奥之院へは行けなかった  2022年6月7日

♣ 独 行 “神と仏の道を歩く・霊山寺編” ♣

ターゲットを定めて出かけたのは久しぶり。ただ少々情けないのは、2寺のつもりがここ1ヵ所だけとなり、挙句の果て 奥之院に足を延ばすことすら出来なかったこと。坂道・階段道含めてしっかり歩いたつもりなのに1万歩に遥か及ばず。左足第4指第2関節剥離骨折疑の診断からそろそろ2週間。ドクター謂「2週間経っても痛みが引かないようなら再診」の2週間内なので若干用心はしており、その影響もある。もう大丈夫と思っているが。

=阪急山田/山田=日本橋/近鉄=富雄/バス=霊山寺BS→

1時間1本の奈良交通バスに乗って富雄から4つ目・霊山寺BSで降りる。富雄川沿い。門前だと聞いていたのに堂塔の類が見えない。おまけに不思議なポールが数本樹々を圧して聳えている。目の前は桧の森橋。

あとで傍へ行ってわかったのだが、ポールはゴルフ練習場のネット用(練習場は一昨年の暮に営業終了)。お寺の入口前にはだだっ広い駐車場があって、これもゴルフ練習場華やかなりしころの産物らしい。

入山券。大人御一人様伍佰圓也。

入山してすぐ右への小径に入るとすぐバラ庭園。残念ながら盛りを過ぎていて、咲いているのは数種にとどまる。

戻って「大辯才天」の扁額のある鳥居をくぐる。これは当寺では山門の役目を果たす。仏教の「天部」の神(辯才天)を祀るからということらしい。毘沙門天を祀る信貴山朝護孫寺と事情は同じようだ。

すぐ左手に薬師湯殿。聖武天皇や光明皇后も入湯したと伝わる古い薬草風呂。

阿弥陀如来、大日如来、勢至.普賢,文殊,虚空蔵,千手観音の諸菩薩から不動明王まで八体仏霊場。

辯天堂への登り口の鳥居。ここも扁額は「大辯才天」。左手に行基像が見える。

その行基菩薩像。

登美山とみやま鼻高びこう霊山寺りょうせんじ本堂。国宝である。霊山寺真言宗大本山の寺院で本尊は薬師如来(三尊)。「鼻高」は薬草湯を開いた小野富人なる人物(小野妹子の子と寺伝に見えるが実在に疑義)が鼻高仙人と称されたのに因むとされる。

本堂階(きざはし)から前庭展望。青葉若葉がまぶしい。

本堂への石段参道。上部右手に見え隠れするのは鐘楼(重文)

この先1`で奥之院。まず「大辯才天」鳥居。下の注意書きは“通り抜け不可”。1`の山道はご遠慮申し上げ、ここから引き返す。

塔へのみちすがら。開山大師堂。古くは行基菩薩、江戸時代以降弘法大師を本尊とする。という。

三重塔(重文)。左は行者堂。塔はお寺の建物で一番目立つものなのに、バス道路から全く見えない。

腰ぬけ地蔵。ゴルフ練習場跡の向こうにポツンと。別に意気地がないわけでも臆病なのでもない。地蔵像の胴体部分がすっぽり切り取られたように“抜け”落ちているから、らしい。腰の病に霊験あらたかということで、暫し立ち止まって手を合わせた。

山門鳥居まで戻ったが帰りのバスまで小一時間ある。そのつもりはなかったのだがついついおいしそうな蕎麦の写真につられてこういうことになる。いや、美味しかったデス。

昼餉のひとときを楽しんで、出たら目の前にこの像。手にぶら下げた襞にこうあった「お釈迦さまのお弟子さん/チューラ・パンタカ(周利槃特)」

鳥居真正面に架かる橋は霊山寺橋。ここから見ても鳥居以外の堂塔は全く見えない。

違和感というのではないが、いろいろあってまごつきました。まず正面の他、辯天堂への参道入口、奥之院への入口には鳥居があるのは“辯才天”がらみで当然。しかし本堂への参道入口には、ない。本堂は薬草湯の関連で「薬師如来」が本尊なのでないのだろうか。知らんけど。。。その他当寺立ち上げにかかわったとされるのが弘法大師、小野富人、行基菩薩といろいろおありで、メインがよく分からない。そう考えると当寺は一本化されてなくて色んな信仰媒体が混然一体になっているのでは?そういう感を深うしました。バラ庭園もそうだし、営業をやめたとはいえゴルフ練習場の存在などその最たるもの。

→霊山寺BS=富雄/近鉄=鶴橋/JR=大阪=岸辺/JR岸辺北口=

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