今日の“二ヶ所御坊”で完拝  2022年5月10日

♣ 独 行 “大和五ヶ所御坊をゆくMkU” ♣

今日の冒頭に蛇足を一つ ㅤ地名「御所」は「ごしょ」ではなく「ごせ」と読んで下さい。

大和五ヶ所御坊を改めて紹介:田原本御坊浄照寺、今井御坊稱念寺、畝傍御坊信光寺、御所御坊圓照寺、高田御坊専立寺(乃公参詣順)=今日はその後者2寺を訪うた。

=千里中央=動物園前/新今宮=王寺(和歌山線)=玉手→

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王寺駅から28分で玉手駅に着き、吉野口,五条方面へ向かう列車を見送る。ここは無人駅。降りるのは2度めか。

駅のたたずまいは変わらないが、ICカード読取機が設置されていた。以前はこれがなくてICカードの後処理に難儀したことを思い出す。因みに左上は京奈和自動車道(E24)

御所市茅原の在から金剛葛城の大展望。葛城山は今日あたりツツジ目当ての登山者が多いに違いない。

今日の最初のターゲット・圓照寺。山号は東向山。浄土真宗本願寺派の寺院。御所御坊ともいい、大和五ヶ所御坊の一つ。

鐘楼

太鼓楼

境内に何故か柿の木。説明板曰く“御所柿の歴史/昔大和御所より出たる柿/風味に富み最上とされる/皇室,将軍にも献上され徳川中世に広く栽培が進み諸国に移植された/現在数ある種の原種とされる”云々。そうか、乃公恥ずかしながら不知だったが、場所的には「ごせ柿」一般的には「ごしょ柿」として有名なものらしい。

御所柿で思い出した。楽友ST君のお宅がここ御所にあり、学生時代ご両親はじめ一家挙げてのお世話になった。その在所地名に“柿”が付いていたのだ。
ㅤ次の高田のお寺はJR駅からが一番近い。JR御所駅から2駅だが便は1時間1本。次の便まで1時間弱。時間を潰すのに彼の実家跡付近を歩いてみよう。

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県内最古といわれる安位寺の町石。“六町/正安三年四月八日”(正安三年=1301)。

葛城川にかかるおおはし(大橋)。遠く金剛葛城の山々。

上左の写真付近で とある家から出てきたおじさんに「柿」の付いた地名を聞いたところ“判らない”と言いながら数分後に自転車で追っかけてきて「多分“柿ヶ坪”でしょう。そこの小学校の向こうに中学校がある。その近くが昔柿ヶ坪と言っていた」と教えてくれた。思わず最敬礼してしまった。そう、柿ヶ坪地名はなくなっている。
ㅤで、これ↑が御所中学校。ST君実家はもう無いし、探す当てもない。ここに来た証明に写真を撮ってST君メアドに送った。(帰りの電車内でスマホが鳴った。車中である旨告げて後刻ということに。却って迷惑をかけてしまった)

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御所小学校わきの堤防上にあった柿本人麻呂の歌碑「春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞ思ふ」

★小学校裏門前・堤防下の白い物件にこう書いてあった“柿ヶ坪自治会倉庫”。痕跡はあった。

御所市アザレアホール。図書館併設。市役所の北側・葛城川沿いにある。折しも季節の草花が咲いていた。

近鉄御所駅前でパンを買い、JR駅ホームで午餐。折しも葛城山観躑躅団体さんと一緒になる。

高田駅から約500bだったが、シャッターの目立つ天神橋商店街を歩いていて高田小学校の方へ遠回り。宅地化している裏側から表門へ入る羽目に。これは表門と太鼓楼。

今日2つ目で本シリーズ最終ターゲット・専立(せんりゅう)寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は如意山、本尊は阿弥陀如来立像。五ヶ所御坊で唯一“本堂として建てられた本堂”のないお寺。写真上は元対面所で今本堂として使われている。天保9年(1838)火災で焼失したままらしい。

表門。左右に連なる築地塀・並ぶ太鼓楼とともに市の指定文化財。手前に寺内町の面影を残す石橋があり、右手に野口雨情の歌碑も見られるが、寺号標示の類はなく、向こう小学校まで(元本堂があった筈なのに)ツツ抜けの道路と化している。

「名前はまだない」いやあるのだろうが判らない、現在の“正式”山門。寺号標示板があり、正面が本堂。すぐ左上に聳えて見え隠れしているのが太鼓楼。

元寺内町の中心・御坊の大屋根に見参したくこのシリーズをあるいてきたが、どん詰まりで瓦解してしまい、やや締まりのない“完拝”宣言とは相成った。といってもこれはお寺さんに申し上げる筋合いのものではなく、あくまで乃公の独り言に過ぎないので、関連の方々のご寛恕を切に乞い願う次第。

=玉手駅→圓照寺→(葛城川沿い:御所小学校・御所中学校・御所市役所)→近鉄御所駅→JR御所駅=高田駅→専立寺→近鉄大和高田駅=鶴橋=大阪=岸辺/JR岸辺北口=

今日の総歩数 11,664 歩    ̄|△| ̄   ルートマップ省略