カブハイク下見で歩いた太閤道
1982年2月21日

   

カブリーダー最終年を迎えようという早春、独行で太閤道をたどった。カブ年中行事の一つに“お別れハイク”があり、その候補地に下見を試みたわけである。金竜寺はこの時建物は残っていたが見どころは無く、尾根道は殆んど見晴らしが利かず、途方に暮れた。が、辛うじて下山路途中の神社でボーイスカウトに関係しておられた宮司さんと出会い、この境内をセレモニーに使わせて頂き併せてお話もしてもらえることとなって、「終わり良ければすべて」ナントヤラ。 〔この項2015年記〕


八丁畷松原公園。八丁畷は西国街道の安満から南へ伸びる古い道。左直進


京都大学の農場。2016年に木津川の新農場へ移転し当所は閉鎖される由 〔この項目2015年記〕


八丁畷がJRをくぐる地点


安満の磐手橋。今でも5〜6本の道路が交差しややこしい場所。早い話、交通の要所


橋を渡りこの標識「太閤道を経て金竜寺に至る」。直進し 会社ビル傍から山道へ入る


太閤道トバ口。だが次の町石などからみて明らかに往時の金竜寺参道


町石(六丁)


白馬石。左は八丁の町石


分岐。どっちやったかな(笑)


座禅石


金竜寺参道石段


在りし日の金竜寺本堂。この翌年(1983年)ハイカーの失火により焼失したという


分岐点。多分左


七重石塔


宝篋印塔


ピーク手前の高圧鉄塔


太閤道最高所三角点の表示。“太閤山”と書いてあったがこんな山は無い筈


三角点にカメラを置いてセルフタイマーで撮った記念写真


尾根道から三川合流地点を望見。右山塊は男山、左は天王山付近


若山神社


(承前)この境内をお借りして1982年春のカブスカウト隊お別れハイクのセレモニーをした。


(承前)境内梅花馥郁


(承前)偶々宮司さんが当地区スカウトの役員だったので快諾いただき、ハイク当日はスカウトたちにお話をしてもらった。


(承前)参道石段。灯籠には「西八王子」社の銘。明治初年に現社名に改められたという


JR跨線橋から俯瞰。前方の森は桜井駅跡。2008年ここに新しく「島本駅」ができた


国指定史跡「桜井駅跡」表示板。♪青葉茂れる櫻井の・・♪


桜井駅跡のそばを西国街道が通る

この下見は地図に写真を付けてリーダー会議に提出し、よくわかると好評を博した。後年Glee34年歩こう会発足第1回例会で歩くことになったが、前夜深爪してドタキャン。メンバーに地図をファックスする羽目となった。(→こちら)  神社参拝で締めた前者に比べ、後者はサントリー蒸留所で利き酒で締めるという“オトナ”のハイキングだった。