ローソンで“すきやき風味弁当”なるものを昼食用に買って出発。6:24の一番バス、6:30の動物園前行きで日本橋へ。日本橋で“くろそサニット”の割引券(2810円)を買うとき係員が「亀山峠から二本ボソへの道は、山の持ち主がサクを作って通行止めになっている。どうします」ときたもんだ。ショックだったがここは男、一言「行きます」。上本町で駅員に時間確認の上、7:48の快速急行の人となる。 |
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バスに乗ってフト見ると、ちょっと前の反対側に近藤さんが鎮座ましましておられるではないか。「オヤ」てなことで聞くと、奥さんと二人で1台後の特急で来た・・・・といっている間にバスは満員になってしゃべれなくなる。 |
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近藤さん夫妻に改めて聞くと、東海自然歩道経由亀山峠から二本ボソを往復し、太良路もしくは曽爾高原(唯一3:45臨時)からバスで帰るとのこと。倶留尊山はしんどいらしいから遠慮するとも。通行止めのニュースを伝えるが、いずれにしても行ってみての話、その時はその時ということ。 |
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10時キッカリに歩き出す。道はすぐダラダラの登りの連続になる。事前研究ではこうではなかった。池の平は高原とあったがこれはどうじゃ。 |
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近藤さん夫妻としゃべりながらしばし行くと漸く目の前が開け、相当な傾斜地ながら高原状の開けたところに出、道が二つに分かれる。先発グループは既に左手向こう数百米のところを歩いている。一方右手の樹林帯の入口に茶色の東海自然歩道の標識が遠望できる。「アァあれが右西浦峠への分岐でしょ。僕はここで失礼します」、「お気をつけて」で別れる。右手へ行く人は誰もいない。 |
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10:20分岐を右にとり、杉の樹林帯に入る。 |
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200mほど入ったところに“左西浦峠”の標識があったので踏み込む。ところが、である。これは僅かに踏み跡があるだけで「道」ではない。しかし標識を信じてずんずん進む。殆ど直登である。当然キツくなってくるが、道はますます不明瞭になる。心細くなってきた頃に左右(南北)に走っている林道に出会う。これはいいのだが、ここから上への道がわからない。「エヽままよ」とばかりやや下葉の薄いところを狙って歩く。フト見ると右上へ伸びる杣道があるではないか。「これだ」とばかりこれに沿う。途中杉丸太4本の橋があったので渡ろうとすると、まん中で「ミシッ」とくる。びっくりして橋を放棄し、谷(というほどのこともないが)を渡る。 |
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10:40漸く登山道に出合いホッとする。結局先の“左西浦峠”の標識は、上から近道をとって斜めに降りて来た人が「ここからでも上がれますよ」という程度で立てたものなのだろう。今回の倶留尊、二本ボソ行きを通じて言えることは、個人の持ち山のため標識が至極不明確なことである。この“左西浦峠”なども、地図の登山コースの赤線を信じて来た不慣れなハイカーを惑わすに充分である。近鉄もコースを推奨するのだったらこの辺りを解決しておかないと、金儲けだけのそしりをまぬがれない。樹林帯に入ってもう少し北へ歩き続ければ登山道に出会えたのだ。 |
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とりあえず登山道を登るということはしんどさは変わらないものの、心理的な面ではプラスである。オレの山行きは卒業間もなしの箕面(皆におこられた)、京都北山直谷奥などヤブコギがやたら多い。地形がどんどん変わっていることに加え、ハイキング案内の更新や標識の不備がこういう結果をもたらしているようだ。 |
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12:55西浦峠着。何と飯垣内からの連中だろう、目の前を倶留尊へ向かってもう先行しているではないか。流石に距離が長い飯垣内道を選ぶだけあって足早である。峠標識の写真をとっているとまた一人若いのが到着して、「アトにまだ数人グループがいますよ。ボクは古光山へ縦走しますから。お先に」と言い残し、アッという間に見えなくなった。 |
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小憩ののち出発。この辺まではずっと樹林帯の中ばかりでうっとおしくてしようがない。今日は快晴だというのに。しばし登ると潅木帯に入ってパッとあたりが明るくなる。三ツ岩である。このピーク(891m)から仰ぐ倶留尊は東側に恐ろしい絶壁を見せて切れ落ちている。キレットに降りてから登り直し・・・・と思っているうちに道を見失い、気がつくとキレット東側の急斜面になったケモノ道を辿っているではないか。びっくりして50mほど登り返して道に戻る。 |
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聞きしにまさる倶留尊は急斜面である。登るにも降りるにも木の枝や岩の角を掴んでいないと危ない。(しんどいので手で引っ張り上げていることもあるが) 数歩登ってハァハァを繰り返すことになる。 |
