♣ 独 行“泉州の式内社巡り 通算7回目” ♣
♪恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉♪ は、ずっと気になっていた。安倍保名と葛の葉、その間に生まれたという かの安倍晴明。この奇しくも悲しい物語の舞台ということで、式内社巡りが今回その近くを通るので(そう自分で組んだのだが)今回立ち寄ってみた。清少納言の枕草紙に「森は信太森」とあることでも有名。 |
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阪和線北信太駅西口を出ると目の前に(左)この鳥居が。そしてこの写真左の家の二階ベランダ下に僅かに見える赤いもの、これが左方へ続く小道に構える二の鳥居。(右)の写真はさらにその200mがとこ向こうの交差点の前後に並ぶ三、四の鳥居。左様に“信太山葛葉のお稲荷さんだヨ”という佇まいが駅から続く この界隈である。 |
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このお社にはいろいろなメモリアルが点在し、それを拝観しながら歩くのも愉しい。しかし目を惹くものと言えばまずこの大楠にとどめを刺そう。花山天皇熊野行幸の際に「千枝の楠」の称を賜ったといわれ、当社のご神木とされている。和泉市の指定天然記念物。後方は社殿。 |
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芭蕉句碑♪葛の葉のおもて見せけり今朝の霜♪ |
和泉式部歌碑♪秋風のすこし吹くとも葛の葉のうらみがほにはみへじとぞおもふ♪ |
白狐が葛の葉に姿を変えたときに姿を写して確認したとされる「姿見の井戸」。 |
千利休作といわれる「梟の灯篭」。 |
☆お稲荷さんを出て阪和線を渡り返す。約500mで旧府神社。わかりやすい。 |
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信太杜稲荷の境外摂社とされる舊府神社。右は狩人に追われた白狐の化石だそうな。写真を撮り、早々に次の目的地・聖神社へ向かう。これも丘の上の叢林めざして比較的わかりやすい道。行程1km。 |
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聖神社への道すがら目にした七分咲きの白梅。 |
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聖神社には国の重文目白押し。左は平岡神社、真ん中は聖神社本殿、右写真は滝神社(左)と三神社(右)。このお社は江戸時代「信太大明神」と呼ばれたという。 |
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丸笠山古墳。前期古墳で墳丘長95mの前方後円墳。式内社・丸笠神社がこの墳丘上にあったと伝えるが今は存在しない。周囲には古墳の周濠の跡らしい池もある。 |
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丸笠山古墳一帯はどうやらいくつもの古墳があった丘陵地帯のようだ。そこから延々緩い坂を南西に下る。途中にあるのがこの伯太神社。前にあるお寺に気を惹かれ撮ったのがこれ。このお寺は無住で地域の人の輪番で維持していると聞いた。 |
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さらに下ってJR信太山駅北の地下道をくぐり、第二阪和国道を渡る(この間直線で延々1.3km)と左手にこの池上曽根遺跡。この「いずみの高殿」は以前カルチャーの万葉を歩く講座で訪れたことがある。 |
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前記遺跡の西に隣接して式内・曽禰神社。濃い社叢が印象的。北西向きの社殿ってちょっと変わっている。 |
その境内にあった 式内二田國津社 の碑。「二田」とは古代当地から西、海までの地域を称した地名と伝える。別にこういう式内社があったという訳ではない。 |
曽禰神社から 1.2km南西に歩くと和泉國二之宮・泉穴師神社。社叢が見えてからの長かったこと。だんだん足が疲れてくる。 社頭の石の反橋が小さいながら貫禄。さすが。渡る川が無かったな?埋めたのか? |
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そしてこれも長かった。ここまで 2.2km。南海・泉大津駅南の大津川鉄橋にかかる手前、毛織会社の片隅に式内・粟神社の故地。碑だけが残る。(目の前の高架が南海電車) |
最終目的地は粟神社が明治末期に合祀された大津神社。大きなお社だがこの“母屋”さんは式内社ではない。ピンクの物体が見えているのは「厄除桃」だという。最近はやりのパワースポット狙いか! |
ようやっと南海・泉大津駅にたどり着く。時刻は水曜会練習の真っ最中を指していて、事志と違ったことに今更ながら気付く。早い話、11時から歩いて9社巡るなんて無謀もここに極まった感じだ。何にもない日にやれよ、な、と自分に毒づきながら電車の人となったのであった。嗚呼。 |
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今日の総歩数 25,306 歩  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |