堅上の谷筋をくだる  2013年2月16日

♣ 独 行“河内の式内社巡りもうすぐ最終” ♣

何度も“河内の式内社巡りはこれでおわり”といい続けてそのたんびに落穂拾いを続けてきた。今回もこの類いか。
 高安山は山城が話題になったときから、そして信貴山はお鉢の飛ぶ絵巻物・信貴山縁起を知った時から記憶の片隅にありつつ未訪問であった。そして今回はといえば、山城跡に行くのでもなく、朝護孫寺に詣でるのでもなく、“お前いったい何処行くネン”。そう、今日は 本堂とか、かりんどばたとか、青谷とか、ひがんじょ という得体の知れない(笑)ところを彷徨する。後期幸齢者は柄にもなくわくわくしているのでありまする。

ひとことお断りを。タイトルに使った“堅上”は本文中に全然使われていないことに気付いたので、注書しておく。
ㅤ「堅上(かたかみ)は、大阪府柏原市内の一地域。(中略)現在の住所表記では、青谷、雁多尾畑(かりんどおばた)、本堂、峠の各地域に該当する」 (Wikipediaより引用)

近鉄信貴線終点で乗り換え。待っていてくれたのはタイガースならぬ信貴山の「寅」であった。540円払ってこれで高安山へ登る。乗客 4人。

ケーブル高安山駅前に近鉄バス「信貴山門」行きが待っている。一面の雪景色とは言わぬまでもそここに雪化粧。やはり寒い。乗客 2人。1つ目のバス停で独りになり、2つ目が終点。

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「信貴山門」バスターミナル着。240円払って下車。人っ子一人居ない。粉雪舞う目前の看板は♪歓迎/ようこそ信貴山へ/観光地信貴山♪。この辺標高略 300m。
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236号線から右 183号線へ分岐。結構な車道で驚くが、車の少ないことにもまた驚く。ここは奈良県生駒郡三郷町。(この辺で左方遠く朝護孫寺を見たように思うが写真を撮り損ねた)

右は大袈裟に言えばダム湖か。その堰堤のような橋を渡って左へ上がったところが奈良・大阪の府県境。依然舞う粉雪。⇒クリック拡大

真言宗竹林寺。ここも朝護孫寺同様毘沙門天を祭る。あっけらかんとして何ともはや風情のカケラもない。当寺の前からすぐ本堂地区への小道に入る。

柏原市本堂ほんどう地区。中央に民家と異なる屋根を見つけるが、「あゝあれはお寺かな。。。神社ではない。。。いやいやこういう在所では習合している例が多いし、探すとすればあの近所だろう。。。」 瞬時に乃公の頭の中をよぎったのは以上。エエ勘していると数分後に自画自賛することになる。

上の写真の赤い「防火水そう」標識の右のコンクリ道を少し上がると、あのお寺風の建物の丁度上にこのお社があった。延喜式内社・大狛おおこま神社。

前記お屋根のお寺・生安しょうあん寺。本堂。寄棟だが棟が左右に伸びて両端に鯱鉾が乗せられている。

生安寺本堂にかけられた鰐口わにくち。境内の解説板にはこう記されている。 ♪銅製鰐口(金鼓)(中略)もと道明寺(藤井寺市)内にあった長福寺のもので1371年に鋳造された(中略)。戦国時代道明寺では戦乱から寺宝を守るためそれらを付近の安全な寺々へ避難させた(後略)/柏原市教育委員会♪

地区内で見かけた大和棟の家。急峻な斜面に家々が並び、隠れ里の雰囲気がある。

本堂地区から 183号線へ戻り、車道歩きとなる。次の目的地まで約3km。

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奈良盆地の上空は雪雲。手前に拡がるのはブドウ畑。

振り返れば遥かに本堂地区が見える。まさに山の斜面にへばりついている感じ。onmouse-up

道端の檻の中で体重 100kg以上ありそうな大イノシシが無聊をかこっていた。

遥か南方に金剛・葛城・二上山を望む。

雁多尾畑かりんどばた集落に出る。出るという表現がピッタリで、柏原市域を中景に遥か紀泉の山並みまで一望の下。雁多尾畑って凄い山の中、という乃公の先入観を吹き飛ばしてくれた。

Nexus上のGoogle Mapを一瞬読み損ねてラッキーだったという話。ここは雁多尾畑の光徳寺。山門(左)脇には♪圓融法皇 後堀河院 勅願所 松谷光徳寺♪の碑がある。右は本堂。またの名を「雁林堂かりんどう」といい、これが当地地名の起こりとされる。道を間違えなかったらここは寄らずじまいだったに違いない。怪我の功名。

雁多尾畑の氏神・金山媛かなやまひめ神社。青谷の金山彦神社ともども式内社。

堅上中学校を過ぎて西方に真っ直ぐな峠道が見える。安堂方面へ越える道だ。

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青谷に入ったら溜池の傍に氏神・金山彦かなやまひこ神社。前記金山媛神社同様、かつての“たたら製鉄”の祖神を祀るらしい。

そして柏原市教育発祥の地とされる青谷寺せいこくじ。その昔、当寺に市内で初めて学校が置かれたと伝える。onmouse-up

煙出しや白壁の土蔵など古い佇まいを残す青谷集落を抜けると、、、

大和川に出た! 写真は国分寺大橋から下流望見。遥か遠く玉手山丘陵。

♪梅一輪 一輪ほどの暖かさ♪ 服部嵐雪

河内国分寺塔跡。七重の塔だったといわれ、国分寺大橋から 500m余り南西に位置する。それにしても大和川南岸の斜面というさほど広い敷地を取れなかったであろう場所によくもまあ、という感じである。

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あろうことか「国分寺」の名を冠した真新しい毘沙門堂(ここも毘沙門天を祀るのだ!)があり、

その脇のこの石段の上に式内・杜本神社の祠がある。
 石段右傍の古い名号碑には 森杉龍王大権現、森本大菩薩、薬森龍王、光杉龍王、子森龍王、森山龍王 と記され「モリモト」信仰、「竜王」信仰が連綿と続いていたことを物語る。onmouse-up

 

次いで 1.5km西方の国分神社(左)、その境内社で式内社の杜本神社(右)を訪い、裏山の(今は国分神社管理になっている)国史跡・松岳山まつおかやま古墳へ。

この古墳は古墳時代前期後半の造営といわれる前方後円墳で、墳丘長 130m。後円部竪穴式石室に組合式石棺を納める。何より日本最古の金属製「船氏王後墓誌」(国宝)が出土したことで有名。この名前を憶えてから今日まで何十年。細部まで記憶していたのに、Wikiなどで調べないと出てこない。

ここから更に西方 1.2km歩いて近鉄・河内国分駅。例によって例の如く元気一杯の遅昼をすまして帰途につく。
 そう、今のうちに落穂を表出しておこう。狭山神社(狭山堤神社)、利雁神社、科長神社、 磐船大神社、酒倉大神小祠。バラバラだ。 今日歩いたうち古い神社についての詳細はこちらにあります。ご興味のある方はどうぞ。

今日の総歩数 22,210 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら