山田東に坐す伊射奈岐神社をWebで調べていたら、聞いたことのないお社の名前、大神木神社というのが出ていた。近くだ。別に式内社でもないのだが“初耳”という興味から出かけてみた。それがこれ。 |
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左から覆いかぶさっている大きな構築物は名神高速道路。それにくっつくように建てられたマンションの傍にこのお社はある。 |
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今までこのお社の存在すら知らなかった。 |
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社前の説明板にはこうある。大神木神社ニツイテ/ 今ヲ去ル二千有余年前 此ノ地ニ近在マレニ見ル大木ガアリ 此ノ木ヲ神木トシテ崇メ敬ヒ 人呼ンデ大神木神社ト呼稱ス。/ 日本書紀ニヨルト今ヨリ凡ソ二千年昔國中ニ災害疫病ガ起リ國土ガ荒レ果テヨウトシタ時 第十代崇神天皇ガ宮中ニ祀ラレテアッタ皇大御神ヲ倭ノ笠縫邑(カサヌイムラ)ニ移シココニ神ノ神籬(ヒモロギ)ヲ建テ皇女ノ豐鋤入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)ヲ神ノ守トシテ奉仕サセタ。/ 垂仁天皇二十六年 皇大御神ヲ永遠ニ祀レル平和ナ土地トシテ伊勢國高倉山度会(ワタライ)ノ五十鈴川上ニ迎エ奉リ コノ時カラ皇大御神ヲ天照大御神ト呼ビ改メテ祀ルコトニシタノガ伊勢内宮デアル。/ 雄略天皇二十三年 天照大神ノ神勅「吾レ既ニ五十鈴川上ニ鎮リ居ルト雖(イエド)モ一人ニテハ楽シカラズ神饌(ミケ)ヲモ安く聞食(キコシメ)スコト能ハズト宣(ノリ)シテ丹波ノ比治ノ直名井ニ坐(マ)セル豊受大神ヲ吾ガモトニ呼ビ寄せヨ」トノオ告ゲニヨリ伊勢國高倉山度会ノ山田ヶ原ヘ迎エ奉ッタノガ外宮デアル。/ ソノ遷宮ノ途次 攝津國三島郷大神木ニ假宮ヲ建テ年余ニ渡リ住居サレ、今ハ大神木大神御一人ニナラレルモ 五穀豊穣 商売繁盛 子授ケノ神トシ祀リ奉ル。判読不能個所はWikipediaにより補綴した。 |
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別のところで近くに同じ名前の橋があるという情報で翌日出直したのが下2枚の写真。 |
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直ぐ近くの山田川に架かる橋(府道1号線橋梁の約10b上流)「大神木橋」 |
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大神木橋親柱の橋梁名表示。 |
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それにしてもWikiで参考にした項目の筆者がお伊勢さんとの関わりをさかんに述べたてて居られたのは上記説明板で納得できるものの、それがどのように伊射奈岐神社に結びつくのか、乃公の頭の程度では理解できなかった。 |
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11月になって下流二つ目の橋の名前に“同類項”を見つけ、行ってきた。ここで正解らしき『大神木』の読み方を見つけた。こちら参照。【2020.11.10追記】 |