その異様な名前で奥志賀に君臨する焼額山。どんな山なのだろうか。6月という季節に2,000m級の山は一体どうなのだろうか。頼るはミスター前窪の選定というお墨付きだけ。朝食で“焼額山はW地君にリーダーをお願いします”の宣言でやや不安。弁当の話しもあったものの、結局弁当もお茶もなしで9時半ホテルのバスで出発することになる。5人が焼額山登山、8人が信州大学自然教育園見学となり、ただ一人ミスター前窪は昨日からややご不調の様子で、参加を見合わされた。 |
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バスは蓮池から高天ヶ原を経て一ノ瀬のホテル街(?)に着く。左前方に焼額山が居座る(聳えるという感じではない)。信大自然教育園組の中から「この山やったら登れるん違う?」という声が出たのもむべなるかな。ところが登山のための案内表示が全くない。どこから登りだすかがはっきりしないのだ。運転手さんに近所のホテルに聞いてもらう。そのホテルのマネジャー氏曰く「ここは登山コースではありませんよ。あくまでスキーコースで、登るならゲレンデを外れないように登ることですね。前に死人の出る遭難事故があったところですから、くれぐれもガスにご注意。危ないと思ったら戻って下さい」。モシモシ、ビビるでないか。ここまできては中止もならず、皆にかくかくしかじかと説明するわけにもいかない。おまけに食糧がない。近所を見回すが土産物屋どころか缶ドリンクの販売機さえない。食べ物は諦める。もっともこのときは3時間で下山が“楽勝”と思っていたので、食べ物がないことについて全然切迫感はなかった。しかし近辺のホテルは殆ど閉まっており、販売機の電源も外されている。やや焦ってドリンクを探しつつ200mばかり戻る。あった! あった! 浴衣がけのオバちゃん5〜6人組から彼女たちが泊まっているホテルを教えてもらい、ようやく動いている販売機から麦茶2本、ウーロン茶3本を仕入れ、皆に1本ずつ持ってもらう。「飲むときは1本を開けて回し飲みしましょう」。いわずもがなのコメントはヘッポコリーダーが焦っていた証拠か。 |
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ここ一の瀬は雑魚川の源流に近く、野沢方面へ北流して直接信濃川に注いでいる。標高約1,500m。10時10分バスで信大自然教育園に戻る8人を見送り、やや迂回して林道に入り、北に向かう。一行は野村さん、O下さん、K川さん、初参加のI野さん、そしてヘッポコリーダーの5人。低湿地には何と、昨日大騒ぎしたミズバショウが群落をなしているではないか。人の多い所ほどこういうものは消えていく運命にあり、残っているところはまだまだ自然に恵まれているというべきか。 |
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あざやかな新緑の芽吹きの中を歩いて堺沢(境沢)を越えると、ブルドーザーでつくった林道ともツアー用ゲレンデともつかぬものが山腹を駆け上がっている。地図でみるとこれが登山道のようだ。しかし、「入山禁止」そして「財団法人和合会以外の者が山菜をとること禁止」さらに「ゴミ(護美とあった)、缶などは必ず持ち帰ること」これできまり。要は自然を壊さなければハイカーはいいのだ(と勝手に解釈)。折しも山菜とりとおぼしい3人組が大きな袋を肩にかけて通り過ぎる。 |
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途中つくしの群落。すでに胞子が散っている。採られた痕跡はない。都会近郊では信じられない光景である。昨日の平床原の硫黄泉傍のつくし群落に勝るとも劣らない。 |
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10時40分ゲレンデ最下部に着く。ここは堺沢の源頭で、左方ダイヤモンドスキー場への、また右方焼額山へのリフトの登り口である。小憩して残雪の上でまず記念写真。K川さんがはや足を軽く引きずっている。聞けば靴に足がまだなじんでいず、両かかと靴ずれの由。運悪く5人ともバンドエイドのたぐいの持ち合わせがない。本人が大丈夫というので野村さんにサポートとしんがりをお願いして、いよいよ焼額山への登りにかかる。 |
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スキーのゲレンデは数十メートル幅に木が伐採され、芝草が植えられて上方の見通しが非常によい。当然の話だが、これは登山者にとってプラスとマイナスの両面がある。まず明るいので気分がよい。あそこまで、という中間目標がたてやすい。しかし日焼けする。直登になり易く疲れやすい。でもここではまずプラスだったようだ。 |
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この山上は比較的広く、針葉樹の木立の中に湿地が散在しており、一目で全貌がつかめない。木立の中へ遊歩道の木組みが続いている。ミズバショウが至極自然に群れている。その中に、昨日平床原で名前の同定に困った「ショウジョウバカマ(猩々袴)」がひっそりとピンクの花をつけている。 |
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木組みには雪がかぶさっている。1個所の雪は落したが、先を見るといっぱい雪が積もっているではないか。下手して滑ったり、踏み抜いたりすると冷たい雪解け水にザンブリコである。どうやらその奥に、かの稚児池があるらしいが、先を急がねばならない。うろうろしてはいられない。涙をのんであきらめる。 |
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しかし、ここから先が難所であった。まず道標がない。ここから1,960mのピークへの道がわからない。地図では第4リフトがあることになっているが、実際には見当らない。地図によると1,960mピークからは下へゴンドラやリフトが降りているが、駅らしいものは木立で見通しが利かず、全く分からない。そろそろキジ撃ち、花摘みのタイミングだが、場所が何もない。新発見だったがスキーリフト駅には全くといっていいほどトイレの設備がない。 |
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しばらく全員に待って貰い、僅かに切り開かれた雪びっしりの道(か何か分からんところ)を偵察に行く。雪の上を歩きたくなくて、その脇を歩くと、一部でジュクジュクになっているところがあり、歩き辛い。5人のうち一番お粗末な靴をはいていたのが災いする。200mほど行くと急に眼前が開け、ゴンドラ駅が見え、ケーブルが右向こうへ降りているのが見えた。思わず振り向いて「ヤッホー」と呼ぶが返事がない。ここからは聞こえないのだろうと思い、引き返す。 |
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皆と1,960mピークに達したのが、何と午後1時。「←焼額山」の指示標(これがなんと初めて出会った指示標なのだ)で写真を撮り、リフトの乗場のプラットホームに腰を降ろしてI野さんのチョコをかじり、お茶を回し飲みする。ここでもI野さんサスガ!と感嘆する。だいたいキャンデーなりチョコなりを持つのが常識とされている場所で、曲がりなりにも“リーダー”と指名された人間が、何も持ってなかったこと自体言語道断なのである。「ハンセイ」。 |
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ここから第3リフト沿いにゲレンデを降りて行く。途中かなり湿地があり、一部小さな池もあって、ミズバショウが群れている。「ここが稚児池なのだ」という野村さんの宣言によって一同記念写真。だんだんミズバショウに感激しなくなったというぜいたくな発言が出る。右遥か下に奥志賀のホテル群のカラフルな屋根を見つけ、全員元気百倍。腹が途端に鳴りだす。 |
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第2リフト頂上駅で下を見てびっくり。何という急斜面だろう。いつぞや見た大倉山シャンツェの斜面ほどあるのではないか。とても歩いて降りられるところではない。転がるのが関の山だ。ここのプラットホーム下にようやく“あるもの”を見つけて約3名思わずホッ。 |
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ややあって、荷物運搬車用の林道をうねうねと下って行く。まず、両脇に厚さ50pほどの雪の堆積。 |
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そしてフキノトウ、ゼンマイ。白樺、ダケカンバの裸に近い情景が若芽、次いで初々しい若葉に移り変わっていく、時系列の変化がいわば“高度系列”の変化で見ることができる。 |
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このすばらしさはカラー写真ではとても捉えられない。(ヘボカメラマンの下手な言い訳)。 |
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1時半過ぎに第1リフトのゲレンデに出る。ほとんど正面にホテルの建物。林道の出口に「焼額山・稚児池→」の標識。結局今日の行程で指示標は二つしかなかったのである。右手は険しい第2ゲレンデ。左は初心者向きの第1ゲレンデ。思い思いに散開して、両脇に点在するコブシなどの花を愛でながらホテルを目指す。 |
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1時50分奥志賀高原ホテルに飛び込むが、待っていたのは“オーダーストップ”のつれない返事だった。何でも料理人がホンの数分前に客が居なくなったので2時を待たず帰ってしまったと。材料があっても料理する人がいないとて、トーストにすらありつけない。思わずがっくり。気をとり直して「ビールを下さい」とやったのが野村さんだったか、それともO下さんだったか? |
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窓の外には、かの「森の音楽堂」がある。近々堀米ゆず子のヴァイオリンコンサートがあるほか、雪のないシーズンに一流の音楽家によるコンサートが組まれている。小澤征爾が設計にかかわったというこのホールは、六角形の特徴のある屋根をもち、総檜造り。客席がステージを取り巻く形で、収容人員はせいぜい200名程度というぜいたくなもの。堀米さんのコンサートで入場料7,000円というのも無理からぬことと思える。でも、これでもグロス140万円しか入らない。主催者の趣味でもなければ到底やって行けないだろうという、奥志賀のうらやましい話である。 |
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数軒のホテルに加え、さらに新しいホテルが工事中である。1998年の冬季オリンピック目当てだという。大丈夫なんでしょうねェ。やがて時間が来て、ホテル始発・湯田中行きのバスの人となり、蓮池経由で4時に無事帰館。夕食のどれだけおいしかったことか! ヘッポコリーダーにかかわらず、よく歩いてくださった皆さん、お疲れさまでした。 |