*******名前の変遷******* |
10月5日 雨の中ホテルを出発したわれわれの目に飛び込んできたのがこれ、水道橋遺跡。常識どおりローマ帝国時代に遡るものという。後述の地下宮殿こと貯水施設へ水を送るものだったそうな |
ボスポラス海峡クルーズわれらが御召船。朝からの雨で条件最悪。“この雨は続かない”という予報を信じよう。(まだこのとき雨が降り続いていた) |
ルメリ・ヒサール(ヒサールは要塞:ヨーロッパサイド) |
第二ボスポラス橋(=通称。正式にはファーティフ・スルタン・メフメト橋という)。こちらは日本企業が作ったものというガイドの説明があった |
ベイレルベイ宮殿(アジアサイド) |
乙女の塔(クズ塔:アジアサイド)。この塔にはいろんな伝説があるらしいがそれはともかく、周辺に立ち並ぶのは日本企業が請け負っている海底トンネル工事用の施設。アジア側とヨーロッパ側をつなぐ画期的なもの |
ドルマバフチェ宮殿(ヨーロッパサイド) |
下船して有名なグランド・バザール見物。ここは入口。四千軒もの店舗がひしめきあう歴史ある商店街。宝石、貴金属、トルコ絨毯エトセトラ・・・歩き回って足に疲れが出ました・・・手は(手が?)出ません |
昼食に出たドルマ(エティリ・ビベルドルマス )。辛味の効いた米、タマネギ、挽肉、香味野菜などをピーマンに詰めたもの。これはまずまずだったのにつけあわせが見るからに単純で大半残した |
ブルー・モスク(=通称。正しくはスルタン・アフメット・ジャミィ) |
ブルー・モスクのステンドグラス。大勢の信者が観光客なきがごとく真摯なお祈りの最中であった。ウィーンのシュテファン寺院でも感じた印象的風景。“われわれは異教徒なんだな”って |
同じく天井。イスラムの花柄や幾何学的模様を目の当たりにしたのは初めて。規模も含めてそれは凄いものだ |
アヤ・ソフィア。ローマ帝国時代にキリスト教の聖堂としてつくられ、のちイスラム教のモスクになった。塗りつぶされた画の数々は共和国になってから復元され、いまここは博物館になっているという。生憎月曜日休館!! 観たかった |
地下宮殿。実は大規模地下貯水池。柱の一つ一つにこういう装飾が施され、地下であることを忘れてしまいそう |
観光施設化していることもあって、水にはコイが放たれ、照明が幻想的雰囲気を醸し出す もっともコイは飲用水に毒が投入されていないかチェックするためのものだったというが・・・ |
ここの名物、奥まったところにあるメドゥーサの首。建設途中で柱が足らなくなり、長さをこういう他のものを継ぎ足すことで補ったのだろうという。首は二つあり、それぞれ並んだ二つの柱の基部となっている(左=逆さ向き、右=横向き)。この顔を見た人は恐ろしさのあまり石になってしまったというギリシャ神話を思い出した |
さあトプカプ宮殿だ。ここは外廷の正門・挨拶の門 |
かの“ハーレム”。別料金のため内部を想像するにとどめる(ちなみに入場料は15トルコリラ=約1,000円) |
トプカプ宮殿から望むボスポラス海峡パノラマ。右はマルマラ海方面。向うはイスタンブールのアジアサイド。漸く晴れ間が見えてきた |
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宮殿の正門・帝王の門 |
折しもここイスタンブルではIMF世界通貨基金の2009年度総会が開催されていた。ホテルに入るとき探知機検査を受けたなど生まれて初めて。帰国後ネットで見て驚いたことに、この翌日訪れたタクシム広場でIMF開催反対のデモがあって50人が拘束されたという。大騒ぎだったのだ |
10月6日 目から鱗の落ちっ放しだったトルコもとうとう最終日。今日は午前中イスタンブル新市街に出向き、イスティクラル通り散策。この通りはタクシム広場から海岸まで続く坂道で一昔前の西欧・特にイギリス風の建物が軒を連ねている |
おもちゃのようなこの市街電車は海岸からタクシム広場へ向かい、広場を一周することで方向転換している。今日は後述の式典のため手前のここで折り返しとなっていた |
広場から見かけた、イスラムの国では珍しい光景。向うの建物の赤屋根には十字架、手前のミナレットにはさんざあちこちで見かけた三日月=イスラムの象徴=が並んで上がっていた。故知らずホッとしたことを告白する |
近くの路地に迷い込んだら、そこにはギリシャ正教の聖堂があった(なぜギリシャ正教とわかったか??門柱にORTODOKSというラテン文字とその上にギリシャ文字が書かれてあったから) |
折しもタクシム広場では多分、国家的行事だったのだろう、儀仗兵が捧げ筒をし、軍楽隊が国歌=多分=を演奏していた。また大勢盛装した人が集まり中央の碑に献花していた。警察に加えて兵隊さんも警備にあたり、相当のピリピリが感じられた。それを道端の店でコーヒーを飲みながら見物していたのであった |
一連の式典の最後に民族衣装を着たグループが民族舞踊を披露。ハーメルンから来たようなオジサンがチャルメラみたいな笛を吹いていた。あのベリーダンスと同時に観た民族舞踊と同じようなものでトルコではポピュラーなものと納得 |
いよいよイスタンブルともお別れ。空港へ向かう途中、旧市街の海峡沿いに何度も見かけた城壁跡。トルコ国旗がはためいて、心なしかサヨナラを告げてくれるかのようであった |