2001年3月にはじまったわれらがAZハイキング同好会はめでたくこの3月で満10年を迎えた。しかし諸般の事情で記念例会が今月になり、14名の参加を得て彦根城散策・祝宴・多賀大社参詣というプログラムで行われた。二日目は生憎の吹き降りに悩まされたが、メインの初日は天候にも恵まれて無事記念例会を催行できた。まずはもって目出度し・めでたし。 |
初日・21日 |
|
JR彦根駅橋上から窓ガラス越しに望遠で撮ったボケ気味の彦根城。onmouse-up |
|
|
“腹が減っては戦が出来ぬ”とばかり夢京橋キャッスルロードにくりだし、四番町スクエアで近江牛のカツカレーを賞味。 |
|
|
内堀風景@=京橋。南西に向いたこの橋が大手門橋へ一番近い。JR駅からは佐和口から表門橋のルートが一般的。 |
内堀風景A=遊覧船(大人1,200円:約50分)。 |
|
|
キャッスルホテル前の中堀沿いに佐和口までつづく“いろは松”。今や43本ほどしか無いということである。 |
天秤櫓前の廊下橋。非常時に切り落とす前提で作られたが“非常時”はなかったのだそうな。 |
|
|
天秤櫓。天秤とは言い条、微妙にアンバランス。 |
廊下橋上から右方(東)遠く佐和山を望む。 |
|
彦根城天守閣四つの顔(左回り)↓ |
|
|
|
左は1963年10月、乃公が初めて彦根城を訪れた時の写真だ。会社同僚と一緒だった。この年1月NHK大河ドラマ第一作・花の生涯がはじまった。48年前。。。 |
|
彦根城天守閣四つの顔(左回り)↑・・・でした |
|
本丸に咲く芍薬。 |
|
|
黒門橋から内堀。左向こうの木立ちが玄宮園。 |
玄宮園の池に映る彦根城天守閣。 |
|
玄宮園の池に咲く杜若。 |
|
|
玄宮園から仰ぐ天守閣。 |
玄宮園に建つ井伊直弼の像。 |
|
|
埋木舎。井伊家の十四男として生まれた直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期、天保2年(1831)以後15年を過ごした屋敷として有名なためこの名がある。 |
埋木舎A。特別の計らいで内部を見せていただいた。 |
|
|
埋木舎B。懇切丁寧なご説明中、不届き者はついつい舟を漕いでしまった。 |
護国神社脇、中堀に面して建っている井伊大老歌碑 「あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな」。 |
そして二日目・22日 |
|
片道290円の乗車券を買ったら傍から声あり「S.Sフリー切符が安いやん」。そう、一日乗り放題で550円。早速買い換える。ところが乗車後篠突く雨になり、高宮駅乗換時には全力疾走。でも濡れた。 |
|
|
多賀大社前終点下車。しかし雨脚は衰えない。10分経っても20分経っても状況は変わらない。バスもタクシーもなし。700m・10分くらいという地元の女性の言葉で腹をくくって雨の中に飛び出す |
参道途中「右とりもと(鳥居本か)」の道標。雨が跳ね上がっているのが見える。 |
|
|
「多賀富士写真」の看板。でも古そうな割にそうでもない雰囲気あり。 |
古そうな「・・・堂薬局」。前の標柱は「右本社道」・・『大社』と違うんかなあ。右面は「左京道」とあった。 |
|
|
大社の境内摂社・日向神社へ向かう小路。用水路は増水している。 |
式内日向神社。お多賀さんと同じ境内と思えないヒッソリ感。 |
|
|
大社の正面鳥居。すぐ太鼓橋が見える。 |
太鼓橋。渡ろうと思ったが雨がそれを許してくれなかった。鳥居正面に名物の餅屋が見える。 |
多賀大社(たがのたいしゃ) 犬上郡多賀にあり。延喜式内多賀神社二座云々。本社 祭神伊弉諾尊。末社 本社右の方に神明両社、向日社、熊野本宮、同新宮、天神宮、蛭子社、子安社、荒神祠、大将軍社。神楽殿あり。左の方に三ノ宮、蔵王堂、経蔵等あり。拝殿、楼門 本社の前にあり。日出杉 神木。本社の左の方にあり。(後略)【近江名所圖會】 |
|
多賀大社。昇殿修祓の太鼓が鳴り、赤ちゃんのお宮参りが一組などなど、なかなかご繁盛の様子であった。 ㅤ俗謡:♪お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる♪ ♪お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り♪ |
|
|
境内のさざれ石。 |
帰途多賀大社前駅プラットフォームの温度計はちょうど20℃を指していた。濡れたこともあって結構寒かった。 |
総歩数:21日 11,369歩 22日 5,853歩  ̄|△| ̄ ルートマップは省略 |
応接室にK大人ご来駕 |
行程表及び参加者
|
21日彦根城をバックに
|
埋木舎
|
記念会食1
|
記念会食2
|
記念会食3
|
22日多賀行きの車中風景
|
多賀大社1
|
多賀大社2
|