ピーカンの天守に歌声響く  2017年11月10日

♣ G34会旅行 “国宝と世界遺産を巡る旅”-3- ♣

  

鳴り物入りで投宿したこの宿は3000坪の敷地に2階建てという高級旅館。お風呂や宴会場へ行くのに迷子になりそうだった。ということで、2泊3日の我らが年中行事もあっという間に最終日。バスセンターまでの間に位置する主要観光スポットを歩くことにしたのだが、距離が結構あり、そのせいか 山口に着いたら「国宝の塔拝観もパス」と数名が列車時間まで休息を申し出た。ではでは、

宿舎→萩市内<萩城址-旧厚狭毛利家萩屋敷長屋-北の総門-高杉晋作旧宅-菊屋家住宅-木戸孝允旧宅-藩校明倫館跡>→バスセンター(JRバス)→山口駅→山口市内<サビエル記念聖堂-旧山口藩庁門-瑠璃光寺-毛利家墓所-常栄寺>→山口(山口線)→新山口(新幹線)→新大阪・京都

部屋から庭を見下ろしたところ。所々に“部屋ごと”の仕切塀が見える。

門前の碑には「世界遺産登録萩城下町(旧上級武家地)」とある。

萩城址。背後は頂上に山城があったという指月しづき山。

「整然」という言葉がぴったり。

この城は明治6年の廃城令で解体され、再建されることがなかった。パンフレットからのコピーで在りし日を偲ぶことにする。写角は右上写真とほぼ同じ。

天守台から東望。

天守で 右向こうに見える外人さんのグループに歌を所望され、2曲披露 ♪希望の島♪ ♪Doshisha College Song♪

記念写真(YEさん提供・謝)

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。

北の総門。左は城壁の役目を果たす土塁。

クリームチーズ味のアイスクリーム(Smile)独り賞味。美味かった。

高杉晋作旧宅

菊屋家は藩御用達の豪商。住宅は国指定の重要文化財。以下はその庭園。

木戸孝允旧居。

明倫館は長州藩の藩校。水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つと称された。これは旧南門。

観光拠点として整備された“萩明倫学舎”。ここで午餐。

旧萩藩明倫館の有備館。

萩バスセンターからJRバスで山口に向かう。約1時間半を要した行程は眠りを誘うに十分で、乃公は途中の景色など全く記憶にない。
 3時にJR山口駅前到着・荷物預け・社寺観光という予定だったが約4名が予定返上・休息を申し出た。これが“八十路餘一つ”の齢のなせる業であろうか。残り6人がタクシー2台に分乗して山口市内観光に。

まず山口サビエル記念聖堂。略北向き かつ3時半という時間で正面写真を割愛した。これは聖堂左前に立つ フランシスコ・サビエル像。平成2年に失火で焼失し、平成10年に新聖堂ができた。旧を知る人は旧を懐かしんで残念がるが、乃公は初めてのため比較の仕様がない。とにかく斬新な建物。

折しもパイプオルガンの調整中であった。

宗教施設なので当然いろんなことが禁止されているのだが、写真だけはOKという。

山口城表門(旧山口藩庁門)。国民学校時代当地で過ごした高森さん、しばし思い出に浸る。

瑠璃光寺るりこうじ到着。曹洞宗の寺院。山号は保寧山、本尊は薬師如来。

国宝・瑠璃光寺五重塔。15世紀中葉建立。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古いという。
 折からの西日を受けて最高のタイミングだった。

同行5人(+乃公=6人)。click-up(a little)

中門。

本堂

さらに東北3kmにある常栄寺を訪う。雪舟ゆかりの寺。

本堂裏にある庭園は雪舟が設計したといわれ「雪舟庭」と呼ばれる。枯山水を用いた池泉回遊式庭園で、国の名勝及び史跡に指定されている。

かくしてすべての予定終了。山口駅へ戻って、美味しいコーヒーを賞味していたらしい休息組と合流し、新山口へ向かう。一便早く乗れたので少し乗り換えがゆっくりできた。

交通公社兼城郭担当相の高森さん、会計STさん、いつものことながらアリガトさんでした。みんなホントに幹事さんに負んぶに抱っこ状態だったことは否定しないと思います。正直申して最終日のヘタリは豈休息組だけにとどまらない。動いた6人もそれなりに昨年の四国とは違うものを感じたのではないでしょうか。誰かがいみじくも呟きました「1泊2日でもエエンちゃうか」。冗談口にせよ、案外皆の本音なのかもしれない。“ボチボチ行きましょか”そう乃公も呟いて今年の旅行記を閉じることにします。すべてに感謝。