小塩山  昭和63(1988)年5月8日

京都大原野の背後にそびえる西山の最高峰、小塩山はここ1年くらい登りたいと思い続けていた山だ。“そびえる”とは言ってもその南北に連なる山とはさして高度差がない。641mはポンポン山とチョボイチ。
 10時前阪急東向日に着いたときは雨。同じようないでたちをしたハイカーが10人余り並んでおり、すぐ来た南春日行きの阪急バスに乗り込む。他の客から口々に「こりゃ、一寸大変ですなァ」という言葉が交わされる。けれど雲行きが速く、“一時雨”つまり“ほとんど晴れ”の天気予報にすべてを托する。

10時10分、ほぼ雨の上がった南春日到着。220円也。細かいのがなく、一瞬ヒヤリとするが、両替でこともなし。バス停で身仕度をする。乗り合いの他の人はどこか主催の寄せ集めのハイキング・グループらしく、自己紹介している。そのそばを通って出発。

大原野神社への道半ばにしてまた雨がしげくなる。持っているだけで、まず着たことのないレインスーツ(ビニール製)の上を出して着る。少し寒いので丁度よい。ちなみに今日のいでたちは、半袖アンダーに長袖スポーツシャツ、ベストで、靴はビブラムの短靴。何か長袖のものがもう一つあれはせよかったと思うが、後のまつり。
 やがて大原野神社。10時25分である。まず正面入口の大鳥居の写真を撮る。今日は12枚撮りしか入れていないのでうまく按分してゆかねば。

新緑の美しい境内を拝殿に向かって進む。南“春日”の在に坐すところから、春日神社を勧請したものと思って見ると、まさしくそのとおり。4座まします。拝んだあと、もう1枚撮ろうとウロウロしているうちに後発のグループが追いついてくる。雨はまだしっかり降っている。

境内の途中に「花の寺ちかみち」の道標があり、それにより進む。まもなく花の寺参道と合する。コンクリ道で味気無い。途中4,5歩あるいてはハァハァいっている人を追いこして、10時35分花の寺到着。いつしか寺の上に広がる空は紺碧。老夫婦が一組石段の下で逡巡している。開いているかどうか考えているのだろうか。行ってみなきゃわからないじゃないか。僅かの石段を駆け上がる。時に10時35分。
 小さな山門と、昔風の家のような本堂。質素な造りである。潜り戸を抜けると、中に受付がある。宝物(仏像:重文,国宝)拝観450円、庭園拝観350円。ところが、である。宝物その他の説明は0分、30分と1時間に2回だけで、その間は待たなければならない。今天気がよいうちに登りたい。ということで、結局拝観はせずに山門を出てスタート。

花の寺の石垣に沿って行くが、なかなか登山路がみつからない。阪急ハイキングガイドによれば「藤井絞り山の家」の前を左折するとあるが、それが見つからぬ。一度引き返したがだめなので、運を天に任せて(オーバーか)ドライブウェイを歩き出す。道は下ってゆく。間違えたかなと思うころ、右に山の家がみえ、左へ上がる道があったのでホッとする。
 ここから舗装の林道がはじまる。何の変哲もない道路。25000分の1にはない林道である。こういう道は間違うことがないかわり、退屈である。途中でカメラベルトを出し、身仕度をする。

間もなく林道が右へヘアピンカーブするところで、左の谷から上がってきた道の続きで旧道が左へ入ってゆく。いよいよ山登り開始。思うにその昔の御陵への参拝路に相違ない。

道は昨日来の雨で落葉がところどころに固まっている岩の道である。雨で洗われた道に岩がツルツルの状態で露出している。下りなら滑るのではないかと思われる状態である。と思う間もなくまた一天かき曇り、パラパラと降ってくる。とりあえず木立の蔭に待避する。これを数回繰り返したが、たまらず又もやデイバッグからレインスーツを引っ張りだす。これを2〜3回繰り返す。

しかしさしたる大降りにもならず、伐採跡に出る。ここではもう雨はなく、レインスーツをしまう。見返れば京都の南部が一望のもと。一部霞んでいるのはこちらから移って行った雨域か。付近は縄文時代の石器が見つかったところとの表示あり。下ばかり見て歩くが、そう簡単に石器があるわけはない。写真を撮って100mほど上がると林道とのクロス地点。もうこれでほぼ上がり切ったようなもの。ホッとする。

道は昨日来の雨で落葉がところどころに固まっている岩の道である。雨で洗われた道に岩がツルツルの状態で露出している。下りなら滑るのではないかと思われる状態である。と思う間もなくまた一天かき曇り、パラパラと降ってくる。とりあえず木立の蔭に待避する。これを数回繰り返したが、たまらず又もやデイバッグからレインスーツを引っ張りだす。これを2〜3回繰り返す。しかしさしたる大降りにもならず、伐採跡に出る。ここではもう雨はなく、レインスーツをしまう。見返れば京都の南部が一望のもと。一部霞んでいるのはこちらから移って行った雨域か。付近は縄文時代の石器が見つかったところとの表示あり。下ばかり見て歩くが、そう簡単に石器があるわけはない。写真を撮って100mほど上がると林道とのクロス地点。もうこれでほぼ上がり切ったようなもの。ホッとする。
新たな道に分け入ってゆくと、右手には巨大なパラボラアンテナ。それを右に見ながら、進むとそこは何と工事現場ではないか。建設省の施設のそばに新しい鉄筋の建物を作っている。見るとこの小塩山の頂上には四つ五つアンテナなどの施設が建っている。山の上で現代的なものにやたら遭遇し、少々ガッカリ。

小塩山の頂上はやや高原状である。ずっとフラットなところを2〜300m行くと淳和天皇の御陵(「西嶺陵」とある)である。入口から数十米入り、石段を昇って御陵。狭いところでこれだけゆったりとした御陵は上醍醐陵くらいしか見たことない。考えれば両方とも山の上だ。ホントに森閑とした、いい場所である。11時55分。

「どこからですか。」と話しかけてくる人がいる。京都の山持ち父子だそうな。「吹田からです。」「どうも大阪の人が多いみたいやな。ここは小さい時よく登りましたよ。今は車道が出来たけど、関係ない人は通れないンです。工事関係者以外では山関係の人しか車で上れなくなりました。」「昔はここから七ツの城が見えると言われたものです。」そこで息子が「お父さん、七ツの城ってどこ?」「大阪城やろ、二条城、伏見城、淀城、それに亀岡城かナ。あとはどこやろか。」そんなに見えたのかな。今は木が茂って見通しは全く利かないが。頂上とおぼしきところも工事中。「ポンポン山とだいたい高さが同じやのに、かえってここの方が眺めはよかったのですね。」「そらそうですワ。ポンポン山なんてあそこからは何も見えしません。頂上で足踏みしたらポンポンいうだけで。」「エー?あの頂上ポンポンいいますか?」「いいますよ、ポンポンというよりは、ボンボン、かな」
 話がなかなか終りそうにないので、そこそこで切り上げ、失礼して下りかける。途端に「どちらへ?」「善峰寺へ行こうと思ってます」「こっちの道を行かはりませんのか。」見ると外畑方面とある。「この道からどう行きますの?」「外畑からポンポン山を経由しますけどネ。」それを聞いてやめ。近い方がいい。

12時10分金蔵寺への道を下り出す。二、三度車道を横切って直降。やはり登りと同様ところどころ岩の露出した道で、滑りそう。足が突っ張る。10分ほど下りたところで右にやや開けたところがあったので、荷物を下ろして昼にする。塩ラーメンをつくり、すする。朝作るつもりのおにぎりをコロッと忘れるし、東向日駅前でおにぎりでも買おうと思っていたらバスがすぐ来るし・・・・。なかなかうまいこといかない。やはり米飯が絶対いいのだが。

食後のコーヒーを作っているとまた雨がパラツキ出す。でも一過性。12時42分出発。潅木の中の道が続く。12時55分南春日への分岐を左に見送り、急坂を下ると突如目の前に愛宕大権現。あまり急なのでびっくりする。1時5分。

石段を下りるとそこは金蔵寺である。明治以前は神仏混淆だったのが維新後分離させられてカミサマは愛宕山へ行き、ここには「愛宕大権現」が残ったという。

楓の若葉が鮮やかである。こんな寺が西山の中腹にあり、東海自然歩道を歩く人か、ドライバーしか知らないのは勿体ない話。ほかの人が知らないでドライバーが知っている、もしくはドライバーしか来れない、というのが何ともはがゆい。いっそ愛宕山みたいに車道などない方がいいのにとも思う。

自然歩道にそって逢坂峠方向へ数百米。瀬音が高くなり、突如眼下に三段の滝。産の滝である。雨上がりのせいか、非常に水量が多く、豪壮。ここでしばし考える。逢坂峠〜杉谷〜善峰寺は一度歩いてみたいことはみたいが、その先、善峰寺〜灰方の変哲ない道がも一つで、この先全7kmの行程を考え、引き返すこととする。

門前の東海自然歩道の案内板により、坂本から長嶺を経て南春日へ抜けることとする。1時35分出発。見事な桧の巨木の間、そして竹林の間を縫って行く。大半は車道であり、興味を削ぐことおびただしい。
 2時15分南春日バス停着。と同時に運よく東向日行きのバスも到着した。時間が早かったこともあって楽楽と坐って帰路につく。
 久しぶりの山行きで、まずはこんなものか。前回の金剛山〜紀見峠から2ヵ月半。これだけ間を開けないで歩いていたいものだ。

[追記]
 外畑について帰宅して25000分の1を調べたところ、標高400m位に位置する西側の集落。小塩山からポンポン山へ抜ける途中、約250mをアップダウンすることになる。ホント、行かないでよかった。けれど完全に別コースと考えればまた一考の余地あるか。
[追記2]
 実は今日、定期入れを持って出るのを忘れた。そのため山田〜淡路往復まで現金となり、回数券を使い、無駄をした。(100円の回数券+180円)×往復