石切さんから住道すみのどう  2011年10月21日

♣ 独 行 ♣

8月30日に地下鉄八尾南からJR八尾(→ここ)、9月6日にJR志紀から近鉄服部川(→ここ)、10月11日に服部川から瓢箪山(→ここ)、そして今日石切からJR住道と歩いて中河内生駒山麓男性独行輩の奇妙な行動はとりあえず一段落した。中河内は真ん中に大和川付け替え後、新田として開拓された低湿地が広がる。しかしわれわれの先人はその厳しい自然条件にもめげず、微高地に居を構え神を祀って営々とそのいとなみを紡いで来たのだ。

まあどう言い訳しようとこの奇妙な行動は乃公の「式内社を訪ねる」の中に位置づけられるもので、決してそれ以外の何物でもない。けれどうら寂れた式内社に心痛めながら歩く途上にふとみつかる珍しいもの、心温まるもの、何じゃこりゃというもの等々いろいろあって決して飽きることがない。
 ここ石切さん上の宮というマイナーなスポットもそれ。何度か下のご本宮に合祀されたり独立したりを繰り返した結果がこれ。社殿があってなお「・・・上之社址」の碑が本殿左の至近距離に麗々しく建っている。

上之宮から坂道を下り、近鉄線をくぐるとご本宮の参道がはじまる。さるサイトの表現「石切神社というのは大阪では知られた神社だ。まあ、神社が有名というのではなく、そのエキセントリックな参道が。一度行ってみてくださいな。ほんとすごいから」。『神社が有名というのではなく』はともかくとして、eccentric、そのとおりである。

左が入口ならばこれは神社側への出口。途中の写真が要るよなァ。とにかく「豹柄を好むおばちゃん」向けの「ブティック」、各種占い所がどれくらいあるか。まあ騙されたと思って一度行って御覧なさい。

石切劔箭神社々頭に展示されていた辻子づし太鼓台。早い話、太鼓を積み込んだふとん神輿。きらびやかなものである。ただしこの傍をすり抜けてお百度参りに励んでいる方々の目には全く入っていないみたいだった。

これも拝殿脇の大楠。樹齢470年、幹周り5.7mという。お百度参りの人々をずっと見続けてきたのだろう。

二の鳥居。石切鳥居と名付けられたこの鳥居の異様さに気付くだろうか。神社本庁に属さない単立の「神道石切教」のお社なのだ。150m南の一の鳥居も同型。

阪神高速沿いに西進すると東高野街道(左)を越え、さらに西進すると外環状線(右)を越える。前者は本道で後者はバイパス、両方とも国道170号線。

外環から西約1kmで式内大津神社だが、省略。阪神高速を北にくぐるとすぐ鬱蒼とした林。大和川付け替え工事に尽力した中甚兵衛の伝承の残る川中家住宅の屋敷林。

さらに北西1.5kmほどで式内栗原神社。境内にこの鎮座地の地主神・栗玉大神の碑があった。

栗原神社から北へ500m、宇波神社への岐路に建つ碑。左に「左り大坂八尾平野道」、右に「大峯三十三度 右生駒山道」。大峯参り三十三度の記念に道標を兼ねた碑を建てたか。

大峯参りの碑から北すぐ。これは明治の神社合祀で宇波神社に合祀された吉野神社跡地の碑。石切上之宮みたいに再建されたのもあるが、この神社は忘れ去られたのだろう。

宇波神社手前100mに建つ燈籠。「・・・文政十三年庚寅の年号のあるこの燈籠も、おかげ参りをした加納の人たちが、記念して常夜燈として建てたものです。/この前の道は、宇波神社の参道で、河内街道に先立つ古い道でもあります。・・・/平成5年1月/東大阪市」とある。この燈籠は須波麻神社前(→ここ)にもあった。

宇波神社から一路北へ1.5kmでJR住道駅に辿りつく。なにかデジャヴュがあるな、と考えたらそれもその筈5月に中継駅として使用したのだ。同じパン屋で遅昼を済まして帰途に着く。

今日の総歩数 15,520歩    ̄|△| ̄   ルートマップは省略