大洲、宇和島から足摺へ  2016年11月10日

♣ G34会旅行 “四国で歌の Hard Selling”-2- ♣

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四国2日目以降はマイクロバス。まず今日は大洲と宇和島でお城を見、竜串海岸でふしぎな岩の数々を鑑賞して足摺へ向かう、総延長220kmの長丁場。いざ。

われらが道後の一夜の夢を結んだ大和屋本店。写真撮るのに大分バックしなければならなかった。それにしても週日の朝から車が多い。

道後温泉本館の裏はゆう新殿・たまの湯棟という皇族専用棟で「御成門」がある(前に人がいる)。向こうは神の湯本館棟で屋上の塔屋は振鷺閣という。

直ぐ近くに「坊ちゃん」の記念碑。見まわしたらこんなのばっかりでキリがない。これ一つで撮り止め。

丘の上に見える「湯神社」一の鳥居。大和屋から半径400b以内にこの神社ともう1社式内社があることを帰ってから発見。オ・ソ・イ・ちゅうねん。

ということで今日明日はマイクロバスでの移動。まずは昨日の内子のすぐ近くにある大洲へ向かう。昨日済ませればいいようなものだが、松山城、大洲城、宇和島城を済ませて2日目の晩 足摺に泊まるためにはこれしかなかったという、高森名プランナー苦心の作(策)なのである。◆宿舎→大洲城→臥龍山荘→宇和島(午餐)→宇和島城→竜串海岸→足摺パシフィックホテル花椿(泊)

何か素っ頓狂な雰囲気の市民会館はこの際置いといて、右を見たら、あったよ、ありました、大洲城。

三の丸(?か)の大イチョウ。

Sample

4層4階の天守は12年前に木造で復元されたという。鉄筋コンクリートでないところに大洲の人々のこだわりを見る思い。普通3階や5階など奇数階が多い中でこの城の偶数階造は珍しいのだと。手前は高欄櫓。(集合写真 by YE君)

二の丸でTM城郭担当相の説明中。

天守から西望。肱川の支流の向こう田んぼの中に小台地。

同じく天守から肱川下流方向を北望。JRの鉄橋が見える。

肱川上流を東望。正面の山は冨士とみす山(320b)。橋は国道56号線の肱川橋。手前屋根は台所櫓。

町の中の清流には錦鯉が泳いでいた。この竹のプランター、いいね。

臥龍山荘入口。OK、OT両君だけ撮ったつもりだったのに。それにしても立派な石垣。

明治期に作られたこの臥龍山荘。これはその南端に作られた不老庵。肱川に張り出して作られている。ここからの眺めはもちろんだが、蓬莱山を背に負った佇まいはまさしく一幅の絵画である。

同所から東南・新冨士橋を望む。

高欄ともども危なっかしいのだが、保守は行き届いているようだ。

〔そして宇和島へ〕

ほぼ正午宇和島到着。まずは和日輔(わびすけ)で午餐。

今日2つ目、宇和島城。東北側の長屋門から登城する。

例によって一番乗りはMT君。

天守閣での高森講座「江戸時代やそれ以前に作られた天守は全国に12現存する。これもその一つ」。

こちらではMTプロのゴルフ講座「※◇?▼#*・・
・・・」。ゴルフ歴ゼロの乃公には珍紛漢紛。

お勉強が終わって三々五々下城する。足許を慮って石段を斜めになって降りるあたり、(トシはとっているが)伊達に齢はとっていない。

かくして今回の旅4城巡りのうち3つまで完登し、今夜の宿・足摺に向かうのだが、少し時間を割いて宮崎の日南海岸そこのけの岩礁美、というより珍岩奇岩の連なる竜串海岸へGo。宇和島から延々100km。

Sample

大竹小竹。

OY、YH両君。二人の間に遠く見えるのは足摺海底館。OY君宣わく“うちの会社が作った”と。

かくして夕闇迫る足摺パシフィックホテル花椿へ歩を進め、本日の行程終了。

写真が無いのが誠に残念・・・・・晩餐をご機嫌で打ち上げた一同が何やかや歌ってカレソンで締めて“1,2,3”をやってカラオケルームへ移動しようとしたら、隣室から声あり「1曲聴かせて下さい」と。札を見れば「小田急レディース」なる女性グループではないか。何かにつけ気の優しい34会。特に女性に対しては優しいことこの上なし。目尻が8時20分状態で「希望の島」「いざ起て戦人よ」の2曲を歌って差上げる。今回は“ミニコンサート無し”だった筈が「マイクロコンサートだったらいいか」?。もっとポピュラーなものが気楽に歌えたらいいな、とはカラオケルームの片隅で半眠り状態で思ったことだった。