東海道が境内を横切るお社  2024年5月25日

♣ 独 行 “田村神社から川田神社へ” ♣

社殿のインパクトと一風変わった名前では 月初に訪れた油日神社に一歩譲るとしても、その歴史的な由緒ではこちらの方が何歩か上ではないか。甲賀土山に坐す田村神社はそういう存在感のあるお社である。おまけに(帰宅後調べて見つけた)神仏霊場巡拝の道第136番で(罰当たりながら)1社クリアできた。週日に出かける予定で居たが、猫の眼日和で今日土曜催行とは相成った。高槻のホーム変わり乗換も、草津での20分余待ちも何ほどのことやあらん

=JR岸辺北口/岸辺=高槻=草津=貴生川/貴生川駅=

貴生川駅に降り立つ。11:35。ここは信楽高原鉄道及び近江鉄道への乗換駅という当地交通の中心

コミュニティバスの待ち時間が30分余り。ppカードチャージで手許現金が寂しくなったので〒を探したが、川向うで断念。道標は式内飯道神社の坐す飯道山登山標識

1時間1本のコミュニティバス田村神社行きは 11:55発車。運転手にICOCAカードは使えないと聞いて慌てる。水口やら何やらデジャヴ地名をいくつか通過して終点田村神社に到着したのは 12:31

iPhoneMapを信用して脇参道から“若池”(放生池か)前の脇鳥居をくぐり神域へ。でもこれが正解だった

社叢の空き地に陽光が眩しい

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(後出する)東海道屈曲点に建つ二の鳥居。掲額は後水尾天皇宸筆と伝わる“正一位田村大明神”。近江名所図会に云 田村たむら大明神の社 村の出口に青銅の鳥居/正一位田村大明神と額あり 坂上田村丸の霊を祭る/別当あり神宮寺と云ふ台宗なり」云々

三の鳥居。向こうに拝殿

拝殿正面

拝殿前の狛犬阿形

田村たむら神社。左は本殿正面、右はその側面。嵯峨天皇の命を奉じて鈴鹿峠の悪鬼を平定した坂上田村麻呂を祀る。祭神は田村大明神と崇められる坂上田村麻呂公のほか、嵯峨天皇、倭姫命。毎年2月18日を中心に3日間行われる厄除大祭が有名らしい。因みに当社は式内社ではない。 今日のターゲットは唯一ここだけ、だったのだが、、

二の鳥居傍の“高札場跡”

ご神木の一

田村川にかかる海道橋は二の鳥居から南東に略100b

旧東海道はこの下流100bを渡っていたが大水で犠牲者が出てここに架橋することになったと伝える

土山宿高札場。海道橋を渡った神社“境外”に復元されている(橋の向こうが社叢)

橋を渡り返し、二の鳥居で左折、神社境表参道でもある街道筋を一の鳥居へ向かう

田村神社境内案内図(同社HPより拝借)

一の鳥居。社号碑の側面には“元帥伯爵 東郷平八郎謹書”とあった(2012年末に訪れた赤穂の伊和都比賣神社大鳥居の扁額もそうだった)

向かい側から一の鳥居そして社叢を望む

向かい側の道の駅は大繁盛。店名由来は俗謡♪坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る♪

道の駅で時間を潰し13:35の貴生川駅行きバスに乗る。今日の予定は既に済んだので帰るべしだったのだが、急に気が変わった。“来る途中、川田社らしき鎮守の森がバス道近くに見えた。あそこだけ寄って帰ろう。コスパも良くなるし”という甚だ不届きな理屈付けで急遽東前野で下車することとなる(13:41)

前野に坐す川田かわた神社。「式内川田神社二座 並名神大 月次新嘗」論社の一。社叢は立派なのだがそれだけ、という感じ。下記は社殿

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さあ、川田社さんには申し訳ないが見るところもなく、1時間というバス便間隔に辟易。かくなる上はR1沿いのバス道を進むしかない。歩いて乗車距離を縮めてもバス代は安くなるわけではない(均一料金)が、仕方ないではないか。東前野→新前野→市場口→市場→とBSを辿り、大野東口まで歩いたらやっとこさバスが来た!この間約2`

→大野東口=貴生川駅/貴生川=草津=高槻=岸辺/JR岸辺北口=

今日の総歩数 11,799 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら