平群郡・生駒山口神社 7月2日 |
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生駒山口神社拝殿 |
同鳥居俯瞰(実は降りて上り返すのが辛かった) |
本殿。大和名所圖會に曰く 「山口社(やまぐちのやしろ) 櫟原村にあり。〔神名帳〕に出づ。」 |
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平群郡・雲甘寺坐楢本神社 7月2日 |
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正面鳥居 |
楢本神社拝殿 |
本殿。大和名所圖會には「楢本」の名は無いが、こういうのがある 「梨本祠(なしもとのやしろ) 梨本村にあり。今は野田明神と称す。〔神名帳〕に出づ。」 「梨本」という所在地が同じなのでこれと思われる。 |
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平群郡・平群坐紀氏神社 7月2日 |
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社頭鳥居。西面する |
拝殿 |
本殿。大和名所圖會にはなぜか記載がない。 |
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平群郡・船山神社 7月2日 |
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正面鳥居。宮山中腹にあり西面する |
拝所から本殿。元来巨石信仰のお社といわれ背後の山腹には船形の巨石が累々という。祠のささやかなのは後世補ったためか |
拝所・本殿。右手に陽石が異様を放つ。 ここも何故か大和名所圖會に載っていない |
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平群郡・平群神社 7月2日 |
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社頭風景 |
本殿 |
正面鳥居は笠をかぶった黒木造りの神明鳥居。 |
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平群郡・平群石床神社 7月2日 |
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社頭の社号碑と鳥居 |
拝殿。この左手石垣の上に“地主”にして摂社の消渇神社が坐す |
本殿。古社地(別掲)から大正13年この消渇神社(当時は素盞嗚神社)境内に遷坐されたという。 |
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消渇神社拝殿。本来は地域の産土神である正勝の神として祀られていたという。「正勝」を「しょうかち」と読むことでの“言い換え”があったかもしれない。 |
同本殿。 室町時代以降下半身の病気に御利益があるとして村人に信仰されるようになり、京都の花街からも参拝者があったという |
石床神社に甑塚明神の別称があったことをうかがわせる灯籠が、その摂社・消渇神社社頭に建つ |
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平群郡・平群石床神社古社地 7月2日 |
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ご神体の巨岩の全容 |
その中心・陰石。東の船山神社の陽石とともに古代平群谷に暮らした人々の豊穣信仰を窺わせるに足る |
古社地正面。この鳥居は越木塚集落から目立ってよく見える |
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平群郡・御櫛神社 7月2日 |
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真っ白な門屋が当社の結界の役目をする。遠目にも鮮やか |
本殿。珍しく当社には賽銭箱が無く、また鈴もない |
拝殿を背に鳥居の下でOY君に撮ってもらった。お社巡りでセルフタイマーでは経験あるが、撮って貰ったのは初めて。記念になる写真。因みにこの鳥居は稚児柱の支えのある両部鳥居 |
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平群町の難読地名:椹原=フシハラ、椣原=シデハラ、櫟原=イチハラ |
山形蔵王温泉・酢川(温泉)神社 6月11日 |
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一の鳥居 |
二の鳥居 |
酢川温泉神社(または酢川神社)は蔵王山神社(熊野神社:熊野岳頂上坐)をメインとした三社一宮の一つ。蔵王温泉最古の高湯通りを登り詰めた場所に坐し、実質的に上記三社の纏め役という。歴史は8世紀に遡るが式内社ではない。 |
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山形蔵王温泉・薬師神社 6月11日 |
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薬師神社は酢川神社の社殿であった建物を移築、酢川神社が本地仏として祀っていた薬師如来像を祀る、神仏混淆を色濃く残すお社。社殿も仏教寺院風である。現在は酢川神社の境内にあって同社の摂社。 |
延喜式にはこう載る「春日祭神四座 並名神大 月次新嘗」。 |
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春日大社御廊内西南隅に坐す榎本神社は 延喜式神名帳に「春日神社」として載ったお社と言われている。いま鎮まる場所のせいか見過ごされている感あり。大和名所圖會にはこう記す:「榎本祠(えのもとのほこら) は此ひがしにあり。春日山の地主といへり。祭る所猿田彦神なり。青瀧青瀧橋(せいりうあおたきのはし)は榎本の前にあり。中間道・かたらひの橋は、若宮へ詣づるほそ道なり。」 |
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生駒山東麓に鎮まる当社社頭の社名碑は「往馬大社」・境内に摂社・末社十数社を祀り風格のあるお社だ。 |
参道の石段を息を切らして上り詰めるとこの拝殿。割拝殿のようでもあり舞殿のようでもある。 |
拝所内の社殿(本殿)は6座・・・右端のお社が少々引っ込んでいて 別か?。千木だけ辛うじてカメラで捉えた。主祭神伊古麻津比古・比売命はじめ7柱。数が合わない。見えなかったのかも。 |
式内荒見神社社頭の鳥居。内側に神門がある。ともに南面する。社叢は見事、社頭を東西に走る参道の樟樹もすばらしい。因みに旧久世郡にはもう1社、久御山町田井に荒見神社がある。 |
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左は舞楽殿。右は社殿。ともに西面し、社務所と対面する。 |
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境内社樺井月神社と社号碑を並べた水主神社参道入口。まわりは木津川堤防下の田園地帯。都名所圖會にはこう記す。「水主社(みずしのやしろ) 富野(との)の西十町ばかり、水主村民居のひがし、森の中にあり。祭神、『延喜式』「神名帳」に曰く、「久世郡水主神十座、ならびに大月次・新嘗。なかんづく水主坐す天照御魂神三伴に同じうす。託すらく山背の大国魂命神二座、新嘗祭りに預かる」と云々。加茂皇太神宮別雷神なりとぞ。「神名帳」に載するところと相違す。土人生土神とす。例祭は九月三日。」 |
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斜めに手水所が付属した拝殿は割拝殿形式だが今にも潰れそう。 |
拝殿の柵から辛うじて撮った本殿。この左手に下記樺井月神社の祠がある。 |
綴喜郡・樺井月神社 5月5日 |
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もともと木津川の対岸・綴喜郡に坐したという当社は度重なる水害で17世紀後半水主神社の境内に遷ったという。 |
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八幡市内には式内石田神社が二座あるが、これは八幡市上津屋里垣内に坐す石田神社(因みに当社は式内石田神社とは無関係らしい)の遥拝所と思われ、木津川右岸堤防上(つまり城陽市側)にある。川の両岸に同じ上津屋という字名が存在するのと関係あるか。 |