貝塚の寺内町を歩く  2013年2月14日

♣ 朝日カルチャー講座 “貝塚の寺内町を歩く” ♣

Aカルチャー風土記講座の最終日に見かけて気になっていたこの講座を、ほん数日前空席があるとのことで急遽申し込んだ。天気はよかったものの風が強く、けっこう冷たい一日であった。
 ただ終講が13時と早すぎるので色々考えた結果、解散後市内の式内社を巡り、時間があれば水間観音にも、と考えてスタートしたのであった。(結局観音さんは時間が無く、又の機会ということにした)

泉州和泉郡貝塚卜半寺内絵図 −テキスト複写− (元禄九年=1696年)

貝塚駅前にある道標。「従是東西海塚うみづか領」云々。裏面には五字七字の題目が刻まれている。

駅西すぐに鎮座する感田かんだ神社。信長の焼き討ち以前の歴史はともかくとして、貝塚に御坊が置かれてからその境内社として坐したという経緯を持つ。境内には国の登録有形文化財の建物が多い。左は〔南門〕、右は拝殿。

境内北を限る周濠の跡。神社はもとこの周濠の北側(右方)にあったのが何時の頃からか南側(左方)に移ったという。

〔神馬舎〕。戦時中焼夷弾が落ちたが、この舎下部の石組みが延焼を防いだという伝説を持つ。

〔三之社〕、〔四之社〕、〔五之社〕All in One。手前石柵を乗り越えて参拝し、1本足りない空間から這い出すことが出来れば幸せになると伝えられる。

〔神門〕。武将(右大臣・左大臣?)が仁王さんよろしく“神様を護るため”に控えてござるが、これって?
ㅤ南門もそうだが、「神門」というより寺院の雰囲気。

そして本日の目玉、“貝塚御坊”こと金凉山願泉寺がんせんじ。16世紀半ば紀州根来寺から卜半斎了珍を迎え、一向宗の町づくりをはじめたのが起源。有為転変を経、当寺は貝塚を寺領として卜半家が支配したという。本堂は国の重文。

表門(重文)

目隠し塀。表門を入ったところ、直ぐに本堂を見ることが出来ないように造られている。大修理で復元。

本堂正面。大修理で屋根瓦の左右両側は新瓦、中央は古瓦のリサイクルで葺き替えられたもよう。 金冷山願泉寺(きんりやうさんぐはんせんじ) 貝塚にあり。真教院卜半と号す。貝塚一縣を領す。宗派は、両本願寺宗義を以て東叡山に属して正院家たり。 本尊阿弥陀仏(後略:和泉名所圖會)

本堂広縁右突き当たりにあった板戸絵。本堂内部拝観謝絶だったのが残念。

大修理寄付名簿にご当主卜半師の名があった。

願泉寺を出ると左向かいに二位山尊光寺。なにより境内のカイヅカイブキ(貝塚伊吹)の巨木が遠目にもそれと知れる。“かいづか”繋がりは期待に反して「無い」そうな。木の間隠れに願泉寺の屋根が見える。

さあ、これから貝塚の寺内町巡り。この道標「貝塚寺内町めぐりみち」を辿れば迷わずに歩けるという。道は白っぽい舗装をしてあって解りやすい。聞けば、貝塚市は大阪市に次いで国の登録有形文化財に指定された家屋が多いという。

並河家住宅

山田家住宅

利斎りさい家住宅。前を通る坂は利斎坂と呼ばれる。

岡本家住宅

宇野家住宅

寺内町の北を限る北境川。この背中側に尾食おめし家住宅。この辺が上方口、つまり寺内町の北口。

竹本家住宅。卜半家来の家に特徴的な無双窓。右は邪気払いの瓦製鬼像。

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廣海家住宅

ここは貝塚市海塚うみづか。  onmouse-up

江戸〜明治・大正の家巡りが一段落したところで、昭和の町家を、それも雛人形の蒐集家ということで、明日からのオープンを1日早めて貰って見学することに。その名は寺田家住宅。

もと柘植つげ櫛の磨き職人だったというお家。玄関脇には櫛を磨くための木賊とくさ(砥草とも)が植わっていた。雛人形の蒐集はハンパでなく、子供用の小さい台所用具など珍しいものも目白押し。ここでの新知識・・・雛人形の「段飾り」は関東のもので、関西は「御殿飾り」という形が主流だったという。写真撮影お断りで外側からだけの写真になった。

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18世紀末窺天鏡きてんきょうと名付ける日本一優れた望遠鏡を作った岩橋善兵衛の生誕地碑。onmouse-up ちなみに近くの水間には「善兵衛ランド」という市立の天文施設がある。

安政五年創業「村雨」で知られる菓子舗“塩五しおご”。onmouse-up 滅多にお土産を買わない乃公だが。話の種にと1棹買うことにした。

法涌山妙泉寺。16世紀初頭岸和田城内に開創、あと移転を繰返し16世紀末この地に落ち着いたという。境内は花満開。講座はここでお開き・解散。

あとは式内社巡り。
 【コース】貝塚駅→(1.4km)脇浜戎大社・高おかみ神社→(2.6km)加支多神社→(0.5km)鶴原駅=(電車4分)貝塚駅→(1.9km)阿理莫神社→(1.2km)蛸地蔵駅
◆以下はコース点描。詳しくは こちら をご覧下さい。(ご興味あれば(笑))

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脇浜戎大社境内で恵比須像と記念撮影。この地は南海沿線有数の海水浴場・二色の浜海水浴場が目と鼻の先にある。かつては海の幸で賑わったであろうことから、エベッサンの鎮座するのも宜なるかな。

29号線沿いに南下、近木川を渡るあたりから東方望見。onmouse-up これってひょっとして岩湧山のカヤト?

南海電車を“潜って”加支多神社へ。ここでは本殿の写真がこんな具合でうまくゆかず、ぐるぐる神社の周りを回る羽目になった。序で乍らここは貝塚ではなく泉佐野市。

鶴原駅→貝塚駅へ戻り、水間鉄道の貝塚駅を横目に(写真)一路阿理莫神社へ向かう。

今日最終目的地阿理莫神社到着。しかしこの社名石碑以外は新しくてピカピカして社叢がなくて、というのは無いものねだりか。

そして南海電車蛸地蔵駅(ここは岸和田市)に着いて本日の予定オワ。

今日の総歩数 24,629 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら