古代氏族小野氏の郷を歩く  2018年9月23日

♣ 独 行“湖西の式内社和爾から堅田まで” ♣

Blog再掲>>「5月写真同好会で粟生光明寺に撮影行し、数日後に近江は安土を訪れててから4ヵ月。SBのステージも終わって一息ついたところで晴の予報がたまたま今日だった。ので「ホンマに歩けるンかいナ」と湖西を歩くことにした。」 2年前に訪れた京都市左京区上高野の崇道神社境内にも小野神社があったことを思い出した。比叡山の反対側にも勢力をもっていた大きな氏族だったということ。

=JR和邇駅→西岸寺→天皇神社→小野神社(篁社ほか)→小野道風神社→小野妹子神社→神田神社(普門)→神田神社(真野)→JR堅田駅=

10:41湖西線和邇駅下車。ハイキング風の児童グループが大勢降りた。電車の向こうに蓬莱山・打見山。

和邇駅を出、左後方(手前)へ戻ることで今日の行程開始。緩い坂を登る。

六角義秀が祖母のために建てた西岸寺(浄土宗)。左は本尊阿弥陀如来(重文)収蔵庫。

今日の最初のターゲットは上記西岸寺に隣接する天皇てんのう神社。式内・小野神社の論社の一。康保3年祇園牛頭天王を奉遷し牛頭天王社として建てられ明治初年に現社名に改称したと伝える。(てんのう→てんのう)

本殿扉の文様。

さてここから道に迷った。タブレットでGoogle Mapを見ているのに何で迷ったのかよくわからない。和邇川へ当たってみると様子が違う。右だと思ったらだいぶん左で、天皇神社からの出方を間違えたらしい。

小野神社境内に入ると石段の上真正面に坐すのは百人一首♪わたの原(八十島)♪で有名な参議篁を祀る小野篁おののたかむら神社。左奥に微かに小野神社が見える。

左写真の石段の左側に小野神社への参道があり、その途中にこの小野小町の塔。塔というからには五輪塔かと思うが少々足りない。(五輪ない)

今日の2番目のターゲットは小野おの神社。式内・小野神社の論社の一。上記篁神社や このあと訪れる境外社道風神社を含めて式内の「小野神社」ではないか、と考えるのが玄松子氏説である。(→ここ) ことほど左様に当所で篁神社が正面に出ている・・・・・・・感が強い。

当社は小野一族の祖、かつ餅及菓子の匠・司の始祖である天足彦国押人命(第五代孝昭天皇の第一皇子)と七代目の米餠搗大使主命の二神を祭神とする。社前の餅奉納飾りは業界崇敬の篤さを物語る。

左側小野神社参道。苔むしてこれが本来の、とも思うが すべては歴史の霞の彼方。

境内の「夫婦円満の木」。「椎の木が檜を抱いているようたたずんでいます」少々文章おかしくないかい?

小野神社参道入口に立派なお寺。上品寺。小野篁開基と伝える天台真盛宗の寺院。参詣の人が多い、、、そう、今日はお彼岸の中日なのだ。   鐘楼の右にデジャヴュ、、、蓬莱山と打見山。

    

今日の3番目のターゲットは小野道風おののとうふう神社。式内・小野神社の論社の一。とはいえ延喜式神名帳編纂時に道風は存命していた。これを小野神社の論社に加えたのは「小野神社として 式内・小野神社の一部と考える」という玄松子氏の論考による。周囲に小祠がいくつかあるが寂寞感は如何ともし難い。社頭の柳に蛙の故事に基づく池も水がない。

JR小野駅の山側は大規模住宅団地開発で、Mapを見ると辟易感におそわれる。当社はそのど真中に位置する。街中に縮こまったお宮を想像していたらどっこい、見上げるような公園、山だ。ぐるり半周してみると何と古墳なのだ。唐臼山古墳という7世紀のもの。表示板には頂上石室の位置にお宮があり、“登らずばなるめえ”。標高は凡そ128m。

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今日の4番目のターゲットは小野妹子おののいもこ神社。これは式内社ではない。念の為。
ㅤ“小野郷の大きなお墓(=古墳)に葬られたその頃のエライサン(実力者)は妹子さんしかいないではないか”ということで壊れた石室(onmouse→up)の前に祠を建てた、と見たは僻目か。結構新しいものだろう。

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12:30 公園南の展望所に移動。ここでファミマ弁当を拡げる。ちょっと手を止めると薮蚊が手に止まって刺す。一箸ごとに1匹の蚊を叩いていた勘定。。。近江富士や琵琶湖大橋を眺める抜群のビューポイントなのに。

お山を下りて神田神社の方へ向かう。真野の在に入り、四つ辻へ来ると【←神田神社/神田神社→】という表示がある。右遥か向こうに木立。「よし、あれだ」「でも同じ道をまたここまで戻ってくるねんナ」

5番目のターゲットは東京の「神田祭」を連想してしまうお社<全く関係ない>、神田かんだ神社。式内神田神社の論社で大津市真野普門の在に坐す。何で論社? 実は次に訪れるのも神田神社で、そちらから勧請されたと伝える(式には一座しか記載がない)。

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宮池が濁っているのは台風の名残り? 池の周りは楓が植わっていた。もう2カ月もすればキレイになるだろう。

本殿は三間社流造で国の重文。onmouse→?

真野普門から東方約1km。今日の最終ターゲットEは真野に坐す神田かんだ神社。で、これも式内神田神社の論社。というよりこちらから普門へ勧請と言われているのでこちらが「本家本元」なのかもしれない。中の写真の右の祠(二の宮)及び右の写真の本殿の屋根が剥がれているのが見えるだろうか?

本殿もひどいが、この社叢の木も何本か根こそぎやられている。21号のせいに違いない。

真野川堤防はヒガンバナ真っ盛りだった。因みに右の道(見えるかな)を真っ直ぐ行くと琵琶湖大橋に行き着く。

最近少々のアップダウンが結構応えるようになった。今日の最高地点は唐臼山古墳頂上で約128m、最低地点は和邇駅と堅田駅でともに88m前後。高低差はせいぜい40mしかないのだが、それが「山登り」になってしまうのは齢のせいか。無理は禁物と肝に銘じよう。

ということで堅田駅で歩き納め、14:10京都行き各停の人となって本日の予定終了。

今日の総歩数 ACCUPEDE 9,513歩(8.4km換算+α→12,000歩余)  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら