♪春爛漫の花の色  2024年4月10日

♣ 独 行 “快晴の岸和田城散策” ♣

タイトルを「岸和田城リベンジ」にしようかと思ったが、英語では「復讐」の意味が強いというし「借りを返す」程度の“ニホンゴ的”使用ももう一つか、と思ってコロッと変えてみた

そうよ喃 「借りを返す」っていってもこの程度のことなのだ。乃公的には十余年前ハイキング同好会例会でここ岸和田城にお花見をしたことがあったのに、何らかの都合で行けなかった。それを「借り」として今まで引きずってきた、と、そういうこと。幸いなことに十余年前とは比べ物にならないほどの快晴に恵まれたのである。\(^o^)/

南海電鉄岸和田駅

和田家住宅(国の登録有形文化財)・・特掲理由は後記参照

だんじり祭りの宮入りで知られる岸城きしき神社。左上から順に二の鳥居、拝殿、拝殿前狛犬吽形、拝殿左脇の枝垂れ桜

ここから岸和田城を一周して桜の写真撮影にに専念
途中で通りかかったお姐さんにポートレート撮影をお願いする

お城の真ん前,いや 真後ろの府立岸和田高校。キレイな学校

学校の前に座す千亀利不動明王像。城の鬼門除けか。因みに岸和田城の別名は千亀利ちきり

上は隅櫓、下は大手門前

二の丸から“こなから坂”を下り、市役所の地下食堂で昼餉を済まて紀州街道に入る

こなから坂(小半坂)から紀州街道へ

岸和田市歴史的まちなみ保全地区。立派な町屋がつづく

途中にある一里塚跡(辯財天祠)と地車ダンジリ小屋

蛸地蔵の山門。碑は“護持山/朝光院/蛸地蔵天性寺”

蛸地蔵は通称で、正しくは護持山朝光院天性寺てんしょうじという由緒正しき浄土宗の寺院である。秀吉の紀州征伐にかかわる蛸地蔵伝説が残り、南海電車の駅名にもその名前がついている(後述)

掲額“蛸地蔵尊”

紀州街道に残る蛸地蔵参道の石灯篭

南海電車の蛸地蔵駅へ向かう途中の八百屋に“水ナス浅漬け”のポスターがあったので入ったら,若主人の曰く“寒くて発酵不足で売れるものが無い”と。暫し雑談した後、駅へ向かう

蛸地蔵の駅舎は大正2年にできたというから110年前。2方の壁面に極彩色のステンドグラスをはめ込んだので有名

ここから電車に乗って帰途につく予定だったが、iPhoneMapでは僅々900b、徒歩12分の行程と知って翻意
「歩こ」
お城へは岸和田駅より蛸地蔵からの方が近いことを改めて知った。「また来たよ〜」

かくして岸和田駅から往路をなぞって引き返したのだが、駅までの途中、この欄外付録に記すにはあまりにも勿体ない出来事があった。和田家住宅の傍を通って角を二つ曲がったところで、ゲヴァントでの楽友・W田さんにバッタリ出くわした。お互い久しぶりでしかも両方ともマスク姿でよく分かったものだと。。。数十分立ち話ののち別れたが、こんなことって、あるんですなァ

今日の総歩数 12,202 歩    ̄|△| ̄   ルートマップは省略