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11:43やっと平坦なところに出る。もうこれ以上高いところはない。見回すと尼ヶ岳から大洞山の雄岳・雌岳への稜線がえもいわれず美しい。右南方に目を転ずると、Hさんがかつて行ったという三峰山らしきものも見える。更に西方には屏風岩から兜岳か鎧岳らしきものも見える。もっとも山影が重なっているらしく判然としない。風は爽やか、空は抜けるような青空。 |
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12時になってないがメシにしよう。ローソン特製の弁当を開くが、カレーコロッケはとても口に入らない。メシの上に大豆蛋白らしい肉まがいが糸こんにゃくとすきやきのあじつけで乗っている。普段ならコロッケ共々パクパクなのだが、心臓がのどのあたりまで上がってきて、おまけに脱水気味ではお茶と共にメシを流し込むだけで精一杯。でもミカン2個を平らげ、ホッとしてしばらくまどろむ。日なたを選んで枯れ葉の上にビニールを敷き、ベスト、シャツを脱いでその辺に拡げ、オーロンシャツのままでうつぶせに寝る。頭にタオルをかけてうとうととする。陽は暖か。虫も殆ど居ず快適。 |
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倶留尊山の下りはもうすごいもの。特にここは南面だから先ほどの登りと違って乾いている。滑落の心配はあまりないが、一歩々々まわりにつかまって降りるのである。ええ加減降りたところが案内書で“キレット”。これは先ほどのよりは大したことはない。西側へ槻の木道が降りているがそれを右に見て再び登り返す。一休みの効果は大きく、12:50二本ボソ頂上着。 |
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一休みの効果は大きく、12:50二本ボソ頂上着。まあ人の多いこと。亀山峠からせめてここまでと登ってきた人が多いようだ。 |
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鰯の口のとんがった先のこととて狭く、じっとしておれない。ただ狭いがため眺望は格別。 |
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特に南方には古光山への縦走路とお亀池周辺のススキ原がきれいに見えている。写真を数枚撮って10分後出発する。ここからは急斜面と坦々たる路が入りまじって快適。 |
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10分後にはお亀池の真上に着く。この景観はさすが28mmのレンズもワンショットでは捕え切れない。左は亀山峠にたむろしている人。そして大きく広がるお亀池の芦原。周辺の広場で休憩中が無慮数百人。そして右はしに国立曽爾高原少年自然の家。しばらく堪能したところで最後の下りにかかる。 |
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さあこれが時間がかかるノダ。すぐそこに見えているからつい近いと思ってしまうため、実際の時間とのギャップに喘ぐことになる。特に亀山峠からお亀池までのジグザグな道が見た目より長いこと。お亀池を半周して茶屋に腰を下ろしたときはホッとした。時に1時40分。 |
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カンビールを2口で呑み干し、改めて見上げる。カールかとも見紛うススキの斜面は絶景である。特に空が抜けるように青いため、ススキの白との対比がすばらしい。お亀池の周遊道路では逆光に光り、揺らぐススキを狙って大型カメラを持った人が4〜5人シャッターチャンスを待っていた。 |
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近藤さん夫妻がどこかにいないか探したが、考えてみると普通に来て12時には遅くともお亀池に着いている筈で、食事タイムを除いても1時間以上たっている。その時間ブラブラしているわけはないナ と諦め、1:55帰路につく。 |
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ここからはドライブウエイを含めた東海自然歩道を太良路まで辿ることになる。途中おかしなところでハテどちらかと考えたとき、そばに駐車していた車の中から地の人だろう、オバさんが「太良路へ行きはるんでしたら、その左の道を行きなさい。すぐえぐれた道になって少し歩きにくいけど、近道です。200mくらいで下の道に出ますから」とのことで熊笹の茂るすごい道を下ることしばし。出たところに野菜の無人スタンドがある。大きな大根、トマト、里芋、白菜、さつまいもなどなどみんな100円。 |
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葛のすぐ裏(というより上)に鎧岳の絶壁がのしかかるように迫る。写真を撮っていた人に聞くと、「11月3日に来たんですが霞んで見えなかった。鎧岳はもう少し南に行くともっととんがってすばらしい。今日屏風岩を歩いて来たがいい所ですよ」。 |
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ところがなかなか来ない。夫婦連れのほかにここの田舎に帰って大阪に戻るらしい親子4人連れと計7人で待つことしばし。3:30を過ぎて漸く来たバスは満員ではないか。半時間も待って乗れないのでは悔しい。7人で押し込む。バスは満員となり次の太郎路はみごとに通過。 |
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足はガタガタ、車内では数回起立性貧血に見舞われるで、快適な前半に比し、最悪の後半であった。このため5時半からのオミヨのコンサート(近鉄小劇場)に約1時間半も遅れるハメになった。 |