♣ 独 行“平群の谷に式内社を訪ねて” ♣
標題は古事記中巻の倭建命の絶唱といわれる ♪倭は國のまほろば♪ に続く、♪命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の 熊白檮が葉を 髻華に挿せ その子♪ から引用した。 |
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“平群”地名の起こり:「奈良盆地を挟んで古代に都のあった三輪山の麓から遠望できる地として、「辺国」と呼ばれ、それが「平群」へと呼び変わっていったと考えられており、古代の平群郡六郷は、生駒市・生駒郡4町・大和郡山市の広範囲にまたがっている。」平群町教育委員会発行〔歴史と自然あふれる平群〕より抜粋 |
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11時近鉄生駒線東山駅に降り立つ。遠く生駒山頂。これからの悪戦苦闘を露知らず・・ |
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熊白檮橋袂にて。遠く生駒山頂。因みに白檮(樫)は平群町の木。 |
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緑ヶ丘の住宅地を抜け、こんなショボイ(御免)鳥居をくぐると、 |
そこが今日のターゲット@生駒山口神社。正面に数十段の石段が見えたが無視。左の鳥居は裏口か |
元山上口駅への道を下ると千光寺への道路分岐標識がある。 |
竜田川右岸沿いに下り渡り返すと見えた梨本の在の鎮守の杜。 |
今日のターゲットA楢本神社。正式には「雲甘寺坐楢本神社」なのだそうだ。境内には大きな自然石で出来た灯籠が林立 |
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近鉄を東へ横切ると見えた道標「長屋王墓/紀氏神社」 |
到着したところは「上庄ほたるの里公園」ここはターゲットB紀氏神社境内でもある(みたい) |
公園標識のところからお社が見えたので、結局鳥居はくぐらず横っちょから参拝 |
気を取り直して(?)戻り道。遠く信貴山ピーク(437m)が見える |
長屋王墓への道はいかにも“旧道”。「道なり真っ直ぐ」の道。その途中向日葵の大歓迎を受ける |
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藤原氏の陰謀とも言われる“長屋王の変”で自害に追い込まれた長屋王の墓。この150m手前に王の妃・吉備内親王の墓がある。 |
道なりの道から三里集落へ、そして山へ上がるとそこは今日のターゲットC船山神社。立派な陽石が鎮座し、巨石信仰が目の当たり |
この山道には石仏や梵字を彫り込んだ石などが点在し、仏教を含めた祈りの山辺であったようだ |
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竜田川べりに咲く夾竹桃 |
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下垣内の集落を抜け西宮集落に入る。 |
今日のターゲットD平群神社。ここで「もしもーし Oさーん」 |
この狭い平群の地にこれだけ古墳があることも驚き。これは平群神社と同じ並びにある西宮古墳 |
そしてターゲットE石床神社。右わきは地区の公民館 |
立派な屋根のお屋敷の向こうは一面の葡萄畑 |
こんなところに、という立地でE’石床神社が1926年までここに坐したのだ。社殿無しで。 |
平群町の立てた「←標識」を信用して踏み込んだ「御櫛神社への近道」は整備が全くされていなくて、葛・薊その他が生え放題・伸び放題。かつての京都北山のユリ道で経験した以上の悪戦苦闘を強いられた。写真は通り抜けた跡だが、向こう側がホンの近くに見えて唖然 |
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信貴山道から御櫛神社への分岐。ここが今日のピーク |
最終ターゲット御櫛神社でO君と落ち合いホッとする。上がった息を整え撮ってもらったのがこの写真。(実はシャツがびしょびしょなのだ) |
あと竜田川駅まで帰り道途中、烏土塚古墳に案内して貰い、墳丘上から北方の眺望を楽しむ |
烏土塚は国の史跡で平群谷最大の前方後円墳。墳丘は後円部を残して宅地造成で削られてしまったが残る横穴を見学 |
かくして久しぶりの式内社巡りは無事終了し、竜田川駅→王寺駅→JR経由で帰宅した。何よりもOさんにコースの一部同行願えたのが嬉しかった。大病・大手術を乗り越えてそれなりに復帰しつつある彼の地道な努力、その心意気が“男前”。 |
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今日の総歩数 21,011 歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |