生田神社初詣・ヴィーナスブリッジ  2010年1月16日

♣ AZハイキング第104回例会“生田神社初詣・ヴィーナスブリッジ” ♣

社頭の大きな虎の絵馬が目を惹く。JRや阪急三宮駅に近く、いつ来ても賑わっている。一同今年のAZハイキングの無事を願ってお詣りした。

神話時代に遡る歴史に彩られた生田の森。“気”を感じるという人が多い。

巨大な樟(くすのき)。こんなのが何本も生えている。幾多の天変地異や戦乱を見てきたのだろう。

ここを抜けて一路諏訪山公園を目指す。

明治7年(1874) フランスの天体観測隊がこの地で金星の太陽面通過を観測した。それ以来ここを金星台と呼ぶ。これはその記念碑。

金星台の背面の小高い丘の頂上にある「海軍営之碑」。これは元治元年(1864)神戸で海軍操練所を開設した勝海舟の直筆を碑に刻んだものという。

ビーナスブリッジのループ曲線を下から仰ぐ。この名前はもちろん金星台からつけられたものにちがいない。(印刷物や銘板表記が“ビーナス”でしたので本文内は全てそれに統一しました)

ビーナスブリッジ(標高略160b)から神戸市街俯瞰。中央の一際濃い緑は相楽園の庭園。(→拡大)。向こうの港はかつて大輪田泊(おおわだのとまり)とか兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれた。いまは神戸港

展望台“ビーナステラス”の南京錠モニュメントについていた錠前の一つ。手すりの錠前が撤去されて日が浅いのか、まだ数は少ない。

ビーナステラス背後は左が碇(いかり)山(標高約300b)、右が市章山。ちょうど雲で暗く写ってしまった。残念。(→拡大)

諏訪神社。ところが諏訪稲荷大明神ともあって表記がまちまち。多分「公には諏訪神社」で一般に稲荷大明神と呼び慣わされているのだろう。立派なお狐さんが狛犬代わりにあたりを睥睨していた。

長い階段をおりてきたところには遥拝所(登るのがシンドイ方のため?)。そして交番。そのそばにこれが咲いていた。一瞬目を疑ったがサクラには違いない。(後日談:K大人のご教示でカンザクラと判明)

上から見えた相楽園庭園。まず大蘇鉄(オオソテツ)。ひとしきり♪赤い蘇鉄の 実も熟れる頃〜加那も年頃〜加那も年頃〜大島育ち♪にハマっている方々がいた。

何故か馬を入れたことがないといわれる見事な旧小寺家の厩(うまや)。今や国の重要文化財。

旧ハッサム邸。北野町から移築されたものだという、コロニアル風の建物。重文。前庭に見える傾いだ煉瓦構造物は屋上にあった煙突。阪神淡路大震災で屋根と二階の床を突き破って一階に落下したもの。

瓢箪池に面した船屋形。姫路藩主が川遊覧に使っていたものを上部だけ移築したのだそうな。やたらケバい。これも重文。

茶室・浣心亭(かんしんてい)。瓢箪池畔に船屋形に対面して建つ

瓢箪池全景。これがとても都心、それも神戸の街のど真ん中にあるとは思えない。

小寺邸時代からある檜造りの堂々たる正門。
ここを出て午餐場所に向かう。これをもって“生田神社へ初詣からヴィーナスブリッジへの散策”と銘打った初歩きはジ・エンド。

午餐後、有志でJR新長田へ。駅近くに出来た鉄人28号モニュメントを観に行く。高さ15.6b、重量約50d。阪神大震災後の復興・商店街活性化活動プロジェクトの一環として去年9月完成したのだそうな。その大きさに息を呑む。“ガンバレ神戸”、“ガンバレ長田”。
【さえらのすしの懺悔】海外にいる孫にこの写真を入れたメールを送っていてメンバーとはぐれました。だいぶん待っていただいたそうで、申し訳ないことでした。ということであとは独り神戸高速・西代駅まで歩いて帰宅しました。

今日の総歩数 15,241歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら

応接室にK大人ご来駕
 

行程表及び参加者

 

生田神社社頭

 

ビーナスブリッジ

 

ビーナステラス

 

相楽園庭園の大蘇鉄

 

打ち上げ