近鉄笠縫から真菅へ  2016年4月2日

♣ 独 行“田原本町・橿原市北部の式内社巡り” ♣

前日から今日の予定を決めており、朝の快晴を見て快哉を叫んだのであったが、大和路にかかると“高曇り”というのではないが、結構厚い雲が多く、時によっては薄暗い写真を余儀なくされた。ひさしぶりに賞味した“さえらのすし”が今日の収穫と言ってしまえば元も子もないが、、いやいや再訪2社を含め9社が6.5kmの中に入っているあたり さすが大和と言うべきか。

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鶴橋、八木で乗り換えて3つ目のここ近鉄笠縫かさぬい駅。駅名からその昔どういう人々がこの辺でどういう仕事をしていたか想像させる。11:23。

駅を出てすぐ道端に「太神宮」の碑。こんなに大事に守られているのも珍しい。“でも灯篭って囲ってしまったらアカンのに”と独り言ちる。

寺川に架かる橋を渡る。堤防一面桜満開だがブルーシートの類はなんぼ探しても見当たらなかった。

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千代ちしろの在に入るとまぁ雰囲気がよろしい。塀には申し合わせたように戎大黒の飾り物が立てられている。向こうの杜が目指すところらしい。

あれ、お寺ではないか。。しかし門の向こうにお社らしきものが見える。

千代在の産土・春日神社。左から社頭鳥居、拝殿、本殿。この3つ並ぶ本殿の向かって右端が当社に合祀された式内・千代ちしろ神社と伝える。境内の西が本光明寺と隣接し、通路が開いているので、かつては神宮寺だったのではないかと思われる。大和名所図会にこう記す。千代神社(ちしろのじんじゃ) 八條村にあり。今八幡と称す。〔神名帳〕に出づ。おっと、忘れるところだった。当社が本日の第@ターゲット。

今来た道を戻り、駅前から南西へ笠縫(宮森)の集落を歩く。

今日の第Aターゲット・姫皇子命ひめみこのみこと神社。式内社だが今は多神社の摂社。大和名所図会に曰く、姫皇子命神社(ひめわうじのみことのじんじゃ) 多社の東にあり。〔神名帳〕に出づ。左から社頭鳥居・社号碑、拝殿、本殿。当社社殿背後遠くに見える社叢は多神社。

多神社の右手のやや薄い木立は観音堂の桜。

観音堂。もと多神社の神宮寺だったと伝える。正月3日の「ボダイボダイと牛蒡喰行事」が有名とか。(以前カルチャーで来て本尊十一面観音像を拝観した)

多神社の南に広い境内をもち、新しい社殿が建ちながらなにかうら寂しい感じを漂わせるのは 今日の第Bターゲット・小杜こもり神社。神名帳の「小社神命神社」に比定され、現在は多神社の境外摂社。左から社頭石鳥居(東向き)、正面鳥居、社殿(共に南向き)

左は2012年に建てられた太安万侶古事記撰上1300年記念碑。
 真ん中が そのすぐ南に位置する皇子神命みこかみのみこと神社(又はスメミコノカミノミコト=)。今日第C番目のターゲット。右はその祠。。。というにはあまりにも見事に。。。言うべき言葉がなくて。。。これでも多神社の摂社という。。ホント これだけしかない。大和名所図会にいう。皇子神命神社(わうじのみことのじんじゃ) 多社の坤にあり。〔神名帳〕に出づ。

午餐。乃公の代名詞ハンドルネームに所縁があることも与り、ついつられて八木駅フォームで買ってしまった。12:21。

そして多神社。正式には多坐おおにます彌志理都比古みしりつひこ神社。今日の第Dターゲットにして最大のお社。かつてカルチャー教室で訪れたが、時恰も太安万侶が古事記を撰上して1300年という2012年だった。

境内にある歌人・川田順の歌碑 ♪この臣の編みし古ふみ神国の證となりてとこしへに伝ふ♪ 「この臣」=太安万侶を称えたもの。

左から二の鳥居、拝殿、本殿4棟。二の鳥居の扁額には♪正一位勲一等多大明神♪とある。因みに一の鳥居は7〜800m東方の寺川沿いの道端に東面して建つ。

多神社境内

多神社門前

そして飛鳥川沿いも満開

川を越えて見えてきたのが今日の第Eターゲット・屋就神命やつぎのかみのみこと神社。まあこれもみごとに小祠しかない。さっきの皇子神命神社にはなかった扁額付の鳥居があるだけ立派か。これで多神社の摂社の一つだという。大和名所図会に記す。屋就神命神社(やつきのみことのじんじゃ) 大垣村にあり。今八劔と称す。〔神名帳〕に出づ。左の写真・二上山が見えていたのにお気付きだろうか

神社社頭から南望。真正面に春の装いをした畝傍山。

桜だけは贅沢に咲いている。

京奈和道をくぐって飯高ひだか町に入る。妙な看板がある。お寺か?→

それがこれ。今日の第Fターゲット・子部神社。正面鳥居が西を向く。

拝殿。右の大屋根が先ほどみた祐禅山瑞花院吉楽寺らしい。ここも位置的に神宮寺のようだが今や頑丈な塀に遮られてしまっている。

本殿。延喜式に「子部神社二座」とある、その片方。大和名所図会に記す。子部神社(こべのじんじゃ) 飯高村にあり。〔神名帳〕〔三代實録〕に出づ。

その子部神社から西へ100m余り、田圃の方をぐるりと回るとこの小祠に“辛うじて”行き当たる。これも上記「子部神社二座」のうちの一つというが、いまは蜾贏すがる神社(又は小子部ちいさこべ神 または軒の宮)と呼んで区別する、とそばの説明版に書いてあった。本日のG番目ターゲット。大和名所図会記載は前項参照。よう探し当てたと自分を褒めてやりたい。

その子部神社から南へ真っすぐ1.5km。途中「大峯山上三拾三度」右側には「左神武天皇/右たつた、法隆寺」なる立派な碑が建っていた。どなたか大峰山へ33度登拝したのを記念して建てたと思われる。

近鉄大阪線踏切を渡った右が今日の最終ターゲットH・宗我坐そがにます宗我都比古そがつひこ神社。左から社頭鳥居、拝殿、本殿。すべて東を向く。その名の通り蘇我氏(稲目、馬子以降)の流れを汲むと伝えるが、あまりにも謎が多いというのが通説。しかし在所で長年にわたり“曽我さん”として愛され斎き祭られてきた事実は否定できない。大和名所図会に曰く、宗我都比古神社(そがつひこのかみのやしろ) 曾我村にあり。今入鹿宮と称す。〔神名帳〕〔三代實録〕に出づ。

かくして14:02 真菅駅から帰途に就く。この時間帯は20分に1本。何か月ぶりにスニーカーの紐をほどいて結び直したことであった。

今日の総歩数 12,851 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら