明ヶ田尾山  昭和59(1984)年11月25日

快晴。池田駅までゆき、阪急バス2番乗場から妙見山上行きに乗る。バスは1時間おきに発車

バスは余野川に沿い、伏尾久安寺を経て更に遡行。しばしあって高山口に着く。案に相違して人家は殆どなく、2軒あるうちの1軒はたまたまお葬式のようであった。バス停のそばをすぐ右に上がってゆく。

この道はかつては高山郷へ通ずるただ一つの道であった。(今は箕面からも車道が通じている)
道はどんどん登る一方である。

右手に六甲の山並みを鮮やかに望み、正面に明ヶ田尾あけがたお山を見ながら高度を上げてゆく。別に何てことはない。車道を辿っているだけなのだが。北摂霊園への道路工事中。

やがて高山の集落が見えてくる。特に変ったところではない筈だが、標高400mの隔絶した場所というイメージで見るせいか、見るものすべてが素朴に見える。静かな山村。向うの山の上に見えるのが地図によるとどうやら北摂霊園らしい。学校が工事中である。

棚田風景。紅葉のかげに鳥居がのぞくが、ここは住吉神社。
(2011年注記)

高札場で見かけた「キリシタン宗門禁止」の制札。慶應四年三月と記されている。実は慶応4年(1868年)は旧暦9月8日(新暦10月23日)に明治に改元されており、慶応3年12月9日(1868年1月3日)には既に王政復古されているので、非常にややこしい時期の“太政官”布告だ。ちなみにキリシタン禁制の高札が撤去されるのは明治6年(1873年)。
(2011年注記)

やがて道を右手にとり、人家の間から明ヶ田尾山にとりつこうとするがわからない。喪服を着た人に聞き、少し左手から山道に入る。これは聞かないとちょっと分からない。

道は谷道。相当険しい。しばしあって尾根道に出る。明ヶ田尾のピークは右手で、やや戻りみたいなのですぐ左手にとって進むが、道はだんだん左へ下りようとする。なるほど地図を見ても、150mほど一旦下りてまた登らなければならないみたい。シャクなので道なき道をヤブコギする。

下りもひどいが、登りもひどいもの。潅木にしがみついて滑りながら登ることしばし、台地状のピークの一つと覚しきところへ出る。ダウン50m、アップ50mで手に傷をつくったりして、果して得になったのかどうか。ここで昼食。南方に北摂霊園が見える。風が相当きついため、潅木の繁みに入ってメシを喰う。

昼食後出発。道らしいのに出るまでしばらくかかる。
 漸く鉢伏の頂上に出る。木がなく、一面のススキ原で展望がよい。ここは箕面の滝方面から登って来れるところのようで、弁当殻、ビニール袋などが一面に散乱し、汚いことこの上なし。都会の遊園地並みでがっかりする。
 

ここからは道は至極分かり易い。箕面−鉢伏−箕面や、箕面−鉢伏−五月山がゴールデンコースとなっていることの証左であろう。。

しばらくして、保養林を抜けて滝道を左に見る。

ここから五月山へのドライブウェイ。右後ろを振り返ると妙見山が北東に見える。右手の能勢方面の眺望がよい。

アスファルト道を歩き出して暫くして右膝に異常感。やはり山道(地道)はいいなと思う反面、アスファルト道だからではなく、ヤブコギで無理をした酬いが足に来ているのではという考えがチラリと頭を掠める。左手に箕面ゴルフクラブ、池田カントリークラブを見ながら、ヤケに長い道を五月山に向かってただひたすら歩く。

畑町への下りでてき面に右膝に痛み。もう隠しようもない。とにかく下り道で体重をかけると痛い。いろいろ工夫をしてみる。どうやら下り道を蛇行して下りる方がいいみたい。しばらくそうして下りるが、これもごまかしにしか過ぎず、また痛くなる。それも右上から左下へ下りるのはいいが、逆の左上から右下へ下りるとき痛い。しかし右上から左下へ下りるばかりでは坂が下りれない。ゆっくり下りる。
 ようやく畑町の山沿いのバス道路に出る。しかしバスは数時間後(千里中央行1日3本!!)。タクシーの通る道ではない。ボチボチと箕面駅まで歩く。
 やっとの思いで箕面駅に着き、(千里中央行1時間4本)千里中央経由で帰宅する。