奈良阪は迷子坂(´_`。)  2012年11月4日

♣ AZハイキング第138回例会 “奈良阪・転害門” ♣

♪ 何にも奈良阪、般若坂 ♪ とは乃公幼少時いつとはなしに口にしていた「何にもならない」という程の軽口である。今日のハイキング案内時にも気付かなかったが、般若寺の前にさしかかったとき、不意にこの言葉が、それこそ6〜70年ぶりに口を衝いて出てきた。驚きだった。そんな幼い頃奈良阪も般若寺も知っていたわけがない。今日ここに来てその軽口が出てくるという、人間の記憶というものの摩訶不思議さをあらためて思ったことであった。

ホトトギスの花。なんとこれが乃公の目の前に現れ、撮ってくれ、という。そんなこんなしているうちに坂を登って、左手に大仏殿や若草山の眺めが広がり、、そして気が付いたら皆さんが居なかった。いや、居ないほうへ乃公が盲目行軍していたのであった。K大人、そして皆さんにご迷惑をお掛けしました。 実は何とか講座みたいなグループの集団に巻き込まれたせいもある(言い訳)。

奈良阪バス停下車。ここから旧街道を南下する。

すぐあったのが高札場。すべてレプリカで読み易い。

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式内・奈良豆比古ならずひこ神社一の鳥居から神門へ。

本殿。この神社はずっと「春日社」呼ばれていたという。onmouse-証拠up

この舞台が拝殿の代わりをしている。京都でよく見る形。

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金魚葉椿。いままでにも処々の椿園でお目にかかっている筈だという。花ばっかり見ていた証拠に何も憶えていない。onmouse-up

当社ご神木の樟の巨木。公称樹齢千二百年。乃公よくお社巡りをするが今までこんなデカイのを見たことが無い。click-up

京街道が奈良阪バス停から般若寺の傍を通り転害門にいたる道を ♪般若坂♪ という。般若寺は境内はコスモス満開。そして正面に当寺の目玉・十三重の石塔が聳える。鎌倉中期に建てられたもので高さ 14.2m(重文)。楼門をガードする柵に手を突っ込んで望遠で撮った。

そう、五百円也の入山料を節約しました(笑)。シャットアウトされているが、この楼門は街道沿い一番の威容。この前で人波の切れ目を狙って集合写真を撮る。

神さんと仏さんにお参りしたらつぎはおなか。植村牧場さんの売店で物凄い行列に並んで乳製品を賞味。乃公は牛乳、でもソフトクリームの人の方が多かったか。

すぐ南を一筋西に入るとそこは奈良少年刑務所の外壁。250mに及ぶ。

刑務所正門。明治41年に竣功。明治の五大監獄の一といわれた。

正門はまるで遊園地の古城の塔。童話の世界を思わせる。

煉瓦造の本館。これも同年竣功。この高さで二階建だという。乃公ゆくりなくも北海道庁旧館を想起した。

浄福寺外壁面で睨みを利かす鬼瓦。だいたいこんな場所にあるべきものでないけれど、乃公はここに当寺住職の遊び心を感じた。厄除けという鬼瓦の役目を考えればこれも“アリ”。

浄福寺の対面に夕日地蔵。会津八一歌集「南京うたまくら」所載のうた ♪奈良阪の石の佛のおとがいに小雨流るる春は来にけり♪ (この歌集の歌はすべて平仮名表記) が有名。

浄福寺参道石段で大仏殿や若草山(右写真)を望みつつ記念写真。乃公が撮ることは珍事に属する(笑)。

浄福寺正面のこの風格ある長屋は北山十八軒戸きたやまじゅうはちけんこといい、鎌倉時代にハンセン氏病患者救済のため建てられたもので、国の史跡に指定されている。(ネット上で「戸」の読み方は「こ」「と」「ど」の3通りあり、定めがたい)

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旧奈良市水道計量器室。大正中期に建てられた煉瓦造。onmouse-up 右から読むべし。

軒のこんな写真を撮っているうちにメンバーを見失う。大勢右の坂を登ってゆき正面には人影が無い。人の多いほうへ行ったと思うのは人情だよな。。。。。

それで一所懸命登ってゆく途中、冒頭のホトトギスの花を見つけたのだ。坂を上がりきると若草中学校のグラウンド。
!!この階段おかしいと思いませんか。登りきったところは金網で塞がれて通れない、歩いている生徒達は右のスロープを降りようとしている。想像するに、以前はグラウンドへ上がるのにこの階段を使っており、その時はスロープも無ければ階段上の金網もなかった。スロープを作ったあと、階段を取り壊すのが面倒でこの状態になったのだ、と。赤瀬川原平の提唱していたトマソンの一つ「無用階段」の典型である。
 因みに金網に貼られた掲示は 「許可なく校内へ立ち入りを禁ず/学校長」。“入られへん”ちゅうねン。

何はともあれ皆さんご迷惑をお掛けしました。
遠回りのため1kmほど余分に走らせていただきました。(´_`。)
いやいや乃公が走ったことではなく、皆さんを待たせたことを反省せんカイ!

寿限無寿限無五劫の擦り切れ(ず)でおなじみの五劫院。おなじみと言っても当寺は落語とは関係ない。ここでお昼を使わせていただく。

NTさんから自家製無農薬みかんを頂く。とりあえず本堂正面にお供えし、お下がりを頂戴した。おいしかった。

本堂横手につつましく「見返り地蔵」(左)と「朝日地蔵」(右)。

午後第一目的地は空海寺。空海がここで「いろは仮名」を作ったと伝えられる。

空海寺から正倉院外域を東に回り込む。このあたりからシカが多くなる。この小鹿は何かもらえると思ったのだろう。カメラを構えてもいっかな逃げようとはしなかった。が、しゃがむと逃げそうで、結果こういう上目線の写真となってしまった。NTさんが投げるミカンの皮をおいしそうに食べていた。新発見。

東大寺大仏殿裏手のと、“逆さ大仏殿”。

転害門てがいもん。大仏完成時勧請した八幡神がここから入り(右の4つの石は神輿の置き台石)、「災害を転じて福となす」と仰ってこの名が付いたという。

手貝町てがいちょうバス停標識。門前(北側)の町名が手貝町。これは「転害」という字が読み難いのと、“転ずる”とは言い条、「害」という字を避けて付けられたのではないか。

天璽国押開豊桜彦天皇あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみことこと聖武天皇陵・佐保山南陵さほやまのみなみのみささぎ。この東側に光明皇后の陵・佐保山東陵さほやまのひがしのみささぎが並んでいる。

奈良女子大は文化祭の最終日。半時間フリータイムとして各自三々五々見学。これは珍しい奉安殿の遺構。終戦時の一斉取り壊しにも目こぼしがあったみたい。

旧本館二階講堂。向こうのピアノはこれも珍しい「山葉ヤマハ」の時代物のピアノ。手前にはスタインウェイもあった。

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旧本館裏の特設ステージで “フォーティエイト奈良女(?笑)” がパフォーマンスの最中。onmouse-up 『旧奈良女子高等師範学校』イメージが大きく覆されてしまった(笑)。因みにこの旧本館は国の重要文化財。

古い交番「旧鍋屋交番」の遺構。いまは「きたまち案内所」つまり観光案内所として使われている。

女子大前通りの先に見かけた茅屋めいたお社。調べると「初宮はつみや神社」。春日神社の末社の一つ。

ここから一路近鉄奈良駅へ直行。例の場所で例の恒例行事を楽しんでお開き。今日のコースは乃公としては初めてのところが多く興味深い散策であった。
 個人的には、奈良豆比神社に触発されたわけではないが、集合前に1社、解散後に2社の式内社を訪れ、都合4社クリアできた。

今日の総歩数 18,892歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら

応接室にK大人ご来駕
 

行程表及び参加者

 

般若寺楼門前

 

転害門前