霊仙山  平成元(1989)年5月4日ㅤ

時間を間違えて、一条池からJR茨木までタクシーを飛ばす破目になる。次のバスではうまい連絡がないのだ。1,200円余り乏しい財布から余分の出費となる。
 7:46米原行き快速に乗車、9:30米原着。向いホームで待っていた9:33の浜松行き快速に乗り換え、9:47柏原着。すぐ歩きはじめる。
 山東町。静かな村である。明かるくて何かひっそりしている。振り返ると伊吹山がその堂々とした山容を間近に見せている。駅前通の少し右手を南にとると、あとは一本道。立看板があり、「霊仙山頂まで9,800m」。途端これは大変との思いがかすめる。
 国道を渡ったところに無人の登山者名簿を置いたスタンドがある。これ一つをとっても、この山が単なるハイキングだけの山でないことがわかる。記入して出発。
 霊仙山。それは「大阪周辺の山200」で見てからずっと脳裏に焼き付いて離れなかった山の一つである。原因は曰くいいがたいが、大阪から日帰りできること、あまり皆登っている山ではないこと、などだろうか。そう難しくなさそうなことも理由の一つだった。
 10時ちょうど名神のガードをくぐる。ここは山東のバス停でもあり、最初高速バスを利用しようとも考えたのだが、運賃がやや高なのと、時間もJRよりかかることで断念したのだった。バス停に上る階段に雑草が生えて、あまり利用されていないことがありあり。
 道の右手は谷間となっている。そこに大分大きな養鶏場がある。切れてからもしばらくその匂いがぷんぷんしている。道は谷道で説明書通り“プロムナード”である。南行きのため、陽光がもろに顔に照りつける。

10:25「ようこそ霊仙山へ」の表示板に「1合目まで3.9km」。10:40父娘3人休憩していた水場で小憩。顔を洗い水を呑む。このあとだんだん後発の連中に抜かれる。

10:55ダイヤモンドトレイルの行者杉や金剛山の夫婦杉と比べても遜色のない二本杉のある1合目。小さな広場があり、小憩。ここでも抜かれる。しかしこういう空間はほんとにホッとする。

このあと尾根に出ると潅木帯となり、ウグイスが鳴き交わし、熊笹の道となる。

ふりかえると駅前で見えてからしばらく見えなかった伊吹山がやや霞んでその雄大な姿を見せている。

11:13 2合目、11:25 3合目、11:37 4合目と上がってゆくが、9.8kmは遠い。この辺りでだんだん気分的にもしんどくなってくる。4合目にはJRのコンテナを転用した避難小屋がある。せいぜい1,000mの山に、それも4合目にこんなものがあるのは、案内書にもあるように天気の急変しやすい山で、道に迷い易く、トレイルそのものが長いところに原因があるのだろうとひとり納得する。

ここで4人グループが2組休憩していたが、1組先発したのに続いて出発。しばらくほとんど木のないところを下る。この山は範囲が広いというか、山容が大きいというか、こういう下っての登り返しが実に多かった。けど先が見えていると「マ、しゃあないか」という気になる。

このあたりからだんだんしんどくなる。僅か10歩程度歩いてハァハァだからどうしようもない。11:55 5合目。ガイドには水と書いてあったが何処にあるのか、こんな記述は場合によっては人殺しですョ。10分ほど休憩する。

12:20 6合目、12:30 7合目、12:40ママコ(継子)の穴というドリーネ跡の下を通過する。見物している余裕がない。あるグループが駆け上がって見に行ったが、一人残っていたおじさんにあたりに咲いている花の名を教えて貰う。(すぐ忘れたが)

7合目には先ほどの花が群生している。このあと山腹を巻いた道をずんずん下ってゆく。

大丈夫かいなと思うほど下ったころ鞍部に出る。12:55。谷山谷から上がってきた家族連れに柏原道を聞かれる。

行く手にこんもりとした山がみえる。天辺に三角点らしきものも見える。急斜面。あえぎつつ一寸刻みに登る。あれが頂上だよ。がんばれ。
 1:15 遂に極める。ヤッタ!! と思った瞬間目の前に見えたのはもういくつかのピークであった。向こうの方が高く、人も大勢いる。愕然として地図を見る。どうやらここは避難小屋(三角点と見えたのは実は避難小屋だった)があるから北霊仙山(経塚山)らしい。ピークはまだ向こうのようだ。

しかし体は極限のようだとささやいている。とにかく1時を回っている。めしだ。小屋の後ろへまわってシートをひろげ、へたってお茶を飲む。ガブガブ飲む。おにぎりを食べかけるが、咽喉を通らない。ようよう1コだけたべて暫く寝てしまう。
 まわりの熊笹の繁みから聞こえるうぐいすの声を伴奏に半時間ほどとろとろとする。気持いいというよりも、このだるさを何とか取りたいという一念の方が強い。身体のあちこち放り出したいようなだるさだ。
 突如ポーンという音がすぐそばでする。びっくりして目をさますとそばで炊飯していたヤングが、使用済みの携帯燃料の缶のふたを充分冷さないまま締めたので、それが開いた音と分かる。「済みません」と一言あったが、しゃれた返事も出来ないほどくたくた。
 ややあってもう1コ食べにかかるが、一口食べただけであとはお茶だけ。とうとう600CCほどあったはずのウーロン茶を全部ここで飲んでしまう。
 しかしこうばかりもしておれない。回りの物音(昼食)も段々治まってきた。少し予定時間から遅れていることでもあるし、起きよう。立ち上がると何とかゆけそうである。手早くリュックに収納し、身仕度を整える。
 こうすると頂上に行ってみたのなるのは人情。地図によると避難小屋から少し戻って西に出るのが汗拭峠経由醒ヶ井へのコースのようである。小屋のそばにリュックを置き、カメラだけ持って出発。

一面の石灰岩の原っぱである。秋吉台をフト思い出す。程なく頂上につく。ヤヤッ。まだ向こうに人が沢山いるもっと高いピークがあるではないか。標識を見ると、ここが北霊仙山(経塚山)で、さっき誤認したところ=ここから見るとピークでなく、単なるコブのようだ=は何でもないようだ。とすると地図の「避難小屋」の位置ばどういうことになるのだ。そういえば今いるピークから西へ道が続いており、これが汗拭峠への道のようでもある。
 道はともかく、ここが北霊仙山(経塚山)であることははっきりした。もうここから向こうに見える霊仙山ピークへ、そしてそのそばの最高点まで足を伸ばす元気はない。倒れている北霊仙山(経塚山)の標識を抱いて、そばにいた人に写真を撮ってもらう。アルプスの話をしている人から、せいぜい6〜7歳の子供連れまで幅が広い。思うに醒ヶ井から車の入れるところまで突っ込んでから歩いたら割に楽なのではないか。
 四方はガスってはいないが、霞んで伊吹も今や見えない。琵琶湖、御池岳など一望のもとという謳い文句は嘘ではなさそうだが、如何せん見えない。

引き返し、小屋のそばで子供2人を連れて出発準備をしていたヤング(お父さんかな)をつかまえて道を確認してみた。「ああ、汗拭峠ならあのピークと霊仙山の間・・・というよりあのピークから西に出ている道をとれば行けますよ。え?さっき上がってきた?それじゃそこから直接行かれたらよかったのに。谷山谷ですか?私たちも下りますがね。ここを下りて鞍部から左へとれば一本道です。ウンそりゃ汗拭峠の方が早く車道に出るぶん道はいいですがね。くねくねしてやたら長いですよ。谷山谷は少々けわしくて道もあまりええことないですけど滝があるし変化に富んでいて面白いです。足が頼りない?僕も子供二人連れてますけどこれでも大丈夫ですから」てなことで谷山谷を下る破目になってしまった。

2:25出発。苦手な下りの始まりだ。32分峠分岐に着き、谷道の下降開始。しばらくはよかったが、葛城か生駒かという位のドロンコ道に出っくわし、往生。前を歩いていた親子3人連れが子供の悲鳴でしばし立往生したところをお先にと失礼して先を急ぐ。ドロンコ道は100m足らずで抜けたが、それからがすごいことになる。

木の枝を拾って杖代わりにしたのが正解。殆ど伏流の谷だがしばらく行くと石の積み重なりの間からザアザアと流れ出てくる岩清水。これがガイドの水場の一つだろう。苔に滑らないよう踏ん張って飲む。大分しんどかったのと先にまだあるだろうという感じで、空のテルモスを一杯にしておくべきだったと悔やんだのは大分行ってから。ここではのどがかわいた、と、足もとあぶない気をつけよ、と、あとどの位あるんやろ、と、この3つしか頭になかった。地図を見ることも、手帖に通過時間を記入することも忘れていたのだ。
 そこからもう少し下りると本流との合流点。多少傾斜はましになったものの、沢下りを交え、上がったり下りたり、木にしがみつくわ、岩を抱くわ、写真どころの騒ぎではない。もう何も考えない。口の中で「無理しない、滑らない」とぶつぶついいながら、ただ一心不乱に下りるのみ。足がだんだんいうことをきかなくなってくる。こういうときもう一本の足というべき杖は威力を発揮する。何個所かで滑落を防いでくれた。

3:10 左に大きく高巻きして少し戻って広場に下りるとそこはうるし(漆)が滝の展望所。見事である。水量も多く、数段に分かれて落ちている様は見事としか言いようがない。ホッとしてしばらく休み、写真を撮る。夏場ここまで涼みがてら登ってくる人が多いというのも首肯ける。

 下りかけるとすぐ「車道まで50分」の指示標識。上丹生バス停前のお店が付けたものだが、これにどれだけ元気付けられたか。サアあと1時間足らずとの思いが足取りを心なしか軽くする。もっとも軽くなっているのは心だけで、足もとは更に重くなっている。その証拠に何度も爪先を岩にぶっつける。ちょうど大峰の下りと一緒。靴(軽登山靴:2回目)も同じ。この調子では両第1趾の爪をまたいわすのではないか、現に半分しびれ感覚がある。
 岩をまたぎ、木の根を越え、1mからの段差を手をついてゆっくり下り、やがて沢に出て越えると右岸で同じことが待っている。また沢を越え(これが中流ではけっこう水がとうとうと流れ、苔付岩がおそろしげにたちふさがっていたりもしたのだ)、そんなことを何十辺繰り返したか。行程に殆ど変化がない。沢下りの特徴として見晴らしは全く利かない。
 小一時間たったろうか、また標識あり「車道まであと5分」。よろこぶまいことか。もう5分でバスに乗れる。もうこんなしんどい歩きからおさらばだ。ところが、ところがである。5分たって見えてきたのは何か、堰堤であり、そのたもとまで上がってきている“車道”であった。時に4:10。がっくりである。と同時に自分の甘さも思い知らされた。車道はあくまで車道であり、バス道ではない。至極当然の話。右岸に数百メートル屹立する岸壁に感嘆しながら地道の車道を下ってゆく。
 ここからが長かった。しばらく行って橋(この近くに野猿公園があるらしい)。山小屋1軒。古墳(表示のみ)。浄水場。そしてようやく上丹生の集落。これも疲れた足にはやたら長かった。事実地図でも1kmはたっぷりある。神さびたお社とみたは神明社。実際は吉野にもある丹生の民の社であろう。

4:40ようやく上丹生のバス停到着。“木彫りの里”とある。この山奥の唯一の産業を大事にしてゆこうとする地域の人々の努力の現われであろうか。
 バス停前でコーラを買うが半分も飲めず。腹が減っている筈なのに喰いたくない。10円ひとつで家に電話。出た息子に「今醒ヶ井。今から帰る。3時間はたっぷりかかる」としゃべったら切れた。

やがて養鱒場始発のバスがくる。5:00。米原行き。小型の近江バス。満員スシ詰めである。15分ほどでJR醒ヶ井駅着。殆ど降り、6〜7人だけ米原行き。休日の夕方とて結構車が多いが、さしたる渋滞にもならず、5:25米原駅着。
 米原は元卸の見学会の帰り、豪雪でバスを捨てて電車で帰って以来。それより学生時代、東京帰りの夜行列車でこの辺で夜が明け、ここのホームで洗面し、蕎麦を朝食代わりに食べた印象が今なお鮮やかである。
 米原5:46発の新快速に乗り、京都で6:55の快速に乗り換え、茨木7:20着。7:16の山田行きバスが出た直後で、7:55まで待ち、家に8:30無事帰着。とにかく疲れた。バス以降数回立ちくらみあり。