電動アシスト自転車初体験  2017年11月9日

♣ G34会旅行 “国宝と世界遺産を巡る旅”-2- ♣

     

昨夜はカラオケもせず、里の秋など数曲歌って宴を閉じたあたり齢は争えない(誰も言わなかったが)。玉造のお湯だけは十二分に堪能して二日目を迎えた。今日は長丁場。貸切バスで260km余のドライブ。このバス、10人なのでマイクロと思いきや 何故か中型バスが配車されてきた。移動中は快適だったのだが、これが吃驚するようなエンディングに繋がることになる。では、出発(デッパツ)。

宿舎(中型バス)→石見銀山<龍源寺間歩-羅漢寺-石見銀山資料館-(午餐)>→津和野<家老多胡家表門跡-津和野カトリック教会-殿町通-森鴎外旧宅・記念館>→萩→北門屋敷(泊)

客室から温泉棟と庭園を俯瞰。

我らがお召車と運転手さん。

おとぎの国のような道の駅(キララ多岐)。日本海に面したこの辺はイチジクの名産地と聞く。

82kmを走破し、山奥に開けた鉱山町・石見銀山へと入ってゆく。それまでの山深さと打って変わった風景に半ば言葉を失う。いまは世界遺産に指定され、街並みは必然的に観光地化されているが、大小600になんなんとする間歩(まぶ:採掘のための坑道)とそこで働く人々、それを管理する人々。その最盛期にはどれほどの人の動きがあったのか、想像するだに凄いものとしか言いようがない。

車止め地点でレンタサイクルを借りて一路龍源寺間歩を目指す。2.3kmと聞いた川沿いの道は緩いものの登り一方。実はレンタサイクルは電動アシスト自転車で、乃公は初体験。踏まないと止まるし、踏み込むとグンと進むのでその調節が難しい。対向車(自動車)もいれば途中片側が小川という状態。ペダルの踏み加減に比べてハンドルが軽く、最後まで気を抜けない、正直怖〜い初体験だった。

Sample

自転車置き場に着いたがOTくんが見えない。

約5分遅れでOTくん安着。皆ホッ。onmouse-up

龍源寺間歩入場券。石見銀山が世界遺産に登録されたのが2007年=ちょうど10年前。最盛期を迎えたのが戦国時代後期から江戸時代前期にかけてといわれる。世界の銀の3分の1を産出していた日本における最大の銀山であったが、現在は閉山。蛇足ながら 龍源寺という寺は無い。

龍源寺間歩入口。

ぞろぞろと入ってゆく。坑道は高さが微妙で(180cm未満)下手すると頭をモロにぶつけるので終始中腰状態。

坑道から鉱脈に沿って掘り進められた支坑の一つ。それにしても下手糞な写真であることよ。補助光を焚かなければよかった。後の祭り。後悔先に立たず

龍源寺間歩出口付近。

佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)。伝15世紀創建。因みに 佐毘売山は三瓶山の古名。

(二人っきりで)さあ帰ろう。菅原都々子じゃないんだけど

下ってきてどこかで必ず橋を渡ること、でないと代官所跡まで下ってしまう と貸自転車屋さんに念を押されたのだが、又してもOTくんが戻らない。ひょっとして、と街道筋探索。幸い途中で気付いて戻ってくれたのでまずは重畳々々。

石室山羅漢寺本堂。実は当寺の実体はこれじゃないのでは?

実は対面の岸壁を彫り込んで作られた洞窟とそこに祀られた五百羅漢像が当寺のメインじゃないか。これは乃公の独断だが当らずとも遠からず?

外に安置された1体。

洞窟の最左端に大きな宝篋印塔。石橋も見事なもの。

栄泉寺(曹洞宗)

西性寺(浄土真宗本願寺派)

羅漢寺門前の大イチョウは黄葉真っ盛り。

勝源寺(浄土宗)。この大森地区内に全部で8寺、神社は4社現存を確認した。いずれも30歳生きたら長寿祝をしたという短命の坑夫の存在なしには考えられない。

石見銀山資料館(代官所跡)。午餐場所が満員で時間待ちのあいだ見学。

お食事処おおもりで午餐。

さ、ここから走ったゝゝ128km。もうちょっと行ったら山口県という島根県どん詰まりの?町・津和野。乃公は一度だけ来たことがある(→♪)。配流キリシタン殉教の町、森鴎外出生の町、鷺舞の町、別名山陰の小京都。

津和野藩家老多胡家表門跡。

殿町通を歩く。右手藩校養老館跡は改修工事中。

弥栄神社に奉納されるる「鷺舞」の像。撮り方が下手くそだから銅像が紅葉に飲み込まれてしまった。反省。

南西方向山頂に津和野城址を望む。

なまこ壁前の水路には大きな錦鯉が悠然と。

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紅黄葉に彩られた津和野カトリック教会。onmouse-聖堂up

古い商家が今も@

A

太鼓山稲神社遠望。

津和野城址公園遠望。

Sample

森鴎外旧居と記念館を訪う。onmouseすると遠くの鳥居が確認できる。

森鴎外の「扣鈕(ぼたん)」の詩碑。

どうでもいいことだが、鴎外の胸像の横に見えた山中の大鳥居は何と対面の山に坐す太鼓谷稲成の鳥居だという(GoogleMapによる)。
・・という話は置いといて、ここから一路道を西にとり、萩へ。萩市街に入ったころ日はとっぷり暮れて、今夜のお宿探しに難渋することになる。宿のある萩城三の丸は道が狭く、我らがお召しバスが横付けできないとこが判明(したのが事後だったのだが)。さんざうろうろした挙句どこかの駐車場まで宿のマイクロに迎えに来てもらうことになる。翌朝出た裏門のそばを通っていたことも後でわかって笑い話になったのだが、ま、タイヘンでありました。無事に投宿出来て「終わり良ければ総て良し」。