ㅤ低山跋渉私史 その1  1951年〜1976年ㅤ

その1
1951-76
その2
1977-82
その3
1982-84
その4
1985
その5
1986
その6
1987
その7
1988-89
その8
1989-90
その9
1991-95
その10
1996以降

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昭和26(1951)年春 −妙法山−中学校遠足

浦神→(庄トンネル経由)庄(本隊合流)→井鹿→夫婦松峠→南平野→妙法山阿弥陀寺(標高約600m)→那智大社・青岸渡寺→那智駅

【一言】この妙法遠足を企画した恩師としきさんの回顧 “春の遠足は鍛錬。校長に企画を任され、日曜日に下見に行った” と。このコースは相当の距離があり、おまけにここ妙法から那智大社にまわり、旧道の石段をヒザをがくがくいわせながら降りて那智駅まで歩いた記憶。いったい何キロあったんだろう? 写真は後年妙法に登り那智湾、勝浦港を遠望したときのもの。

ルートマップはこちら --このマップでは約30km、高低差約600m--

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昭和31(1956)年6月3日 −若草山−

奈良駅→鶯滝→若草山(標高342m)→荒池(ボート)→ささやきの小道→猿沢池→奈良駅

【一言】乃公CCDではじめてのハイキング。男性は詰襟もしくはネクタイに革靴で誰も不思議に思わなかった時代。この2日前に練習したジェッセ・ジェームスばかり歌って歩いた記憶がある。当時近鉄合併前の奈良電で往復。奈良駅は地上だった。
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昭和36(1961)年10月某日 −勝尾寺尾根−

阪急箕面駅→箕面滝→政の茶屋→勝尾寺→開成皇子墓(530m)→裏の谷→政の茶屋(尾根道)→滝安寺→阪急箕面駅

【一言】箕面大滝の上流はまだ手付かずで勝尾寺まではずっと地道だった。尾根に出て開成皇子墓に詣で、裏の谷に下りる。まだ箕面川ダムはなく、谷沿いに政の茶屋へ出、尾根に上がって滝安寺へ降りる。写真はまだ東海自然歩道ができてない、開成皇子墓のあたり。
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昭和37(1962)年4月29日 −ゴロゴロ岳−

阪急苦楽園口駅→(苦楽園尾根経由)ゴロゴロ岳(565.6m)→芦屋奥池→阪急芦屋川駅

【一言】会社勤め4年目の春。新入社員を誘って名前が面白いからとここゴロゴロ岳に繰り出した。詰襟学生服姿、白カッターシャツにネクタイ、黒革靴などおよそ場違いないでたちでも苦にならず、また人目を引かなかった時代ではあった。写真は苦楽園尾根登攀途中。
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昭和39(1964)年10月4日 −金剛山−

南海河内長野駅=小深→千早口→金剛山→御所寺田橋=近鉄御所駅

【一言】下宿の法ちゃんや友人の悦ちゃんを引き連れて金剛山初挑戦。御所方面へ下ったのはこの時限り。ススキの原に山の秋を楽しんだ下山道だった。
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昭和39(1964)年10月10日 −高塚山−

京阪六地蔵駅=醍醐寺→上醍醐寺→高塚山(485m)→牛尾観音→京阪四宮駅

【一言】なんとこの日は東京オリンピック開会式。珍しくわが社は臨時休業となり、経理課有志相語らって醍醐縦走を試みた。牛尾別れ付近で開会式中継が聞こえてきたのを思い出す。写真は高塚山から山科方面。前年7月開通した名神高速道路が白く見える。
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昭和40(1965)年6月9日 −吾妻小富士−

浄土平駐車場→吾妻小富士(1,707m)【往復】

【一言】新婚旅行の途中、磐梯吾妻スカイラインを福島へ抜ける途中、一切経山と吾妻小富士の山峡の浄土平駐車場(約1,570m)で小休止したとき駆け上がった。

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昭和40(1965)年夏春 −妙法山−

那智大社・青岸渡寺=妙法山阿弥陀寺(標高約600m)=那智大社・青岸渡寺

【一言】写真は上記旅行帰阪後訪れたときのもの。最上段に記す「後年妙法に登り」とはこのときのこと。

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昭和41(1966)年10月20日〜22日 −小室山−

蓮台寺温泉=石廊崎=下田寝姿山=天城高原=小室山(標高321m)=サボテン公園

【一言】乃公としては初めての伊豆半島。張り切って伊豆の踊子再現とばかり沼津からバスの旅を組み入れたものの、蓮台寺の宿ではクタクタだった記憶。気を取り直してあと2日、幸い天候に恵まれて快適な旅であった。同じ「休火山の山頂」でも吾妻小富士と違いリフトで登って下った。
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(この写真は当時のものではない)

昭和45(1970)年10月10日 −三原山−

元町港=御神火茶屋→三原山(764m)火口(往復)

【一言】営業管理の慰安旅行で幹事をつとめたとき企画した離れ島行き旅行。前夜の夜行で朝熱海着。昼前伊豆大島元町港に到着しバスで登山。御神火茶屋から火口までの往復を歩いた。火口ではガスがかかって何も見えなかった。翌日波浮港を訪れたあと風雨の中を船→新幹線で帰阪した。

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昭和46(1971)年3月7日 −高塚山−

京阪六地蔵駅=醍醐寺→上醍醐寺→高塚山→牛尾観音→京阪四宮駅

【一言】営業管理のハイク。S課長が上醍醐への途中「しんどい。君ら行ってきて。僕ここで待ってるから」。幹事が慌てて縦走予定であることを説明して上醍醐寺まで引っ張り揚げ、ようようハイキングが完成した。
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昭和46(1971)年5月23日 −天王山−

阪急大山崎駅→天王山→柳谷観音→阪急長岡天神駅

【一言】これもはじめての天王山と柳谷観音。営業管理の有志で眺望の利かない尾根道を柳谷まで歩き、観音さん参詣後長岡天神まで頑張った。写真は天王山のオデコにあたる三川合流点眺望スポットにて。
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昭和48(1973)年8月19日 −笹ヶ峰高原−

これは車。黒姫山の北というよりも妙高山の南麓の尾根に笹ヶ峰があるが、その麓(今のロッジ付近で約1,300m)散策

【一言】夏場CCDOB有志で野尻湖ハウスへ繰り出すのがこのころ定番化していた。THさん、AKさんたちの車で名神、木曽路を夜っぴて走り、朝方野尻湖へ着く。ボート、白樺林の中の喫茶店で珈琲。そして笹ヶ峰高原での日光浴?を楽しんだ。写真は笹ヶ峰高原で。
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"昭和49(1974)年6月2日 −二上山−

近鉄二上神社口駅→二上山(雄岳:517m、雌岳:474m)→叡福寺=近鉄喜志駅

【一言】会社同僚とのハイキングに幼稚園児の長男を連れて行った。上りは元気だったのだが下りでぐずられ、岩屋峠から叡福寺までずっと背負って下山した。写真は雌岳頂上。
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昭和51(1976)年8月8日 −黒姫山−

黒姫牧場→ゲレンデ→黒姫山肩(姫見台:1,531m)→黒姫牧場

【一言】(乃公とすれば)3年前はじめて野尻湖ハウスへ連れて行ってもらった。又もやAKさんやTHさんの車のお世話になり、中央高速から松本平に入って朝方野尻湖へ着く。湖一周サイクリングやボート、水泳、白樺林の中の喫茶店で珈琲。そして黒姫登山を楽しんだものだ。写真は黒姫山肩姫見台で。
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