ㅤ久しぶりの武奈ヶ岳  平成4(1992)年10月10日ㅤ

   

昭和53年カブスカウトを連れて登った武奈ヶ岳に、DMC有志の懇請もだし難く、再び登ることになった。でも、お膳立てはM武氏。しかも女性連れのため(いやいや、こちらがしんどいからかナ?)往復ともリフト、ロープウエイのお世話になる。
 次男にJR茨木まで車で送ってもらう予定だったが、朝食を終えたのが6:55。つまり一番バスに間にあう時刻だったため、あわてて飛び出す。ただ早すぎたおかげで京都駅で小一時間待つはめになる。
 体育の日とて登山スタイルの人が多く、お目当ての8:47発列車も8:20頃から並び出す始末。8時台前半に1番線から湖西線方面に2本も出る臨時列車(ガラガラ)を横目で見ながらイライラ。仕方がないので列に加わるが、M武氏が現れたのが乃公が乗り込んでから。女性二人は発車まぎわという有様であった。
 列車は満員。山科、西大津と乗客は増えるばかり。半時間は耐えるのみで過ぎる。空は快晴。蓬莱で少なからぬ客を降ろし、比良で殆ど下車する。駅前に何とか会の受付があり、ゼッケンを渡している。これは相当混むぞとふと思ったが・・・・。バスは増発して次々発車している。

比良リフト下で目を見張る。何と延々長蛇の列ではないか。係員の話しだとまず1時間はかかるとのこと。一人用のリフトはこれだから時間がかかる。しかし仕方がない。

ロープウエイは31人乗りで、ちょうどゆっくりしたリフトのペースに合っている。しかしぎゅうぎゅう詰め。頂上駅に着いてホッとする。しかし空はいつしか曇って先が案じられる。身づくろいののち歩き始める。

葉ずれの濡れた熊笹原を分けて八雲ヶ原へ向かうが、ポツリポツリとやってきたではないか。だらだら坂を下り、ほどなく八雲ヶ原に到着する。右手へのゲレンデなどあって、一瞬行先決定にとまどう。
 このころ雨足が激しくなってくる。「M武さん、どうしよう、様子を見ようか、それとも行くか。」「行きましょうよ、降ったり止んだりが続くのとちがいますか。」「そうしようか」てなことで Go on となる。そこここの物陰で食事をしているグループがある。時計を見るとはや12時ではないか!せめて頂上で食べようよということで、がんばる。イブルキのコバでも数グループが傘をさしたりしながら食事中。
 だんだんけわしくなる。と同時にガスってくる。ヒョッとすると頂上での眺望は絶望ではないかという思いが頭をよぎる。結構人が多い。道が狭くなってくるので「こんにちは」よりも「ごめんなさい」や「有難うございました」が多くなる。そのうちに方向がわからなくなる。ガスッてきたのと、コースを人任せにしているためだ。一体南へ向かっているのか、西か、それとも北なのか。(東へ向かっていることはまさかないよネ)
 コヤマの岳への分岐を左に見送るあたりで地図上の見当がほぼつくが、実感とは別もので、違和感は消えない。しかし周囲に木々がなくなったなと思う間もなく武奈ヶ岳南峰に到着する。実はここを1,214mの頂上と錯覚していたのだった。寒い。雨はパラッと来たり、止んだりである。風がきつい。

「はらへった」の一声で昼食になる。続々と出てくる弁当の数々。おまけにビール、梅酒そのほかのアルコール類(お茶もあったナ)。おにぎり二折プラスカブ弁当、おかず無数。食べても食べても無くならない。でも寒い。
 続々と登頂者がそばを過ぎてゆく。ふるえながら食べ、かつ飲んでいる奇妙な四人組を横目で見ながら。それにしてもこのガスはどうしたこっちゃ。まったく方角音痴になったみたい。こっちから上がってきた。だから反対側はドコ??またわからなくなってきた。
 ようやく食事が終わる。あとはM武さんにおまかせ。「北の稜線をたどって細川越を広谷に下り、イブルキのコバに出ることにしよう。その方が短時間で降りられる。」

さあ、人のいない方向に進むことになった。熊笹の下り道。もうこれはほとんど遊びのない急坂。下るばかりである。手袋、ズボン、雨具などの必要性を偉そうに説教しながら、自分の手は必死に熊笹をつかんでいる。慎重に細川越を目指す。足元はどろどろ。「ヒョットしたら道を間違えたかな?何か右へ降りる道がありましたか?」M武さんもやや心細そう。「いや、なかったよ。」

大丈夫、先行者も2〜3人いる広谷への分岐に着く。尾根を直進すると釣瓶岳から蛇谷ヶ岳方面。一昨年5月北比良のカラ岳で出会った京大のワンダーフォーゲル部の連中のことをふと思い出す。蛇谷ヶ岳方面に行くと言っていたっけ。
 ここからの道はすぐ谷道になり、沢と湿地の連続。リフトの乗場でもらったハイキングマップをあとから見たら、このコースは「湿原の中を縫うように歩く丸太の木の道」「清流を何度か左右に渡りながら歩く渓流沿いの涼感たっぷりの谷道」とある。折しも雨。谷の流れが増水していることは予測できた。石飛び、丸木橋(これが濡れていて滑るのだ)が次々と現れる。キャーキャー言っている女性方よりかえってこちらが怖かったのが実感。

途中に大阪・高津高校OB会の小屋に迷い込み、「ここは行き止まりです」と追い出される。道が見当らず、増水した流れを目の前に一時呆然。仕方がないから先行して調べる。二つに分かれた沢を飛んで10mほど下ると、右岸に小径が見える。「オーイ、道があるよ。沢を飛ぶより、ブッシュの中を通った方がいいみたい。」早速茂みの中を分けて引っ張りだす。
 ほどなく広谷に着く。半分壊れた小屋を横目にイブルキのコバへの登り道にかかる。途中軽い貧血。梅酒が余分だったか?

イブルキのコバからは湿地の中をあざみの花など見ながら気楽な行程である。八雲ヶ原でトイレ休憩。腰を据える場所を必死にさがしたが、結局ロッジはしまっており、時すでに4時過ぎ。湿原の苔を観賞しながら山上駅に向かう。「この道は来た道?」とか言いながら、先行したM武さんの、万一の「道が違う」に備え、真っ先に逃げられるよう最後尾を確保しているK川さん。しばらくするとM武さんがOKサイン。ようやく山上駅に着いたのだ。もう5時。
 

山上駅はもの凄い行列。待合室内に十重二十重(オーバーか)の行列で半分諦めの境地。待つうちにまっ暗になり、晴れている下界(近江八幡方面)の夜景は百万ドルといわずとも五十万ドルくらいのいい眺めである。行列のほとんど最後尾で、段々寂しくなる。
 暗いゴンドラに詰め込まれ、リフトに乗換えたが寒いことこの上なし。景色が見えないので時間のたつのが遅いこと遅いこと。

19時04分湖西線乗車。最後の晩餐に精を出す。残りものを平らげた・・・・と言いたいところだが、それでも残った。

京都で乗換え、茨木8:35のバスで帰宅。下界は雨など全然降らなかったとか。左足が少し痛いが、雨だったが、楽しい一日ではあった。