♣ 独行“北摂の式内社を訪ねて−13−” ♣
モノの本によると、神戸市須磨区の須磨浦公園の西端を流れる、堺川という 溝のような小川が、摂津と播磨の境界だという(豆石煌さんのブログ参考にさせていただきました。謝々)。そうすると昨春訪れた垂水の海(わたつみ)神社が播磨の東端の式内社か。航空写真でみると六甲山系の西端が瀬戸内海に没するところあたりが境界らしい。昔の人は当然ながら自然地形で国を分けること、今想像する以上であったようだ。 |
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長田神社拝殿。このお社は摂社が多いが、特に樟をご神体とした後方に鎮座するお社は雰囲気があった。ここの樟木は大きいのばかりだ。 攝津名所圖會に曰く 「長田神社(ながたのじんじゃ) 長田村にあり。西国街道の北側に鳥居あり。これより左右並松二町許ありて、長田の民家を経て本社に至る。(中略)祭神事代主命。〔延喜式〕に曰く、名神大、月次、相嘗・新嘗、例祭八月十八日、長田・西代・東尻池・西尻池・池田・西須磨等六箇村の生土神とす。(後略)」 |
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21号線沿いに建つ長田神社の鳥居。阪神淡路大震災でこの付近は特に大きな被害を蒙ったが、この鳥居も例に洩れずぽっきり折れてしまった。その残骸が右手社号碑の前にモニュメントとして置かれている。(→ここ) |
社前の赤い橋。実は鳥居からここまでの数百mは参道のはずなのだが、ずっと住宅地でその雰囲気が全くない。 |
長田神社本殿。ここは毎月一日の「朔日参り」が有名だとかで人出が多かった。特にきみまろさんの云う中高年が。 |
東参道の赤い鳥居。露店が見えるが。この雰囲気が鳥居を出てから駅までの商店街へと色濃く続いている。こっちがサブのようで実際の参道なのだね。 |
長田からこんどは地下鉄で新神戸へ向かう。駅の数6。結構な距離だ。現在の市街地でこの間(敏馬神社のある阪神岩屋駅まで更に2駅)生田神社しか式内社が存在しない、ということは、当時この辺はまだ大きな集落の少ない地域だったということだろうか。(閑話休題)さあここから河内国魂神社目指して歩いたこと歩いたこと。山手を平行移動するだけ、という事前予測は甘く、結構アップダウンがあった。大きい病院二つ、神戸海星女子、葺合高、スポーツセンターなどと退屈はしなかったが、バス停にして10の区間を歩いた(帰宅してから勘定した)。 |
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河内国魂神社拝殿(今日訪れたうちここだけ旧菟原郡)。最寄りのバス停の名前は「五毛天神前」。道理で牛の像があったり瓦の紋が梅鉢だったりするわけだ。 攝津名所圖會に曰く 「河内國魂神社(かうちくにたまのじんじゃ) 五毛村にあり。〔延喜式〕に出づ。今天神と稱す。上野・畑原・篠原の生土神とす。文明年中の社記あり。」 |
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バス通りから撮影。そう、すぐ左がバス停なのだ。 |
神戸は樟木が多いがこのお社のは大きく覆いかぶさっている。 |
社号碑。だが、今まで見てきた社号碑と微妙に字体・雰囲気が異なる。 |
西側塀越しに本殿を覗いたが、千木(ちぎ)が辛うじて見えただけ。 |
東に隣接する禅宗のお寺・海蔵寺。この名前どっかで聞いたことあるなァ。 |
王子公園の東沿いに南下すると桜の木の間隠れに旧ハンター邸が見えた。見えますか? |
青谷川まで戻り、王子公園沿いに南下するとすぐ右に旧ハンター邸(上記)が見えてくる。いや、木の間隠れにそれらしいものを見たに過ぎないのだが。ガードマンに聞くと「南側の正門から入ってここまで上がって来てください」とのことで断念。あと、1月の“ひょうごメモリアルウォーク”のコースに入ってJR線、旧線跡を越え国道2号線に突き当たるとすぐ右の高台が敏馬神社。ここにきて漸く空は青空。 |
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敏馬神社拝殿。ちょうど晴れてきたことも与って気持ちのよい参拝だった。 攝津名所圖會に曰く 「敏馬神社(みぬめのじんじゃ) 岩屋村にあり。〔延喜式〕には八部郡に載す。岩屋・大石・味泥の生土神とす。例祭八月十三日。此神は原能勢郡敏馬山にあり。神功皇后船を造らしめ給う功により、神を此浦に祭り給ふ。元の地名によって敏馬神といふ。〔風土記〕に見えたり。仙覚萬葉の註も同じ。」 ちなみに延喜式には「汶賣」と記されている。 |
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敏馬神社一の鳥居。扁額には「敏馬社」とある。国道2号線に面しまさに“威風堂々”。 |
正面参道石段脇にある柿本人麻呂の歌碑。 ♪玉藻(たまも)刈る敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草の野島(のしま)が崎に舟近づきぬ♪ |
敏馬神社本殿。遊んでいた幼女に「オッチャンナニ撮ッテンノ」と繰り返し聞かれた。珍しかったんだろうな。 |
西口の社号碑。正面が「縣社・・・」で、これが「式内・・・」。 |
今日歩いた旧八部郡の範囲内で一つだけ抜かした。それは生田神社。理由はAZの今年の年頭例会で行ったということにつきる。しかし、攝津名所圖會の引用でこの地区を締めくくりたいので、下記に再掲することにした。 |
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攝津名所圖會に曰く 「生田神社(いくたのじんじゃ) 生田宮村にあり。〔延喜式〕に曰く、名神大、月次、相嘗、新嘗。近隣二十四箇村の生土神とす。例祭七月三十日、又八月二十日。古は生田川の水上砂山にありて、地名を生田長狭國と稱す。武庫郡の廣田國の類なるべし。例祭にむかしは神輿を兵庫の津・和田の御崎まで神幸あり。其時砂山瀧之寺幷に村甲海上氏供奉す。中頃此事絶えたり。今も遺風ありて、海上氏烏帽子装束にて、八月二十日の祭には神輿の神役を勤む。農家に海上氏大切なるによって、享保年中白川家より村田氏を賜るなり。」 |
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以上で予定終了。阪急王子公園駅まで戻って帰途に着く。 |
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