畝傍御陵前から新ノ口まで  2016年6月14日

♣ 独 行“橿原市内の式内社を巡る-その2-” ♣

ここのところ日和ももうひとつだかうまく歩く日がとれない。しかし唸っていても埒が明かないので朝食時“よし行こう”ときめそそくさと出発準備。蒸し暑かろうと(心配したほどのことはなかったが)汗取りを首に巻き、汗拭きのスペアも準備して9時前のバスに乗る。コースは例のごとく岸辺→大阪→鶴橋(近鉄)→八木→畝傍御陵前。

「畝傍御陵前駅」この駅は十年ほど前AZで畝傍山に登ったとき集合場所だった記憶。あの日はしっかり雨降りだったが今日は晴れ。10:36

東北へ1.3km、飛鳥川を渡ったところに坐すは今日の第@ターゲット・鷺栖さぎす神社。AZハイクで訪れて10年以上になる。境内は堤防道よりうんと低い。

境内のアジサイはいま真っ盛り

鷺栖神社。鷺栖神社(さぎすのじんじゃ) 四分村にあり。今鷺栖八幡と称す。近隣五箇村の氏神とす。〔神名帳〕に出づ。(後略)(大和名所圖會) 左から社頭鳥居、拝殿、本殿。すべて西面。
 折しも氏子の方々十数人でお社の清掃真っ最中。あちこちに大きな切り株があり、台風倒木防止のため何本か切り倒したという。伸び放題に放置しないあたり地域に根差した神社信仰の現場をこの目で見た。

鷺栖神社境内に柿本人麻呂の万葉歌碑があった。
♪ひさかたの天知らしぬる君ゆゑに日月も知らぬ戀ひ渡るかも♪

遠く天香久山。あの麓に次のターゲット2社が坐す。藤原宮跡を横切ってまっすぐ 1.3km。

左を見れば遠く耳成山。手前の赤い柱列が藤原宮の建物跡を示す。

藤原宮跡横断道路の真正面に見えていたのがこれ『独立行政法人/国立文化財機構/奈良文化財研究所/都城発掘調査部』

第Aターゲット・畝尾都多本うねお(の)つたもと神社境内にあった「泣澤女なきさわめの神の杜」の碑。古事記に「イザナミが火の神・カグツチを産んだがために亡くなった。それを悲しんだ夫・イザナギの涙から成り出た神は、カグヤマの畝尾の木の本におられる、名はナキサワメという神である」(大要)と記されている。

畝尾都多本神社。左から社頭鳥居、拝殿、本殿。本殿の位置に本殿の建物がないが、情報によれば井戸があってこれがご神体だという。珍しい。大和名所圖會に言う。畝尾都多本神社(うねびつたもとのかみのやしろ) 啼澤杜にあり。〔神名帳〕に出づ。

境内に万葉歌碑があった。亡くなった高市皇子を偲んで檜前女王がうたったとされる。
泣沢なきさは神社もり神酒みわすゑ禱祈いのれどもわがワゴ大王おほきみ高日たかひ知らしぬ♪

次のお社とは背中合わせ状態なのだがぐるりと回ってゆかなければならない。そのぐるりの地点にこの碑。天香山あめのかぐやま埴安はにやす傳稱地 道」

お社の東に隣り合わせる八釣山地蔵尊こと興福寺。

そして今日の第Bターゲット・畝尾坐うねおにます健土安たけはにやす神社。左から社頭社名標、拝殿、本殿。大和名所圖會に記す。畝尾健土安神社(うねびたけはにやすのかみのやしろ) 下八釣村にあり。今天照太神と称す。〔神名帳〕〔三代實録〕に出づ。「土」は「埴」で、記紀に伝わる天香久山の土の霊力を神格化したものか。先の「天香山埴安傳稱地道」碑といい、神話時代この地が崇められ畏れられたことがよくわかる。因みに300m東南にある香久山北麓にはもう一つの論社・天香山神社が坐す。

ここから北(微西)耳成山方面を目指し1.7km、米川沿いに左折すると今日の第Cターゲット・山之坊やまのぼう山口やまぐち神社。このお社は、目原坐めはらにます高御魂たかみむすひ神社の論社の一つ。

山之坊山口神社。左から一の鳥居。二の鳥居の向こうに社殿、拝殿の隙間から本殿を拝する。祭祀を司る地域間の諸経緯から耳成の山口神社の分霊をこの地に祀ったと伝える。地域の崇敬はひとかたならぬものがあるようで、この閑散とした境内風景からは想像もできない。因みに社殿は西面するが一の鳥居は街道筋つまり北向き。

Sample

一の鳥居前を左右に走る道は風情を感じる。桜井からJR桜井線沿いにほぼ直進して西は竹ノ内街道に続く道。いざ耳成山へ。

途中田植の済んだ水田のそばに何ということのないアパート、名付けて「コーポ シャモニー」そして「コーポ モンブラン」だと。

右折すると耳成山。ここまで来たら(予定にはなかったが)耳成山口神社へ詣ろうか。急に気が変わる。

古池畔から参道をあがる。おいおい、こんなにあったっけ。<帰宅後地形図を見ると山頂139m、八合目のお社で119m、池が64mだから・・・>

標高差50mも何のその 着きました。D番目のターゲット・耳成山口みみなしやまぐち神社。左から参道入口の鳥居、拝殿、本殿。さっき寄ってきた山之坊山口神社同様、目原坐高御魂神社の論社の一。12年前の「大和2.5山」AZハイキングの折頂上からまわって詣った記憶。あの時シンドいからと避けた直登道をモロにのぼったンだ。 耳成山口神社(みゝなしやまぐちのかみのやしろ) 耳無山・新賀・北八木・石原・常盤・葛本・山坊等の氏神なり。〔神名帳〕〔三代實録〕に出づ。(大和名所圖會)

上の真ん中の写真にチラッと写っているネコ2匹。向こうが大人しかったのか、こっちが穏やかだったからか、拝殿への上り下りのときまったく動かなかった。

最終への途中、常磐町の街中で春日神社なる小社にふらりと立ち寄った。

境内に大伴家持の万葉歌碑があった ♪玉ほこやし妹をあいてゝ處王可そわか来し♪  <玉桙の道は遠けど愛しきやし妹を相見に出でてそ吾が来し> 碑面は苔むして読むこと能わず。

耳成山から2.3km北行して今日の最終ターゲット・阪門さかと神社(神名帳所載「坂門神社」の論社)到着。左から社頭鳥居、拝殿、本殿。当社は東面する。大和名所圖會にはこう記す。坂門神社(さかとのじんじゃ) 中村にあり。今春日と称す。

阪門神社から西へ真っすぐ 1.7km。途中適当な店が無く、例により昼抜きハイキングとは相成った。13:28新ノ口にのくち駅到着。ちょうど京都行き特急が通過してゆくところだった。ここで10分余り待って大和八木経由で帰る。

今日の総歩数 15,722 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら