土佐堀から南本町へ  2023年3月18日

♣ AZハイキング3月例会(通算第199回) “船場レトロビル散策” ♣

     

Kリーダー惹句“明治末期から昭和初期にかけて造られたレトロ感あふれる建造物(ヨーロッパの建築様式を取り入れた近代建築)を巡り、北浜から本町まで散策します”

今日の例会はだいぶん前から(ピンポイントで)雨予報だった。が、リーダー前々日の判断は「18日(土)は10時以降降水量ゼロ」なので「例会を予定通り実施」。心配性の乃公は危惧感大。今朝しっかり降っていたし、出るときも雨の中だったのに。でも結果は・・・以下をご覧じあれ

本日の待ち合わせ場所は☆大阪証券取引所ビル(1935:北浜1)ロビー。この建物はこの円形ドームを残して高層ビルに建て替えられており、壁面表示も“大阪取引所”に変わっている。五代友厚の像があたりを睥睨する

ロビー内で約1名を待ち合わせ中のメンバー。程なく7名揃ったのでスタートする

まず北側の土佐堀通に出る。これは今日の@北浜レトロビルヂング(1912:北浜1;有文)。カフェ前には先程まで十数人行列していた

その2軒向こうには☆北浜長屋(1912:北浜1;有文)

次いで堺筋を南下。右向こうはA新井ビル(1922:今橋2;有文)

そしてB高麗橋野村ビル(1927:高麗橋2)

 

これは☆三井住友銀行大阪中央支店(1936:高麗橋1)

“ボンド”で知られるコニシ梶BE旧小西家住宅史料館(1903:道修町1;重文)

Sample

道修町に来たら何はさておきお参りを。“神農さん”こと☆少彦名神社(1910:安永9年(1780)鎮座と伝える;道修町2)

旧H社本社前にドンと控えしは☆武田道修町ビル(1928:道修町2)。武田薬品の本社がここだったが今は御堂筋の新ビルに移転した

☆北垣薬品(道修町3)。主屋は1763建(1920改修)、土蔵は1828建と伝える

この異様な建物は日本圧着端子製造竃{社ビル。外壁全面に国産杉材を格子状に取り付けたデザインで大阪都市景観建築賞奨励賞受賞。ここに昔,藤沢薬品本社ビルがあった

D芝川ビル(1927:伏見町3;有文)。母娘が記念写真撮影中

同ビル壁面にあった“登録有形文化財”銘板

DOUTORにて喫茶兼トイレ休憩。中座し ちょっと出て上記写真を撮ってくる

改めて芝川ビル前で記念集合写真。シャッターは通りすがりのお兄ちゃんにお願いした。謝謝
このあと三休橋筋と丼池筋を取り違えるカン違いがあったものの、なんとか高麗橋まで戻れた

☆高麗橋ビルディング(旧大中証券)(1912:高麗橋2)

C日本キリスト教団浪花教会(1930:高麗橋2;Vories)

平野町まで下ると旧FA社が居た平野町センチュリービル

そしてG綿業会館(1931:備後町2;重文)

綿業会館壁面の装飾

同じく壁面にかかった“重要文化財”銘板
おや? 「休館日」だ...

かくして今日の終点・南本町の打上会場LOGICに到着。歓談と美味しいイタリアンで至福のひと時を共にした。打ち上げ後は流れ解散

解散後 乃公は探訪予定9ターゲットのうち 省略された堺筋沿いの2ヵ所を訪ね カメラに収めた

H風蘭ビルディング(旧明治屋ビル)(1924:南本町2)

F生駒ビルヂング(1930:平野町2;有文)

このあと 出発点北浜まで歩いて戻り Metroで帰途に就く。今日は歩き出した頃からほぼ雨が上がり、ザックに突っ込んだ傘を引っ張り出すこともなくLuckyだった。Kリーダーの判断大正解

今日の総歩数 9,534 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら

 

船場界隈には和洋を問わず古くても立派な建物が現存する。今回は時間の都合で限られた先のみの探索となったが、このエリア内で乃公の調べの及ぶ限り上記以外にもいくつかの建築物があった。下記して後日の楽しみとしよう(北限=土佐堀川、南限=船場中央通り、東限=堺筋、西限=御堂筋、かつ1936年以前の建築:☆7+★9=16)

★吉田理容所(1930:北浜3)★適塾(1792頃:北浜3;重文)★大阪市立愛珠幼稚園園舎(1901:今橋3;重文)

★伏見ビル(1923:伏見町2;有文)★青山ビル(1921:伏見町2;有文)★小川香料大阪支店社屋(1930:平野町2)

★船場ビルディング(1925:淡路町2;有文)★清水猛商店(1924:淡路町3)★ワセダヤビル(旧早稲田屋ビル)(1935:本町2)     ※注:「重文」=重要文化財、「有文」=国登録有形文化財