比叡越え  昭和60(1985)年4月28日ㅤ

【冷えの御山】比叡山のネーミングは諸説あるが、乃公のイチオシは「冷えの御山」説である。「比叡」山も「日吉ひえ大社もすべて後世の当て字ではないかと、これは独断である。
 という話はさて置いて、学生時代のハイキングの定番は山中越えだった。この比叡越えをした1985年は、山中越えなど開発で既にハイキングなど夢のまた夢になっていた。【この項作成2012年】

【1】賀茂大橋から比叡山を望む




【2】賀茂川(左)と高野川(右)の合流地点。ここから鴨川。正面の杜は下鴨神社。



【3】修学院駅下車。音羽川沿いの修学院離宮道から仰ぐ比叡山




【4】修学院南側からの道・雲母坂きららざかから。音羽川上流にいくつも堰が見える。



【5】水呑対陣跡碑。歴史的には後醍醐天皇の時代というから、南北朝時代・千種忠顕討死の地。




【6】ケーブル駅から岩倉方面俯瞰。左遠く愛宕山のピーク




【7】駅周辺にタンポポが咲いていた




【8】延暦寺への道



 【★】このあと延暦寺を通過するため拝観料を徴収している窓口で「ハイキングなので通過させて」と申告した。係員の返事が振るっている「お参りしないで下さい」。お参りしたら参詣だから拝観料、つまり入場料を頂くという理屈らしい。理屈が合っているのだろうが、これがお寺さんの言い草なのだろうかと思ったことであった。




【9】下山道から三上山(近江富士)遠望。極端な露出不足で修正をかけてこの程度。快晴だったのに。
ここからの下山道だった。あのバイクが登ってきて吃驚仰天したのは。




【10】坂本へ下り着くとシャガ(著莪)がそこここに咲いていた。この写真はFA社報裏表紙のカットに採用された。




【11】坂本らしい雰囲気の石碑群




【12】日吉大社前