♣ AZハイキング第139回例会 “赤穂城下町散策と忘年会” ♣
赤穂、それは忠臣蔵の町。赤穂、それは塩田で栄えた町。そして今は? と聞かれると「JR新快速・播州赤穂行」しか出てこない。てなことで赤穂初見参の乃公は期待頻りであった。そのためかどうか解らないが、10時10分集合のところ半時間も早く着いてしまった。 街なかは昨日までの赤穂義士祭の後片付け中であった。 |
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改札を出ると、まアあるわあるわ、忠臣蔵関連の展示。写していたらきりがない。でも、やはり先日早世した十八代目中村勘三郎の写真が目を惹く。 |
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駅前通りのそこここにも。 |
日本三大上水道の一と云われる赤穂上水道遺跡の桝形石組み。1944年本格的上水道が出来るまで現役だったという。 |
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息継ぎ井戸。早見藤左衛門・萱野三平の両名が、早駕籠で主君刃傷の報をもって江戸より駆けつけた際、この井戸で一息ついて城内の大石内蔵助邸へ入ったと言われる。 |
浅野家菩提寺・花岳寺山門。扁額は『臺雲山』。これはもと赤穂城の門だったのを移築した。 |
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本堂。屋根下の扁額には『華嶽寺』とある。 |
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本堂天井の「竹に虎」はもともと五月節句の幟(のぼり)として描かれた絵。 安政元年寅年、法橋義信(ほっきょうよしのぶ)が65才の時描いたと伝える。(クリックすると虎が立ち上がります) |
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「大石なごりの松」。いわば初代で、当寺本堂前にあったものと伝える。義士たちも触ったに相違ない。 |
その二代目。昭和3年に相生市から贈られた。 |
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可愛らしい飾りつけが道端の店に見られた。 |
連子格子の家。 |
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鳩の飛ぶ赤穂城大手隅櫓。向こうにつつましく見えるのが大手門。 |
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近藤源八宅跡長屋門 |
大石良雄邸跡長屋門。ここの辺りから大石神社正面へかけて露店がいっぱい。 |
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大石神社大鳥居。周りが閑散としている分、この露店の賑わいは一際目を引く。 |
大石神社。参拝してきた。 |
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以上で本日のハイキング=街歩きは無慮一時間半(笑)を閲して終了。あと出迎えのシャトルバスに乗り込んで一路忘年会会場・銀波荘へ。 |
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会場から赤穂御崎の風景を愛でる。 |
ここから参加のY会長さんを交えて忘年会(牡蠣フルコース)開始。何か一品まだ来てませんが。 |
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忘年会中締め後早々に失礼して銀波荘をあとにする。この思い切りの良さ(?)が災いして記念写真から外れてしまった。とはあとで判ったこと。どーしてもこの怪態な習性は抜けない。嗚呼。 かくしてこの後はプライベート単独行。 |
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伊和都比賣神社は銀波荘のすぐすばにある。平安時代延喜式神名帳に名が残る名社。 |
大海原に面して立つ伊和都比賣神社大鳥居。扁額はかつての元帥海軍大将・東郷平八郎の筆になるもの。onmouse-up |
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さあこれから歩いて駅へ向かおう。赤穂漁港の船溜りから赤穂御崎灯台方面を振り返る。 |
水路を隔てて右手は海浜公園、海洋科学館、遊園地、海水浴場など塩田跡地転用施設が広がる。 |
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海浜公園から北へ伸びる道路沿いに十二支の石像がある。東側は北から子〜巳、西側は南から午〜亥がほぼ等間隔に並んでいる。まず来年の巳(左)のそばでセルフで、次いで乃公の子(右)の傍で通りがかりの人に撮って頂いた。 |
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赤穂海浜大橋中央部から来し方を振り返る。 |
赤穂城址に戻ってきた。これは東の隅櫓台石垣。 |
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ここは清水門跡。石垣は東北隅櫓台。白壁は歴史博物館。 |
大手門。最近復元されたのだとか。昨日までの祭りの後片付けで撮影角度は極度に狭められる。 |
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天守台はあるが、天守閣はついぞ作られることはなかったという。赤穂祭の片付けをしている初老の方から丁寧な説明を拝聴。親切だった。 |
天守に数年前からこういう構築物を仮設し、夜間点灯する試みがはじまった由。onmouse-幻の天守up |
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ということで気が付けば予定の列車時刻にあまり余裕がない。予定していたお土産もなにもかも取り止めてJR播州赤穂駅へ急ぐ。・・・ 思えば今年は乃公史上最高の出席率=83%=を記録したものの、勝手な行動が災いしてK大人やメンバーの皆さんに多大のご迷惑をおかけした。動けるうちがハナ、というのは単独行のときの言い草であって、グループ行動はそうはゆかぬもの。来年こそ、と帰りの車中で独り言ちたのであった。 |
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今日の総歩数 不明(帰路含め約9km)  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |
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応接室にK大人ご来駕 | ||
行程表と参加者 |
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赤穂城大手隅櫓前にて |
銀波荘牡蠣フルコース |
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忘年会 |
忘年会(大兄の居ない記念写真) |