八幡市内の石田神社などなど  2015年7月20日

♣ 独 行“山城の式内社巡り9回目” ♣

こういう目的でもないと絶対訪れることはないであろう、日本の原風景の一つともいうべき八幡の里を訪う。現八幡市内にはチョー有名な石清水八幡宮があるのにこれは式内社ではなく、延喜式神名帳には内神社と石田神社しか載っていない。今日はそれを全部クリアすべく、京阪八幡市駅に降り立ったらバスがお待ちだったので、ツイ乗ってしまった。

 ▲なお、お社記事に特化したページは こっち     ▼山城の式内社一覧ページは そっち

バス停を12数えて着いたところが内里うちざと。駅から約5km。バスで正解

このような由緒ありげな貫禄たっぷりのお屋敷がそこここに。

右に曲がると立派な土蔵。水路が続く向こうに鳥居が(ここは西口で集落からの通用口)。

今日の第一ターゲット式内「うち神社」。ややこしいが、ここ“内里”集落はこの神社を奉斎してきた「内」の里 なのだろう。

南に向いた正面鳥居の前にこの碑石。多分式内「内社」と書いてあるのだろうが、二つ目の字は見たことがない。

正面参道は田圃の中(今日はあと2社もそうだった)。みごとな社叢を見ながら次へ

立派な青石に「八幡の大地にわれら生きる/圃場整備事業竣工記念」と書いてある。背後は男山から天王山方面

第二京阪の向かう遥か先に比叡山。この高架を抜けると岩田(@→A約1.5km)

岩田は内里のような集村ではなく、いくつもの字に散らばっている。ここは第二ターゲット石田(いわた)神社。岩田大将軍という集落の西隣

(A→B約1km)22号線を渡ると田圃のなかに社叢。あれが今日の第三ターゲット岩田里坐「石田(いわた)神社」。その向こうは木津川堤防。しばらくは田圃道を行く

鳥居の前になぜか「内務省」の標石。これは戦前→戦中のものか(神社は内務省の統制下にあった)

木津川堤防から望む石田神社の杜。左奥は男山、そして遥かポンポン山

堤防上はサイクリングロード。休日で結構繁盛の様子だった。木津川の流れの遥か向こうに比叡山

上津屋こうづや橋=一名流れ橋=は2011年から4年連続で流出。2014年8月9日台風11号で流れてから未だ修復に至っていない(2015年7月現在)。手前は河川敷内の茶畑

今日の最終ターゲット里垣内の石田神社(ここは“いしだ”と呼ぶ)。他と違いそうなのは 対岸久御山町に同じ上津屋地名があり、その堤防上に当社遥拝所の碑がある。いわゆる「垣内集落」としての繋がりがあるようだ

神社裏の「四季彩館」に寄り八幡市駅へのバスを聞いてここ「上津屋」バス停へ。聞いたときは「精米所前」と言ってたのになあ。

今日の総歩数 不明    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら