太安萬侶の故郷を訪ねる  2012年9月25日

♣ 朝日カルチャー講座 “「奈良発見」−古事記編−” ♣

「日本で最初に書かれた古代の歴史書・古事記は、奈良時代に太安萬侶おおのやすまろによって編纂されました。太安萬侶は古代豪族の一員で、田原本にあるおお神社は多氏の祖先を祭っています。神社のすぐそばにある小杜こもり神社の祭神は太安萬侶です。古事記が誕生して1,300年、古事記の成立に大きなかかわりのある多神社を訪れ、奈良朝以前のわが国の黎明期に思いを馳せたいと思います」(講座パンフレット惹句より) <式内社の詳細は→こちら
 笠縫といい、鏡作といい、古代の伴部集団名そのもの。

大和川の支流・寺川堤防道にて

10時近鉄橿原線・笠縫かさぬい駅集合。読売さんのグループとガッチャンコ。半分同じコースだとか。

まず線路の東側に出、寺川とつかず離れずの道を南へ。これが古代の下ツ道の痕跡だという。

家並みを外れると南東方向に葛城・金剛山。

ほぼ真西に二上山。青空にコスモスが映える。

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約900m南下して右を見るとこれ、多神社東の鳥居。ここから西900mに多神社。onmouse-扁額up

線路向こう南東数百mに「伝・太安萬侶の墓」なる小墳丘があるとの説明。

多坐おおにます彌志理都比古みしりつひこ神社、通称おお神社社頭到着。ちなみにこの界隈に多神社の若宮(摂社)が5社あるというが今日は次記の小杜神社しか行けなかった。

「みしりつひこ」は神八井耳命(第二代綏靖天皇の兄)と考えられ、多氏祖神として祀る、という。(あと神武・綏靖・玉依姫)

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南に隣接する小杜こもり神社本殿。稗田阿礼を祭る賣太神社(郡山坐)と同じ造りだったが台風で倒壊し今の形に戻したままだという。

古事記献上1,300年の記念碑。彼の命日にあたる7月6日小杜神社境内南西隅につくられた(2012年)。 onmouse-碑面up

多神社北東すぐの田圃の中にある観音堂。十一面観音像が安置されている。管理する地区の方の好意で開扉・眼福に与る。この境内で昼食。

東北1.2km、笠縫駅近くの秦楽寺じんらくじへ。
秦河勝はたのかわかつの創建と伝え、中国風の門が珍しい。本尊は千手観音。境内に春日神社・笠縫神社がある。

田原本町の街中にて。旧い道標「右大峯山/吉野/高野」

最終地点鏡作かがみつくり神社こと鏡作坐かがみつくりにます天照御魂あまてるみたま神社本殿。この界隈に「鏡作」の名を冠したお社が都合5社鎮座する。【鏡作坐天照御魂神社、鏡作神社、鏡作伊多神社(保津)、鏡作麻氣神社、鏡作伊多神社(宮古)】
 拝観後取って返し、田原本駅で解散。お疲れさま。

秦楽寺以降だんだんしんどくなってきて写真がない。町歩きになって撮る対象が減ったからか。・・・というより寺社めぐり最中に旧い趣き満載の町並みに入ってカメラマンとしての頭の切り替えが働かなかったというのが正直なところ。帰宅して思ったのは、この田原本という町の奥の深さ。再訪の価値充分あり。

今日の総歩数 15,824歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら