 (この写真は当時のものではない) |
昭和52(1977)年7月24日 −三熊山−
千福寺ユースホステル→洲本城址(三熊山:125m)→千福寺ユースホステル
【一言】はじめての夏季舎営は慶野松原や洲本海岸での海水浴とこの洲本城址/三熊山への追跡ハイクがメイン。途中の通過ポイント無視の組があったりしてテンヤワンヤであったがまたそれが忘れられぬ思い出となった。 |
 (この写真は当時のものではない) |
昭和52(1977)年11月20日 −中山−
阪急中山駅→中山寺奥の院→中山最高峰(478m)→最明寺滝→雲雀丘花屋敷駅
【一言】カブスカウト隊リーダー拝命初年度の歴史ハイキング。たしかこのコースを隊長に具申して実現したという記憶がある。最高峰から最明寺滝への道はガレの吊尾根で通過に時間がかかった。 |
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昭和53(1978)年8月22日 −武奈ヶ岳−
比良ケーブル頂上駅→武奈ヶ岳(1,214m)→八渕ノ滝→高島青少年旅行村
【一言】カブスカウト隊の舎営(キャンプ)はこの年が“琵琶湖一周”のスタートとなった。リーダーの一人Y本さんの出身地近江高島の青少年旅行村に本拠を置き、この日は武奈ヶ岳に登り、隠れた比良の名所・八淵の滝を経由して宿舎に戻った。このためにリーダー有志が数日前に鉈や鎌を持参して廃道を整備した。 |
 (この写真は当時のものではない) |
昭和53(1978)年10月22日 −妙見山−
能勢電妙見口駅→初谷(飯盒炊さん)→出合→バス道路→妙見宮→表参道→黒谷→妙見口駅
【一言】カブ隊では秋には飯盒炊さんを実施していた。この年は妙見ハイクコースの一つである初谷で行い、食事後谷を詰めて出合経由妙見宮に上がり、表参道を降りた。下り道の厳しさが印象に残っている。 |
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昭和54(1979)年2月11日 −葛籠尾崎ピーク−
国民宿舎つづらお荘→葛籠尾崎ピーク(293m)往復
【一言】冬季舎営は雪を求めてプランニングされたが、前年以上のドカンピーで、持参した手製の橇を駐車場のコンクリ上で引き回すはめになった。なお葛籠尾崎へのハイキングは快晴のもと、眼下に竹生島、右手(写真後方)に海津大崎を望む素晴らしいものだった。 |
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昭和54(1979)年7月22日 −金刀比羅宮奥社−
琴平駅→金刀比羅宮(240m)→金刀比羅宮奥社(420m)往復
【一言】コンピラサン(ここもれっきとした山である)。リーダー中3人が香川県出身ということも与ってこの年の夏季舎営は多度津・海岸寺ユースホステルに拠点をおいて行われた。乃公はといえば本宮到着時点でダウンしてへたりこみ、この奥社での写真には写っていないというオソマツ。 |
 (この写真は当時のものではない) |
昭和54(1979)年7月23日 −海岸寺裏山−
海岸寺→奥の院裏山(139m)→ぶどう畑→海岸寺
【一言】金刀比羅さんの翌日、こんどはお寺の裏山へのぼりぶどう畑を通って帰ってくるハイキングを実施した。ここ海岸寺は四国別格二十霊場の18番札所だそうな。 |
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昭和54(1979)年8月16日 −黒姫山中腹−
黒姫牧場→黒姫山中腹ゲレンデ往復
【一言】家族そろって野尻湖ハウスへ出かけた。泳ぎ、ボートに乗り、この日は数年前CCDOB有志で登った黒姫山に挑戦したが、案内役の乃公がへたばって父親の威厳が地に落ちた日でもあった。ボートに乗った長男がみごとに舫いし、その成長に感激したことが印象に残っている。 【写真日記】 |
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昭和55(1980)年8月15日 −箱館山(547m)−
箱館山ケーブル頂上駅(最高点:690m)→処女湖→平池→酒波
【一言】夏季舎営は、豊中地区キャンポリーが饗庭野で行われたのにあわせて国民宿舎今津荘に本拠を定め、キャンポリー見学、水泳訓練、そしてこのハイキングをこなした。写真は淡海池(一名処女湖)。酒波へくだる道が意外に単調であった。 |
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昭和55(1980)年11月16日 −二上山−
当麻寺駅→当麻寺→二上山(雄岳:517m)→二上神社口駅
【一言】カブ隊の秋の定例行事の一つは史跡ハイク。今年は当麻寺から谷道を岩屋峠まで直登し、雄岳頂上を経由して倭文神社(二上神社)へ下った。神社の境内で清掃奉仕をしたスカウトたちはごほうびにタオルを頂戴し嬉々として帰路についたのだった。 |
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昭和56(1981)年8月14日 −八方尾根−
八方尾根ケーブル頂上駅(1,830m/尾根歩き)→八方池(2,086m)往復
【一言】この年の夏季舎営ははじめて信州に出かけた。岩岳のヒュッテに拠点を置き、この八方尾根登山、岩岳(1,290m)登山、楠川探検などのプログラムをこなした。写真はバックがガスっているだけだが、実はこの直後天候急変して雨になり、ポンチョを着て下山したが全員ずぶ濡れになった。 |
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昭和56(1981)年8月15日 −岩蕈山−
西山ヒュッテ(750m)→岩蕈山頂上(1,290m)往復
【一言】八方尾根の翌日岩岳山麓の西山ヒュッテからこの山頂を往復した。快晴。同じ日にBS隊は白馬から栂池へ縦走を試みていることになっていて、目を凝らしたが見えるわけがなかった。因みにこの写真に写っているのはスカウトではなく、リーダー、随行父母とスカウトの弟妹たち。 |
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昭和56(1981)年11月15日 −生駒山府民の森−
生駒電元山上口駅→鳴川峠→府民の森(520m)→暗峠→枚岡神社→近鉄枚岡駅
【一言】秋の史跡ハイキング。鳴川峠へ出る道で野生?の柿が鈴なりで、それをとっていたメンバーがいっとき迷子になり、尾根道で合流するというハプニングがあった。写真は府民の森広場でリーダーと特別参加の父兄。飛び立つハンググライダーにスカウト達が羨望の眼差しをそそいでいた。 |
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昭和57(1982)年2月21日 −太閤山−
阪急高槻市駅→(太閤道)太閤山ピーク(316m)→若山神社→阪急水無瀬駅
【一言】これもカブスカウト関係。この3週間ほどあとに予定されているお別れハイキングのために独行で太閤道の下見をして詳しいガイド地図を作成した。この太閤山ピークは手書き標識を見落としたらそれっきりという、非常に判りづらい場所にある。
★本番は同年3月14日同一コースで実施された。
またこの地図は後年Glee34歩こう会第1回例会実施に当たって役立った。 |
 (この写真は当時のものではない) |
昭和57(1982)年11月21日 −天王山−
阪急長岡天神駅→長岡天神→天王山(270m)→阪急大山崎駅
【一言】今年の史跡ハイクは天王山。事前にいろいろ歴史の勉強をしていたおかげで全コース興味深々で歩いていたようだ。子どもたちのハイキングは大人と異なり、追跡ハイクや歴史ハイクなどテーマ性をもたせることが肝要とみた。 |