北摂の春日祭祀は奥深い  2022年2月26日

♣ 独 行 “氷室から土室そして西河原” ♣

冒頭に書くのもなんだが、帰宅後調べたところ高槻市内には八幡大神宮が4社もあって、そのうち3社が春日の神を祀っていること発見。Wikipediaの「現在では淀川北岸のほとんどの神社が春日神を祀っている」というのはオーバーとしても、それに近い実態を改めて確認した次第。。それにしてもこのタイトル、固いなぁ。。

高槻市氷室ひむろ町は記紀に闘鶏野つげの氷室の名が残る故地。名神を跨ぐ陸橋の参道が見える。

陸橋参道越しに拝殿。

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陸橋から氷室の町並み、そして遠く生駒連山(onmouse)を南望する。

闘鶏野神社(つげのじんじゃ) 祭神は 天照大御神、應神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇、額田大中彦皇子 そして天兒屋根命。創建年代不詳だがもとは「八幡大神宮」と称していたと伝え、社殿裏の旧灯篭の刻字に痕跡を残す。写真左から社頭(名神南側)鳥居、拝殿、本殿覆屋。いずれも名神高速工事で建て替えられたと思しくキンキラキンである。

参道陸橋から天王山遠望。名神が出来る前は陸橋でなくてこの辺は坂道の参道だったのだろう。

闘鶏野神社本殿裏に並ぶ石造物。名神工事で新装改築した際これらをまとめてここに並べたものか。因みに灯篭には「八幡宮御寶前」の刻がある。

当初は同じ道(市営バス岡本西BS=JR富田=岸辺)を帰る心算だった。だが境内右に「北側山手に闘鶏山古墳がある」そして少し向うに「八幡大神宮」が坐すという掲示を見つけた。今のお社の旧社名を名乗るお社が近くにあるとはドーユーコト?その好奇心だけで当初予定は敢え無く変更の憂き目に。そうでなくても歩き過ぎはヤバいというのに。

名神沿いの坂道を南西方向に下ること200bというところ。ここも名神工事で新装改築されたと思しい立派な(新しい)社殿。

八幡大神宮(はちまんだいじんぐう) 祭神は闘鶏野神社と同じく「天照大御神、応神天皇、天兒屋根命 等」と掲示されている。乃公調べた限りでは当社と闘鶏野神社(旧名が同じ)とのつながりはわからなかった。

(ここは裏でなく社前にあった)古い狛犬は三層の台石を下ろされて地面直に。新しい狛犬が旧い台石上に乗っかってあたりを睥睨していた。因みに古い方の吽形像には瘤状の角があるのに 新しい方の頭上はのっぺらぼうだった。

東芝跡地にNTTの巨大な建物。この南側は追手門のキャンパス。左手前に「太田茶臼山古墳/西国街道」の道標。因みに「太田東芝町」の地名は未だ残存する。

太田不動尊付近の西国街道点景。

安威川を渡ったところで名神をくぐらなければ西国街道は辿れないのに、ズルをしたばっかりに道を失い、茨木亀岡線南下途中から東へ取って返して、三島橋で安威川を渡り返す。(こんなことするから腰に来て、歩き過ぎだと言われるのだ)

安威川にかかる三島橋より北望。左に遠く竜王山。その右手は阿武山。頂上近くに京大の阿武山地震観測所の白い塔が見える。右側手前の木立は 安威川旧流路を利用した西河原公園の一角。

もうどう言いようもないほどの快晴。雲一つない。それはよかったし、腰も悲鳴を上げている様子がないので、ま、よかったことにしよう。JR総持寺駅から岸辺経由で帰途に就く。それにしても茨木からのバスが半減して、年金生活者の交通費支出の増えたこと…。

今日の総歩数 12,466 歩    ̄|△| ̄   ルートマップ省略