♣ 独 行“北山自然歩道19年ぶり” ♣
朝食後早々に出立宣言。JR茨木乗換(茨木で半時間待ち)阪急バス下音羽まで都合約1時間半強かかり、10:44下音羽BS到着。☆「19年ぶり」の謂いは前回が2002年2月に歩いて以来 ということに依る。 ★ 文中「EL」とあるのは「標高(海抜)」の意。 |
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下音羽BSから少し戻った三叉路。手前から向こう(今日の進路)豊中亀岡線をゆく。標示板「通行注意/只今の気温16℃」。飛ばしてゆくバイクが怖い。EL282b |
ややあって右手下音羽川畔から上がってきた北山自然歩道の標識「◀北山自然歩道▶」「下音羽バス停約1.0q▶」。北山自然歩道の標識にしては至極不親切。 |
右手斜面は竜王山。下音羽川はその東麓沿いに流れる。北山自然歩道はその出口・車作を起点とするが、今日はそこからここまでの南半分“権内水路歩き”を省略。 |
清阪集落の家並が見えてきた。ガードレールが右山塊を巻いてゆく道は亀岡へのルート・清阪街道。 |
清阪街道(R43)から清阪集落への分岐。ここは同時に北山自然歩道への“再”入口でもある。EL298b。標識「◀北山自然歩道▶」「◀狩待峠約1.2q 権内遺跡(深山水路)約1.2q▶」。時は11:10。 |
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集落入口から。長谷もそうだったがここも狭まっている入口に比べて中は(高低差はあるものの)結構広い。 |
墓地ではないが墓石のような道標「左そうじ寺道」。総持寺への巡礼街道だったのだろうか。 |
狩待峠方面分かれにも「右あな(う寺)」の道標がある。多分古の巡礼街道〔西国21番穴太寺→22番総持寺〕はこの集落の中を通っていたのではなかろうか。 |
左方への自然歩道分岐標識はあるが電気柵で塞がれており、右へ迂回路の案内板が電柱に貼り付いている。19年前はどっちを行ったのだろう? |
清阪は3つの谷筋に棚田を耕作しているがこれは真ん中。この辺りでEL368b。向かいのピークは大凡400b。次記するお社はこの写真の向かって右の尾根の乗越に坐す。 |
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その乗越に到着。左はお社の裏参道。右を向こうに下ると先述の一番南の谷筋となる。 |
左ガードレールの切れたところがここ。自然歩道旧道がここに上がってくる。が、立入禁止と迂回路の標示があり、電気柵が同じようについている。 |
清阪に坐す素盞嗚尊神社。地形図で確認したところでは、この鳥居前の石段を下ると、通行止めになっている自然歩道の旧道に出る“らしい”。石段の苔むし具合を見てもあまり踏まれた跡が見えず、氏子さん達はふだん裏参道を利用して参拝されているのではないかと思われた。因みにこのお社のELは略400b。 |
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11:31 |
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参拝後は乗越のところでヘアピン方向へ行く。 |
この辺りはデジャヴがある。ただ19年前と違うのは草木の具合なのかシーズンの違いなのかはっきりしない。 |
向うの樹間に峠付近の家らしきものが見え、手前では家族総出で畑仕事。というか手前のおばさんや向うのお父さんはワラビ摘み。子供たちは焚火に興奮状態。 |
「道の半分は京都府で半分は大阪府」と言い続けてきた狩待峠到着(真偽のほどは定かでない)。建ってる家はすべて京都府亀岡市。 |
標示の杭の下部には「狩待峠 茨木市」とある。が、すぐそばの家は亀岡市。調べたらここ(上記写真真ん中の道)から北上し、亀岡市役所まで16`。車でも30分近くかかる。バス便はあるんだろうかといらん心配をしたことであった(車を持たぬ乃公はすぐそう考えてしまう)。EL439b。11:47。 |
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しかし、だ。長谷への乗越地点まで少し登りになる。そのピークでチャリのお兄さんが首をひねっていた。「ここが峠ちゃいますのんか」。疑問御尤も。地形図EL459b |
さ、あとは下るだけ。帰宅後調査では長谷口BSまで延べ1.7`、標高差150bがとこの下山であった。 |
長谷集落。あらかた散った八重桜が真っ盛りのツツジに一所懸命抗っているのを発見。 |
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長谷口BSに北山自然歩道の案内板。ここが終点(始点という説もある)。EL303b。12:20。 |
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JR茨木駅の711で用意した昼餉は遣うところがなく、またここ発のバスまで1時間以上ある。何か知らんけどこの見山の郷界隈は見渡す限り車があちこちに、人もあちこちに。ちょっと様子を見ようとバス道から降りて行った。そこであるものを見つけて、今日この後の予定が決まった。その次第は→こちら。 |
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今日の総歩数 17,793 歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |