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正面鳥居。城南宮の摂社で東参道を入ってすぐ右に坐す。 |
簡素な社殿。このお社の有為転変は下記に共通。 |
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当社は平安遷都の際、都の南方守護のため城南神社として置かれ、鳥羽離宮のできたころから真幡支神社と混同されて近世まで推移。明治維新ころ真幡支神社となり、戦後改めて城南宮となるという有為転変を繰り返している。よって「現在の真幡支神社の大家さん」だから載せたのでなくて、かつて「真幡支神社」だったこともあるので載せたのだ。 |
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左は本殿、右は拝殿。【都名所圖會】にいう。「城南神社(じょうなんじんじゃ) 小枝のひがし、森の中にあり。当社久代(そのかみ)、神功皇后三韓退治として御出陣のとき、勝利御祈りのため勧請したまふ。社号を真幡寸社(またきのやしろ)と称す。『延喜式』出づ。祭神は国常立尊にして、日本不易皇太神宮となづく。その後、桓武天皇平安城開闢のとき、鎮護のため、伊勢・石清水・加茂・松尾・平野・稲荷・春日の七社、あはせて王城の南方なれば城南神となづけ、すなはち桓武帝宸筆の神名を当社の神体とす。例祭は九月二十日、神輿二基。上鳥羽・下鳥羽・竹田・塔森・小枝等の生土神とす。(後略)」 |
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扁額は「飛鳥田神社」と記されている正面鳥居と祠。onmouse-燈籠の碑銘up「安須加多神社」。この燈籠は裏に「天明甲辰」(1784)とある。当社の所在はどのサイトを見ても「伏見区下鳥羽城ノ越町」とあり本稿もそれに従ったが、Google Mapはどうしても「伏見区中島樋ノ上町」だというので困っている。 |
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本殿 |
拝殿 |
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一の鳥居。onmouse-二の鳥居up。当社に伝わる創建年、祭神などはいずれも延喜式所載の飛鳥田神社とは異なるので、最近は論社とすることに異論が出ているという。「田中天王(たなかてんのう)社 (下鳥羽のひがし、森の内にあり。祭神牛頭天王。下鳥羽・横大路等の生土神とす。例祭は九月十日、神輿一基あり。)【都名所圖會拾遺】」 |
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西向きの飛鳥田神社正面鳥居。これから数十メートル進むと 左に社殿が南面して坐す。よく見かけるスタイル。ここの在所は「伏見区横大路柿ノ本」で、式内・飛鳥田神社の“本命” |
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拝殿 |
本殿 |
大和国添上郡・五百立神社 (又は“いほたち”とも) 10月18日 |
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東大寺中門を背に向って左手・この碑がある。(丘頂には鉄道職員殉職者供養塔が建つ) |
勧学院の大屋根を背に五百立山(小丘)斜面に坐す、式内・五百立神社。 |
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大和名所圖會曰く、「五百立神社(いほたちのかみのやしろ) 東大寺眞言院の北にあり。〔延喜式〕に出づ。今五百餘社(いほよしゃ)と称す。」。朱塗塀の右側に掲示する案内板によれば、「当社は五百余所社とか五百立神社と称せらる。五百余所社の社名は天喜四年(1056)五月の東大寺文書に二十五所社・気比気多神社などと共にその名が見える。中世の絵巻物などには、大仏殿創建に従事した五百人の工匠が、工事が完成すると五百羅漢になって天空高く飛び立ち、姿を消したとの説話がみえる。本来の祭神は定かでない。 大仏殿江戸期再建の祭にも、五百余所社は大工・小工の崇敬を集めたようで、番匠社とも呼ばれ、宝永6年(1709)三月の大仏殿落慶法要を前にした正月六日に、大工頭領堀内筑前守(若狭)が新建寄進している」とある。 |
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志那神社社頭鳥居。ここから社殿まで参道約100m |
拝殿。例によって“舞台様” |
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本殿(重文)。当社は【清和天皇貞観九年奉納の鏡・鈴に「奉近江国伊富伎神」と銘がある】という。 たまたまだが、今回の3社の祭神は「志那津彦」であることが共通している。「シナツヒコ」は南葛城で見た通り風の神で、それを祭るのは暴風を鎮めるため。地区的に比良おろしの当りがきついのだろうか。 |
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社頭の鳥居。この地区は現在志那神社同様「志那」の在だが、公民館名に「吉田」の名が見えるので「吉田」地区の鎮守。天智天皇の勅命で風神の二柱を祀ったと伝える。 |
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“舞台様”拝殿 |
本殿・拝所を含む社殿 |
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社頭鳥居。社記に「天智天皇が勅して風神を鎮祭し意布伎神とした」と伝えるという。志那中町の鎮守 |
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“舞台様”拝殿 |
本殿 |
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拝所と本殿 |
綴喜郡・棚倉孫神社 9月12日 |
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急坂を上がったら天井川がありそれを渡ってこの境内へ下る。棚倉孫神社は妙な地形に鎮座する |
拝殿。「孫」を「比古」「彦」と読ませるんだ。新発見 |
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本殿。いま茅葺屋根の補修中で、ご神体はonmouse→この仮殿に坐す。このお社は瑞饋神輿が有名(こちら参照) なお玄松子さんによれば当社は松井里ヶ市に坐す天神社の論社の一でもあると云々 |
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一休寺の奥200mに坐す薪集落の鎮守。これは社頭の鳥居。因みに当社は式内社ではない |
能楽発祥記念碑があるとの表示を見かけたので立ち寄った。これは二の鳥居と拝殿 |
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立派な本殿。「天神社」ゆかりの伝承もあり、「都名所圖會」所載の「天神社」・・・いやいや違うだろうな |
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綴喜郡・月読神社 9月12日 |
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社頭鳥居。左そばに「隼人舞発祥之碑」があった |
拝殿。さっきの薪社の「能楽」碑といい、ここ綴喜ロードは芸事ロードか |
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本殿。「春日造」とでもいうのか、薪社もここも本殿は妻入り形式 |
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綴喜郡・天神社 9月12日 |
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JR松井山手駅北の古い松井集落の向山に鎮まるお社。石段が数十段。これは二の鳥居 |
拝殿 |
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何ともきらびやかな本殿。 【都名所圖會】に云 「天神宮(てんじんぐう) (天神の杜の西の端にあり。祭るところは天神社(あまつかみのやしろ)なり。『延喜式』に出でたり。土人天満天神といふ。この里の産沙神なり。祭りは九月十一日)。」 因みに「天神社」とは必ずしも菅原道真を祀るお社に限らない。当社の祭神は、イザナギ命・アマテラス大~という |
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舞台様の建物。社叢が濃い。 |
拝所。写し込まなかったが参拝者が多い。 |
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本殿。 【都名所圖會】「水度神社三座 三田坂(みたさか) 久世の南十四、五町ばかり、大和街道の中にあり。このところ、寺田領ひがしの端なり。一説には水戸坂といふなりとぞ。『延喜式』に、「久世郡水戸神社」あり。この号をもって号(なづ)くるか。すなはち寺田村の天神宮、これなるや。後人考へあるべし。」 |
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約200mの参道の南端近く。ここと拝殿前の2ヵ所を道路が横切っている。 |
本殿。ちょうど近隣の小学校の図画授業か、数十人が参道でお絵描き真っ最中。 |
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拝殿(拝所か)。見栄え以上によく手入れされたお社だと感じた。【都名所圖會拾遺】「伊勢田神社(いせだじんじゃ) 巨椋の坤、伊勢田村にあり。『延喜式』に出づ。後世梵天王社と称す。土人生土神とす。例祭は九月九日なり。」 |
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社頭風景。右にチラリと見えるのは明治初年まで混淆状態であったというお寺「地蔵院」。 |
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巨椋神社拝殿。 |
覆屋内に坐す本殿。 |
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Mapでこの社名でないと巨椋神社が検索できなかった「子守神社」祠。他の摂社より若干大きめ。 |
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境内西入口に立つ鳥居の扁額は「子守大明神」。onmouse-扁額up |
Map検索を切り取ったものに少し加工した。「子守神社」検索結果はよく見られる誤表記 |
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表門は伏見城の大手門を移築したもので重文 |
本殿は慶長10年徳川家康造営にかかるもので重文 |
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拝殿(割拝殿形式:京都府指定有形文化財)は伏見城の車寄を徳川頼宣・頼房が寄進したものという。 「御香宮(ごこうのみや) は城山の西なり。本社には神功皇后を祭る。この地に御鎮座のはじめは年歴詳らかならず。文禄年中伏見の城をいとなみたまふとき、このやしろを大亀谷の東にうつしけるに、神祟ましましければ、またこの地に遷座ありしなり(その地を古御香宮といふ。当社の御旅所とす)。(中略)御香水(ごこうずい)、鳥居の傍らにあり。この水によりて名とす。(中略)拝殿・南の門(伏見の城中にありしをここにうつす。彫り物等花美なり)。【都名所圖會】」 なお当社は「ごこうぐう」とも通称し、安産の神として信仰が厚い。 |
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社頭の鳥居。歌碑の拓本を無断でとらないよう注意書きがあったが、歌碑って、さほど多くはなかったなァ。歌枕で名高い「石田の杜」なんだが。【都名所圖會】に謂う。「石田の杜(いしだのもり) は醍醐の南にあり。石田社は民家の中にあり。天照太神・日吉山王を祭る。この里の氏神とす(和歌には石田(いわた)の小野と詠ず)。」(後略) |
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社殿は質素。 |
覆屋内本殿 |
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当社はその来歴を物語る多種の社号碑が目立つ。曰く、明治時代に合祀された「田中神社」。「田中社(たなかのやしろ) 同所(注・木幡神社)、民居の北一町ばかり、林の中にあり。当所地主神なり。」 |
見辛いが「永代常夜燈」の右側に「正一位柳大明神」 |
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そして、「木幡神社」 |
二棟並ぶ本殿 |
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二の鳥居から拝殿方向を望む。 「木幡神社(こはたのじんじゃ) (木幡の里路の北にあり。柳大明神と号す。祭神、前編に見えたり/後略)。【都名所圖會】」 |
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社頭風景。一の鳥居の奥に二の鳥居が見える |
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拝殿。割拝殿だが?・・・ |
重文の本殿工事中のためご神体は拝殿通路に仮安置されている。onmouse-工事中本殿up |