♣ きょうだい旅行“長崎くんちと上五島の教会巡り” 2日目 ♣
2年振りとなるわれらが“きょうだい旅行”は例によってFYさんの細部にわたる緻密な計画とハンドルさばきによって長崎県下を舞台に行われた。もう1週間遅れていたら多分台風で帰れなかった。誰の精進がよかったのだろうか。ウン、かの風神雷神もみんなの心根をよしとされたのだろう。そう信じよう。 宿舎→くんち“庭先回り”中央公園桟敷界隈で各町出し物見物→松翁軒→諏訪神社→眼鏡橋→共楽園(チャンポン・皿うどん昼食)→新地中華街→出島→文明堂総本店→宿舎 |
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宿舎東横インを出て中央公園を目指す。残念ながら桟敷は取れなかった。が、ま いいではないか。 |
公園会場周辺で山車を待機する。念の為と入口へ寄って確認するが「予約席完売」だった。 |
はじめてのお祭りとて右も左もわからずすべて当日の一夜漬け(?)。あらためて今わかってきたこと、それはすべて配布された「平成29年長崎くんち庭先回りスケジュール」というパンフレットにある通り、今年当番となるご町内の傘鉾・船(山車)・踊連が予定通りに回っているのだということ。 |
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そして今や上記が銅座町の南蛮船。先に立つ子供たちの屈託のない笑顔。 |
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これは入ってきたのか、東濱町の竜宮船に従う、え?、「虎」? 下は同じく同町の傘鉾。 |
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所在なく時間待ちの子供達の表情は区々。付き添うご父兄方の表情がけっこう緊張気味だったのと対照的。 |
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入場待ちか、東濱町の竜宮船。 |
それ来た、銅座町の南蛮船。 |
今年はくんち名物“龍踊り(じゃおどり)”を演すご町内の出番がない年だそうだが、その中でこの南蛮船が北原白秋の「阿蘭陀船」なる唄♪一つ肥前の長崎に阿蘭陀船が舞い込んだ(々々)(中略)みんな揃えて赤ひげカピタンが(々々)ジャガタラ黒ん坊をラッパで呼び集め(略)♪を思い出させて印象に残った。(蛇足:カピタン=Captain、ジャガタラ=Jakarta(古称Jacatra)) |
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漸く竜宮船入場の出番です。 |
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ということで、小一時間に亘って滞留した中央公園会場を離れ、電車道沿いに北上する。 |
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庭先回り 長崎銀行本店前に竜宮船がきた。 |
カステラの松翁軒。このときはパス。あとでFYさんが仕入れてくれた。 |
くんちは諏訪神社のお祭。ようやく鳥居前に到着したら社殿がはるか上。もののDATAによれば193段あるという。一の鳥居の扁額には「鎮西大社」(ちんぜいたいしゃ)。 |
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大門下の広場。桟敷の存在でわかる通り各町内の鉾・船・踊り等の奉納はここで行われる。FYさんはここで人助け。 |
大門をくぐると 正面は拝殿。 |
諏訪荘の前から本殿を望む。 |
拝殿横にあった“止め事成就の狛犬”。禁酒・禁煙・受験のすべり止め等に霊験ありという。 |
月見茶屋で求めた“長崎ラムネ”。久しぶりで美味しかったが一気飲み出来ず残念。 |
大門へ戻り長坂を下る。“らしい景色”を満喫。正面遠く英彦山(401m)を望む。 |
諏訪神社下交差点の地下道内にあった画。唐子がかわいい。左は東濱町の竜宮船、右は龍踊り。共に「てるを」とサインがあった。(野田照雄=地元在住画家) |
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ということで、地上に出てからは中島川沿いに南下する。途中は石造橋のオンパレードであった、が、 |
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やはりこの眼鏡橋に過ぐるは無い。でも脳裏にあった♪長崎眼鏡橋♪のイメージとはチョト違ったような。。。聞けば、眼鏡橋を含む二、三の橋以外は1982年の大水害で流失ないし壊れてしまって“石造を模したコンクリート造り”に変わっている由。 |
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キレイな風景であるが「鴨川の方が風情あるネェ」という声も仄聞した。 |
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この辺で「ハラヘッタ」の声があり、川沿いのチャンポン店の行列に並ぶ。半時間超待って待望のチャンポンにありついたが、ご婦人連の感想「この皿うどんのあんかけ、甘い」。(そのせいでもないが現物写真は、無い)でも暑い半日の歩きの後 ホッと一息ついたことであった。 |
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新地橋を渡って新地中華街。賑やかな門がお出迎え。 |
出島のシンボル・史跡オランダ商館跡。開国まで出島は阿蘭陀屋敷(おらんだやしき)と呼ばれたという。♪赤い花なら曼珠沙華 阿蘭陀屋敷に雨が降る♪(梅木三郎「長崎物語」) |
出島のジオラマを左に見ながら橋を渡り、県庁前から文明堂総本舗と歩を進める途中で見かけた南蛮船山車の庭先回り。子供たちが勢いよく采配を突き出す様が何ともカッコよく感じられた。 |
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盛り沢山な一日が終わったが明日はこんなものではないという。いったいどんなもんじゃ?それを知りたければこちらを。お休みなさい 長崎の初日。 |