川=近鉄下市口駅
【一言】 生涯ただ一度の“独行・山小屋泊”の山行きだった(もう経験することはないだろう)。女人禁制を守ってレンゲ辻で谷を下りていったご夫婦連れ。行き交う人々が「ようお詣り」と交わした挨拶、いずれも深い印象。 写真上は稲村ヶ岳頂上展望台からガスってしまった山上ヶ岳方面を望見、下は翌朝山上ヶ岳のお花畑でバックは稲村・大日が岳方面。
【→山行き日記はこちら】 |
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昭和62(1987)年10月2日 −阿蘇・中岳−
草千里(阿蘇山西バス停?)→中岳第一火口(1,506m)【往復】
【一言】 部の1夜行(船)1泊の慰安旅行で訪れた。おきまりのバスツアーであったが快晴なのが何よりであった。 【→写真集】 |
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昭和62(1987)年11月22日 −天王山−
阪急大山崎駅→天王山(270m)→柳谷観音→阪急長岡天神駅
【一言】 SB合唱団ハイク。このピークは尾根の先端近くの最高所というだけで、視界ゼロ。 【→写真集】 |
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昭和62(1987)年12月13日 −大文字山−
阪急河原町駅=銀閣寺道→大文字火床(271m)→大文字山(466m)→後山階陵→日向大神宮→京阪蹴上駅
【一言】 このピーク(写真下)も大文字火床(写真上)より約200mほど高いにかかわらず展望の乏しいところ。わずかに南西方・花山天文台あたりが見えるのみ。ただこの日の収穫は、日向大神宮というマイナーなスポットを見つけたことと、火床からの眺望がよかったこと。 【→日記】 |