♣ “彦根城と海津大崎観桜行祝満開” ♣
あれは8年前。AZハイキング同好会例会が 海津大崎観桜 だった。乃公は都合で参加できず、それ以来行きたかった、行きたかったと言い続けてき、この日を楽しみにしてきた。だのに運悪く前後1週間のうちこの日だけが雨、それも暴風(例の30km圏内という福井県美浜町で35mを超える暴風だったという)交じりでクルーズ船は欠航するわ、ツアーの段取りが変わるわで大変。しかし往路で雨がやや激しかった以外は吹き降りになることもほとんどなく、特に念願の海津大崎2kmの歩きは傘を差さずに歩けてラッキーだった。雲の厚い空で全般的に暗め、写真にはシビアな状況だったが、欲を言えばキリのないこと。歩きたいところは歩け、写真を撮りたいところでは撮れ、何より 彦根も海津も桜は満開。これ以上何を望もうや。 新大阪バスターミナル集合。総勢約30名。名神で一路彦根を目指して8:00出発。 |
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10時半彦根城着。まず登城。♪片手にピストル心に花束♪はジュリーの世界だが、ここでは弓手に洋傘馬手にカメラ。ァ忙し |
鐘の丸へ |
天秤櫓前にて |
国宝彦根城天守閣。NHK大河のはしり・花の生涯でいつもTVに映っていた。Y子さんは初めて |
本丸(天守閣前広場)の桜満開 |
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本丸裏・西の丸から黒門坂道を下り、本丸石垣の威容を仰ぐ |
黒門を出て内堀。向こうの木立は玄宮園 |
玄宮園から鳳翔台(茶室)などを中景に遥か天守閣を望む。 |
児童公園そばの桜並木 |
内堀に花筏うかぶ |
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大手の内堀沿いに立ち並ぶ「いろは松」を見て AZハイキング10周年の例会を思い出しながら昼食場所豊公園の豊公荘へ。ここはカブリーダー時代冬季舎営で使わせて頂いた。あれも35年前 |
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国民宿舎・豊公荘。ここで午餐 |
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食後半時間ほどフリータイム。先刻見かけた長浜港へ。これが、あの、クルーズ船? |
「長浜城」と言おうものならG34同期TM城郭担当相が『あれは長浜城ではなくて単なる博物館』と宣うだろう、その顔が目に浮かぶ |
豊公園から長浜の街中に移動し約1時間の散策タイム。雨天のウィークデーということもあり人出はもう一つ。でもなァ、人出が多いと雰囲気はそれなりにあって好きなのだが、混雑する人を押しのけてという真似のできない人間には辛いものがあって、、、これを贅沢という。 |
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黒壁スクエアあたりをぶらぶら。これは曳山博物館 |
元浜町のアーケード通りに掲げられた連獅子の曳山舞台飾り |
海津大崎の湖上からの観桜クルーズ(長浜港=(湖上観桜)=海津大崎港→(桜並木散策約2km)→海津集落)が中止になったので、その代替として長浜=(バス)=海津集落(桜並木散策約2km)→海津大崎港=(バスで帰途に就く)と言うことになり、ひょっとしたら海津大崎観桜自体が中止になるのではないかと恐れていたメンバー一同に安堵の色が走る。木之本からトンネルをいくつも抜けたらそこは高島市海津の郷。15:30 |
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“ここに立って写真を撮りたかったばっかりに。”onmouse-8-years ago 海津の在から湖岸桜並木を海津大崎港・大崎観音の下まで約2km散策。(下左=画像click→up) |
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義経隠れ岩『文治三年、義経主従が大津より北陸に都落ちする時、海津着船の際、敵に知られないようにしばらく隠れていたと伝えられる岩です。謡曲「安宅」の中でも謡われています。』 |
「隠れ岩」のすぐ上に逢った案内標柱「式内大前神社登拝口 ここより八〇〇m↑」。80mと読み損ない歩きかけて気付き事なきを得た。web上ではマニアで「4度目トライで辛うじて探し当てた。熊に注意」という難レベル |
ドン突きにある大崎観音こと大崎寺。 |
ここからバスで大崎突端を回り帰途に就く。16:00 |
どこかでUターンし、海津に戻り、湖西経由帰阪の筈だったが、Uターンできる場所がなく、大浦集落経由木之本インターから北陸道、そして米原ジャンクションで名神に入り豊中インター経由梅田帰着。19:00。いろいろあったけど、いい一日だった |
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今日の総歩数 不明(Y子さん15,600歩X(60/70)≒13,400歩?)  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |