♣ 独 行 “式内社巡り河内編いくつか目” ♣
このページを作りかけてすぐPCがクラッシュし、そのあと行事が立て込み、漸く再稼動状況になってみると、この日の細目はあらかた記憶から飛んでいる。でも泣き言は言っておれない。後の仕事がまだあるのだから。“古いことはよう憶えているのに昨日のことは全然・・・”という言い訳を脇に置いておかずばなるまいて。でも齢だのう。 |
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玉手山は以前カルチャーで来て安福寺や横穴古墳を見たことがあるが、玉手山そのものはよく知らないまま。河内国分駅から西進して北端に辿り着くとそこは前期古墳・玉手山一号墳(これは前方部)。 |
一号墳墳頂には大坂夏の陣で討ち死にした、徳川方の武将・奥田三郎右衛門の墓があった。 |
すぐ南・墓地で埋め尽くされた二号墳の傍を通り、まず山の南端へ抜けようとしたが行き止まり。引き返すとそこは安福寺。 |
安福寺本堂。横穴古墳も重文の割竹型石棺の蓋も今回はパス。 |
左手すぐに式内社・伯太彦神社。ささやかなお社。南面するが参道は右Uターンして北向き。 |
参道を降りて鳥居をくぐると右手に安福寺山門。何も書いてない。知らないと行過ぎそうだ。ここで坂道を降りてぐるっと左へ山を巻く。 |
ここが今回初めて訪れた式内社・伯太姫神社。おそらくさっきの「・・彦」と対だろうな。直線で500mがとこ離れているが。鬱蒼とした社叢が印象的。こっちのほうが立派だナ。 |
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伯太姫神社から西名阪道に沿って東進、原川沿いに北進して河内国分駅に戻る。駅前O店で餃子定食と格闘し、無事征伐(笑)。この近辺にも何かあったな、とは思うものの、地図を見る書店もなく、仕方がないので記憶にあった3社に向けて一路大和川の北を目指す。 |
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25号線が大和川を渡る橋が国豊橋。東北方の紅葉した山を望む。飛鳥の昔、この山峡を遡行してモノやヒトが大和へ流入した。左マンションの右側に茂みが見えるが、白坂神社。ここを逃した。ノーマップのせい。その向こうがJR高井田駅。 |
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ということで国豊橋を渡ってすぐJR踏切を渡り、近鉄沿いに北進。ここでも一つ天湯川田神社を逃した。写真は安堂駅東方500m地点で。 |
大和川付け替え地点付近を西望。見える橋は、手前が170号線、奥は外環状線か。 |
雁多尾畑・・・「カリンドバタ」と読む。生駒信貴山系の南端斜面の集落。 |
そして右を見るとうっそうとした樟の巨木。石神社だ。 |
この樟は周囲約6メートル・高さ約16メートル以上、樹齢700〜800年と推定されており、大阪府指定天然記念物という。存在感あり。 |
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この近くに智識寺という大寺があり、祀られた盧遮那仏を見た聖武天皇が東大寺大仏造営を発願したと伝える。写真は当社鳥居脇に据えられている智識寺東塔礎石。大きなものだ。 |
道端の花一輪。 |
170号線の山側の北行すること約1km。山際に社叢。鐸比古鐸比賣神社。だんだん石段がキツくなってくる。 |
お社前の鳥居は曲線がかって洒落たもの。onmouse-up |
境内の紅葉。暫し紅葉狩りで足を休める。 |
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同上。 |
ここでまたノーマップのせいで2つ逃した。見つけたのはその2つを通り過ぎた先。前に来たことのあるお社で、これで既踏地に入ったと判断し、恩智駅に出て帰途につく。 |
今日の総歩数 不明(約13km)  ̄|△| ̄ ルートマップはこちら |