♣ 独 行“泉州の式内社巡り 通算9回目” ♣
前回痛恨の(笑)石津神社すっぽかしのリベンジを含む今回のトライアル。まずは南海石津川駅から第二阪和国道、そして阪堺電車沿いに北上、中央環状を越え、終点の南海堺駅へというコース。案外分かりやすくて、今日のコースは後日のために取って置くんだったか、と、これは終わってからの繰り言であった。 |
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阪堺電車石津駅南踏切を渡る。この路線はここを中心に南北約3km直線で遮るものが無い。 |
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少々うろうろした後、第二阪和国道の高架下に出ると目の前に石津神社。この「石津太」の社名表示が「本家はこちら」と主張する。 |
この拝殿前に、社殿右横に叩き板がある、てなことを書いていたので回り込んだらこれ。onmouse-up お願いしたかって? 勿論。 |
社頭の大楠は天然記念物で堺市の保存樹木。幹周 6.21m、樹高 14m。前に建つ石碑には「日本笑姿初石津大社」とある。ネット上でこれを「日本ヱビス・・」と読むという新説を見かけた。 |
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阪堺線沿いに戻り北上すると浜寺公園行の電車とすれ違う。見送って少し向こうの踏切を渡ると舩待神社。 |
この門を見た瞬間「お寺」と思った。さにあらず、明治直前まであった神宮寺・安楽院の遺構という。碑には「舩待天満宮」とある。 |
このお社は今日の目的「式内社生國神社」とのつながりは毛頭見られずがっかりだった。ただ、この「瘡神社」など興味深い(「瘡」は疱瘡とも梅毒瘡ともいわれる)ものが結構ある。瘡神社は当社の地主神ということで、民間信仰が全てに先行していることがよくわかる。このほか菅原道真の座った石など眉唾を含め盛り沢山。 |
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そして中央環状線沿い 見覚えのある場所へ。もう3年も前になるか、AZの例会で訪れた。ここは飯匙堀。 |
宿院頓宮社務所裏に宮城野部屋のテントが。。。ちょうど大阪場所が始まったばかり。宿舎は700m離れたところらしいので、これは稽古場(土俵)か? 力士の気配はなかった。 |
中環を渡って間もなく左手に開口神社。広さはそこそこなのに広々とした空間がみごと。 |
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ということで、あとは西北へ一直線に歩くと南海の堺駅。時間は案に相違して(笑)天茶で喫食して練習にセーフの時間。それにしても、堺の街並みが東北⇔南西を基準に見事に区割りされている(電車路線も例外ではない)ことを実感した一日であったことよ喃。 |
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今日の総歩数 19,071 歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |