「杵築大社」とはかの出雲大社の明治初年までの呼称だというが、それと当社とは直接関係ない。ただ調べると奈良県下に30社近くあり、その殆どが牛頭天王や素戔嗚命を祀るという。ここは近鉄田原本線但馬駅南すぐ。式内社ではない。 |
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城下郡・富都神社 12月16日 |
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富都神社社頭の鳥居。大和名所圖會に曰く、「富都神社(ととのかみのやしろ) 富木村にあり。〔神名帳〕に出づ。」 但馬駅南東1.2km。 |
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拝殿。 |
本殿。 |
鏡作伊多神社の論社の一。社頭の鳥居。鳥居は北向きで社殿はすべて西向き。 |
拝殿。保津環濠集落の中に坐し、見えているのになかなか近づけず苦労した。 |
本殿。大和名所圖會に曰く、「鏡作伊多神社(かゞみつくりいたのかみのやしろ) 穂津村にあり。傍に鏡作池あり。神代に日像の鏡を鋳給ひし所とかや。〔神名帳〕には城上郡に載せられたり。」とあり「十市郡」の条に載っている。乃公が依拠した資料では「城下郡」の項にあったので今回移項訂正した。名所圖會の「城上郡」も誤記の可能性が高い。下記宮古に坐す伊多神社との間の水路が十市郡と城下郡の境界だったという。 |
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鏡作伊多神社論社の一。大和名所圖會に謂う、伊多神(いたのかみ)一座 此神は石凝姥命(いしこりどめのみこと)なり。(中略)〔延喜式〕〔三代實録〕に出づ。 大きな溜池(名不詳)の畔に坐す。鳥居は北向きで社殿はすべて西向きなのは前者に同じ。 |
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拝殿 |
本殿 |
城下郡・鏡作坐天照御魂神社 12月16日 |
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堂々たる社頭大鳥居。以前カルチャー講座のハイキングで立ち寄った。鏡作坐天照御魂神社(かゞみつくりにいますあまてらすみむすびのじんじゃ) 八尾村にあり。此邊七箇村の氏神とす。鳥居の内に鏡の池あり。今水乾固す。(後略)(大和名所圖會) 大鳥居の扁額には「正一位鏡作大明神」とある。 |
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拝殿 |
本殿 |
城下郡・鏡作麻気神社 12月16日 |
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鏡作麻気神社鳥居と社号標石。大和名所圖會にはこうある。 鏡作麻気神社(かがみつくりまけのじんじゃ) 小坂村にあり。今春日社と称す。 |
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拝殿。社叢が棕櫚と竹というのも少々侘しい。 |
本殿 |
社頭の鳥居。扁額は「池坐神社」、社名碑は正式名称を記すが灯籠には「天満宮」とあり、この社の変転してきたさまが見て取れる。大和名所圖會に謂う。 池坐朝霧黄幡比賣神社(いけにいますあさぎりきはたひめのかみのやしろ) 法貴寺村にあり。今天神と称す。此ほとりの五箇村の氏神とす。〔神名帳〕〔三大実録〕に出づ。 |
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拝殿 |
本殿 |
城下郡・鏡作神社 12月16日 |
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石見駅近くに坐す鏡作神社は 鏡作坐天照御魂神社の論社の一。社頭風景。 |
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拝殿 |
本殿 |
龍田大社境外末社。万葉集に♪神奈備の岩瀬の杜の呼子鳥いたくな鳴きそわが恋まさる♪という鏡女王の歌がある(巻8-1419)が、場所は諸説あり。式外社。 |
平群郡・龍田大社 11月29日 |
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社頭の鳥居。扁額に「龍田本宮」とある。【大和名所圖會】にこう記す。龍田神社(たつたのじんじゃ) 立野村にあり。〔延喜式〕に曰く、天御柱・國御柱神社二座。並名神大。月次。新嘗・祭る所級長(しなが)戸邊命・級長津彦命。〔日本紀〕。(後略) |
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舞台のような大きな拝殿。 |
オープンなのにほとんど望めない本殿。 |
平群郡・久度神社 11月29日 |
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久度神社社頭の鳥居。扁額には珍しく社名でなくて「徳維馨」の文字。ググってみたが意味不明。“久度”は”窖”でかまど(竈)の意…異論あり…とあった。久度神社(くどじんじゃ) 王寺村にあり。〔神名帳〕に出づ。と大和名所圖會に記す。 |
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拝殿。 |
拝殿内陣から望む本殿 |
平群郡・神岳神社 11月29日 |
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有名な三室山の南斜面に鎮座する。これは本殿。当社内で一番新しい建物。【大和名所圖會】にはこう記す。神岳神社(かみをかのじんじゃ) 神南村にあり。〔神名帳〕に出づ。 |
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拝殿。彩色がそぐわず様式も本殿とはっきり異なり、最後まで違和感が残った。 |
正面参道石段下から望む一の鳥居。社叢のクスノキが威容を誇る。 |
白山神社社頭。ご本社は加賀国白山比神社でその信仰は全国にひろがる。奈良県下にも3座あるがそのうち平群郡内に2社鎮座する。その1社。(当社は式内社ではない) |
平群郡・龍田神社 11月29日 |
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龍田神社拝殿。【大和名所圖會】にこう記す。龍田新宮(たつたしんぐう) 法隆寺より六七町坤にあり。民家軒をつらねて、龍田町といふ。祭る所龍田比古・龍田比女神社二座。〔延喜式〕。(後略)大社に対し“新宮”と記したものか。 |
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社頭の鳥居は黒丸木の神明造りの上に笠がかぶせられている。 |
本殿はほとんど見えない。わずかに塀越しに撮れたのがこれ。 |
右手の立札にこう記す。重要文化財申請社殿/三井社(みついしゃ)〔別名三塚社〕/中社 賀茂建角身命/西社 伊賀古夜日賣命/東社 玉依媛命 古い時代の下鴨神社は、古代山代國愛宕(おたぎ)、葛野郷(かづぬごう)を領有していた。その里には、下鴨神社の分霊社がまつられていた。この社は鴨社蓼倉郷(たでくらごう)の総(祖)社としてまつられていた神社である。摂社三井神社「風土記」山城国逸文「鴨社」の条の「蓼倉里三身社」とは別の社である。 賀茂御祖神社摂社である河合神社の門前に坐す。 |
綴喜郡・高神社 11月3日 |
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神橋“宮の前橋”。 |
一の鳥居脇の社号碑。 |
二の鳥居。一の鳥居にはなかった扁額が掛かっている。「梵天宮(ぼんてんぐう) 市野辺の南、多賀村卯辰の間、山上にあり。竪額、鳥居にあり、「梵天大王」。祭神詳らかならず。これすなはち『延喜式』に載する高神社(たかのじんじゃ)これなり。いまの社号、土人誤り来れると見えたり。このところの生土神とす。例祭九月三日。」【都名所圖會】 |
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拝殿。 |
本殿。 |
綴喜郡・粟神社 11月3日 |
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この神社はさっきのお社との余りの落差に言葉を失う。これは社頭の鳥居。某サイトで“参道は森のようで〜”とありジャングル状態だった由。それが伐採されて明るくなってはいたが、それが却ってもの悲しさを誘う。人気、つまり人の気配がない。 |
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拝殿。 |
覆屋中の本殿。 |
相楽郡・岡田鴨神社 11月3日 |
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社頭の鳥居。当社は今日訪れた4社中唯一神官?が在宅だった。 |
拝殿? こんなの初めて見た。結界のようで踏み込めず脇を通った。 |
向かって右が岡田鴨神社の本殿。左は併祠の天満宮。加茂社(かものやしろ) 加茂里村にあり。平安城加茂太神宮、はじめて勧請の地なりとぞ。(中略)『延喜式』曰く、「相楽郡岡田鴨神社」と云々。。 |
勝手神社一の鳥居。(岡田國神社の論社であるこの春日神社は勝手神社境内に併祠されている) |
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拝所(鉄骨トタン葺の異様なものは本殿覆屋) |
向って左・春日神社本殿。 |