♣ 朝日カルチャー“寺内町を歩く” ♣
ブログにも書いた通り「大ヶ塚」の名前につられて申し込んだが、いいお日和のもと愉快な“ハイキング”ができて感謝であった。「万葉を歩く」講座で近つ飛鳥風土記の丘を訪れたのが 10年前。河南の式内社巡りで壹須何神社に参詣したのが 3年前。月日の流れるのは早い。 河内の式内社一覧ページは→こちら |
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大阪府立「近つ飛鳥風土記の丘」入口。近鉄喜志駅前から金剛バスで終点阪南ネオポリス下車。所要時間約20分。降りた目の前がこの門である。 |
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入り口近く管理事務所内に置かれた復元石棺 |
片袖式横穴古墳跡(B7号墳?) |
ウォークラリーポイントに指定されているB16号墳に懐中電灯頼りに潜り込むメンバー |
B14、15、16号墳は一つの支尾根に並んで築かれている |
近つ飛鳥博物館正面。この細かな階段は古墳の葺石を模したものか。当博物館はかの安藤忠雄の設計 |
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そして周囲に広がる梅園も安藤忠雄の提唱でつくられ現在進行中だという。 |
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車用の正面アプローチを望む |
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テラス前の“枯山水”様 |
博物館内吹き抜けロビーに威容を放つ鹿谷寺跡十三重石塔復元模型。現物は二上山岩屋峠にある |
全員おベント無しのため、ロビーの喫茶コーナーで牛丼やらカレーやらピラフやらいろいろ注文して午餐。13時過ぎ梅園の中を抜けて午後の予定に出発 |
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大宝の町中にある大宝山得生寺。もと大宝寺と称したがいったん廃絶、再建時寺号を変えたという |
侘助だろうか? なんとも小さな可愛らしいツバキが境内に咲いていた。画面click→拡大 |
丈六の大仏さんこと阿弥陀如来坐像(重文)。元禄年間摂州は熊野田(現豊中市)から迎えられたと伝える。春日仏師の作で鎌倉時代初期のものだという |
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大ヶ塚の台地へ上がってまず大念寺。融通念仏宗の寺で本堂は府下では最古という。左は門前(なぜかパーキング表示の上に銅鐸が乗っている)、右は本堂。下は本堂前の天水桶を支える邪鬼? |
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近松山顯證寺。大ヶ塚御坊とも呼ばれ寺内町である大ヶ塚の象徴的な存在。いまや寺内町時代の見る影もないが、唯一残っている風習が9月初めに当寺で行われる「八朔法要」と「八朔市」。「燈籠人形」も伝統行事として残されているという。住職から懇切丁寧にこの説明を承っていてバスの時間が切迫し、慌てて流れ解散となった。 |
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式内壱須何神社。左から社頭鳥居、拝殿、本殿。明治期に大ヶ塚南方の降旗神社を合祀したと伝える。(降旗=古畑=大明神は戦後古社地に再建されたというが見つけられなかった) |
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一須賀南バス停に向かう途中大念寺前を通る。このような駐車場など更地が結構目立つ。寺内町衰退のひとつの表れか。民家の屋根の向こうに葛城・金剛の山々 見えなかったら→onmouse |
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そうこうしているうちに講師先生を含む数人と邂逅。ご一緒しましょうと同じバス停に向かったが、お一人は【→富田林3km】の表示を見て富田林方面へ。しばし雑談後時刻表を見るとまだ半時間強あることに気付き、先発某氏の後を追うことに。石川手前で追いつき、道すがら話していて彼がスカウトのリーダーをやっておられたことを聞き話が盛り上がる。それにしても歩いた距離が僅々 8kmというのにこの筋肉疲れは何じゃ。 |
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今日の総歩行距離 約 8km?  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |