中高野街道沿いのお社を歩く  2012年6月11日

♣ 独 行 ♣

だんだん歩くのが暑くなってくる。今日は北野田駅から高鷲駅へ。帰宅してルートを確認したら何と、今日の半分ほどは中高野街道を歩いていたことが判明した。東高野街道は歩く機会が多いが、中高野街道というのは恐らくはじめて。けっこう田園地帯も多いものの、高速道路や新興住宅など様変わりもしているのだろう。

北野田駅から東へ向かう道を和泉街道というのだそうだが、約2km歩くと中高野街道と交差する。そこにこの鳥居(東向き)と石碑がある。「當社菅生天満宮」と読めた。立ち位置がおかしいが元はこんな倉庫などなかったに違いない。

すぐ右手の風景が広がり、田植えのすんだ田圃、そして高圧鉄塔の向こうに水越峠を挟んで葛城山と金剛山が並立する。鉄塔の右にPLの塔が沈む。

このあたりは造園業が盛んなのか。手入れされた庭園用樹木が多い。その一角にささやかな一輪。

そして菅生神社の神門。街道を隔てて手前に灯籠一対と玉垣がある。恐らく元は街道もろとも神社の境内だったに違いない。

街道を逸れ、東除川沿いに北上する。対岸にタイサンボクの花が満開だったので回り込んで撮ってみた。

Sample

309号線沿いに歩いて街道に戻り、2km余で丹比神社につく。東面するお社に南から入ったら参道が右へ伸びており、目を凝らすと(onmouse-up)一の鳥居が見えた。約300m向こう。

丹比神社には境内社の類は見当らなかった。これは履中天皇御製♪丹比野に寝むと知りせば立薦たつこもも持ちて来ましもの寝むと知りせば♪碑。

境内にもう一つ、多遅比瑞歯別命たじひみずはわけのみこと(反正天皇)の産湯の井戸があった。

更に1km余り阪和道をくぐって北上。前記丹比神社に明治末期合祀されたと伝えられる櫟本神社を見つける。ここはカンが冴えていなかったら多分見過ごして通り過ぎていただろう。社名碑(右)を見て無条件に感動。

阪和道をくぐり返して2kmほど北西行。1時半でそろそろ、というところで出くわした「はびきのコロセアム」。思わず“ローマかい”と呟いたが、早い話でっかい市民体育館。中の喫茶でお昼にする。

コロセアム北側の坂を東に下りると東除川。マップではどうもややこしそうなので、川に沿って歩くこととする。幾つか目の橋がこれ「おおつばし」。これを渡って東進すれば大津神社と踏んだは僻目か。

案の定、というか当然というか、程なく大津神社。デジャビューがあるのも当然。9年前訪れている。静かないいところだ。お社は東面し、社頭北すぐに高鷲駅。

神社には珍しい(と思う)キョウチクトウが咲いていた。 ここで今日のウォーキングは終了。

今日の総行程 9.4km+α    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら