楠公さんと蝋梅と金剛山  2010年2月4日

♣ 歴史ハイキング“楠公史跡を巡る”の独行編 ♣

一週間前都合で参加できなかった歴史ハイキング“楠公史跡を巡る”のあとをなぞって歩こう、と。
ㅤ以前にも良く似た事があったな、と振り返るとあった。(→こちら) 7年前同じカルチャーの「万葉を歩く」のなぞりで丹比道を歩いた。季節もほぼ同じ。

けど、楠公さんって、今、死語になってやしないだろうか。“忠君愛国”のシンボルと叩き込まれたのは六十有余年前。

観心寺バス停は山門の200mほど手前にある。小吹台への道を分ける交差点に「2℃」の表示。同じバスで降りた女性一人以外人気ひとけがない

「大楠公」こと楠(楠木)正成騎馬像。観心寺正面に威風堂々と建つ。

檜尾山観心寺。申し訳ないが門前で一礼して通過する。楠木の家紋と伝えられる菊水紋があざやか。

車道の狭さと車の量におそれをなして南門橋を渡り石見川左岸の山添いの林道を歩く。本道に戻れる保証がなく少々心細かった。出逢ったのは郵便配達のバイクだけ。四分の三くらい行ったところで一軒家を見つけ、犬に吠えられながら聞くと「すぐ橋があります」。やっと人心地がつく

途中の田圃で溜まり水が凍っている。田圃の向こうが川でその向うに車道。農夫が一人畑の手入れをしていた。

ここがその橋。戻りの郵便配達をやり過ごして左手車道に上がるとそこが「鳩の原」バス停。

「鳩の原」バス停からすぐ中津原への峠道が左に分かれて上がって行く。ここにも気温表示板があって、見ると「1℃」。写真を撮るため右手袋を外しているがすぐかじかむ。

峠道途中、右の山の陰になっている段畠に雪が残っている。

峠道の集落が尽きるあたりで西方向を振り返る。

ようやく峠。ここで河内長野市から千早赤阪村(府下で唯一残る“村”)へ入る。村名表示のほか、路線表示「中津原寺元線」と地域名「小吹」のプレートが重なり、ここから道は下り基調。

鳩の原分岐にあった道標「子安地蔵あと八丁」の子安地蔵こと融通念仏宗十里辻本西恩寺がここ。ここも門前で一礼して通過。この辺から中津原の山里風景がはじまる。

中津原に咲く蝋梅ろうばい

この白いのも蝋梅か?
ㅤてなことを言っているうちに吉年よどし集落への道を見落として東阪へ出てしまう。このため20分がとこ北上して北から吉年へ入るはめになる。

ところで、そう、これが本当の蝋梅らしいのです。じゃ普段見かける黄色いのは?・・・あれは『ソシンロウバイ』という栽培品種らしいということがK大人のお調べで判明しました(花の中心部が赤っぽいのが特徴)。記して謝意を表します。でも、一般には黄色い方が蝋梅と呼ばれていることが現実だし、いちいち区別するのも面倒なので、これからは両方とも蝋梅と記し、特に必要な場合だけ注記することにいたします。大方のご海容を乞う。

三叉路にあった(左)甘南備2km、(右)千早5kmの標識。分岐点には地図が欲しい。今回は楠公史跡附近以外で案内地図がほとんどなかった。

実は上の蝋梅とこの標識の写真は順序が逆で、この標識のほうが数十分先なのです。配置の都合でこうなりました。

ガイドに“吉年古民家集落”とあったが見当たらない。強いて言えば写真の豪壮な家の屋根がそれらしかったが、それだけ。南行して先ほど「入るべき」だった東阪分岐に行き当たり引き返す。

・・それにしてもこの辺は以前来たことがあるとなァ、とデジャビュにとりつかれる。いつ何の時だったかな???

上記豪壮な家の裏を喘ぎつつ登ると、吉年の産土神、金峰きんぷ神社がある高塚山のピーク(295.5m=三角点標識を見落とした。残念)に着く。眺望絶佳。ここで昼食。北にPLの塔や遠くに二上山、生駒山まで見える。金剛山は竹薮が邪魔して見えない

金峰神社を下りて吉年から老健施設を経由し低い尾根伝いの快適な道となる。ここからはダイヤモンドトレイルの山々が一望のもと。
北望。生駒、二上山方面を望む。赤坂城址はまだ向う。

東望葛城山、右は金剛山(→ここ)。真っ白。

赤坂城の碑(下赤坂城だという)。千早赤阪中学校の裏手にある。ちょうど男子生徒が遊んでおり、その一人に写真を撮ってもらった。大変気持のいい生徒たちで気持が良かった。ちなみに城址に擬せられているのは上、下ともに複数あるという。およそ700年昔の“城郭”ならぬ“城塞・城柵”の末路を思う

赤坂城址の西側にひろがる棚田

中学校を抜けて丘を下り、千早川を渡るとそこは水分すいぶん地区。楠公さん生誕地には記念碑・郷土資料館・ホールのほか、日本で一番小さいと称する道の駅があった。並んでいる商品は山の中だのに海産物がいくつか並び、農産物も他府県のものが多くて興醒め

近くの斜面にある楠公産湯の井戸。

南方数百bにある楠公さんの600年祭(1940年)を記念して建てられた奉建塔。周辺に水仙がたくさん植えられていて、今やその観光シーズンみたいだった。桜の名所でもあるという。遠望写真を撮って通過。
(ちなみにこの前を通って30分ほどで上赤坂城址に到達すると聞いたが今日は諦める)

水越川が山地から平野にかかる谷口に鎮座まします建水分たけみくまり神社。神話時代に創建の由緒をもつこの神社は、農業用水を平野部に公平に分配することが大変な仕事だった時代、それを仕切った人が崇められ、それにあやかり、守護を願う人々の心の表れとして祀られたのだろう。森厳ということばがぴったり。
 建水分神社(たてみわけのかみのやしろ) 水分村にあり。近村都て十八ヶ村の生土神とす。例祭、九月十五日。〔延喜式〕出。又〔三大実録〕云、貞観五年八月授正五位下。同十六年三月授従四位下。元慶三年九月授従四位上。南朝延元二年四月授正一位。額は水分大明神。其背面に記して云、延元二年丁丑四月廿七日勅して授位記。五年庚辰四月八日左衛門の少尉楠正行書す。(後略)(河内名所圖會)
 そばに楠公さんを祀る南木なぎ神社もあった

ほぼ出来上がって何気なく歴史ハイキング講師先生のサイトをのぞいたら、例会時は雨で途中はバスを使ったという。“ああ、オレはこのコースを曲がりなりにも完歩したのだ”といわれなき満足感に浸った。愚か者メが。

今日の総歩数 25,227歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら