京阪沿線に落穂を拾う  2021年12月6日

♣ 独 行 “山城路の式内社を巡る” ♣

山城路の式内社を集中的に巡ったのは何年前だったか。その折歩きルートが効率的に組めないお社は二の次にしていたのだが、この時節あまり無理もできない。電車やバスもできるだけ利用して、と考えたのが今日のルート。天気はもう一つだったがザックに傘を忍ばせての出発。いざ。

=JR岸辺北口/岸辺=京都=東福寺/(京阪)=鳥羽街道駅→田中神社→鳥羽街道駅

鳥羽街道駅は南行するときは難儀な駅だ。相対ホームで改札口が京都行きホームにしかない。降りるとき地下道をアップダウン。乗るときも逆コースをアップダウン。エエ運動になるとは悔し紛れのセリフ。序でだが、京阪とJRの2つの踏切が並んでいるのも洛南ならではの風景かも。〔画像click→正常化〕

鳥居のそばの社名標柱「稲荷神社境外摂社/田中神社」。祭神は田中大神。創建時期不明、現社殿造営正保2年(1645)。式内・飛鳥田神社の論社の一。
ㅤただ「当社に関する資料伝承は伏見稲荷社のそれとの混合交錯」がみられるとして「飛鳥田神社=田中神社」とすることに疑問符を付す論が多い。でも“狐の置物”は ありました。

境内の満天星躑躅。

ダブル踏切。

→鳥羽街道駅(京阪)=淀駅→

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淀駅ホーム下に昭和3年銘の道標。
ㅤ正面上部には「東南 淀川渡場みち、左側は「弥陀次郎開基/十一面観世音尊像 /一口いもあらい村/安養寺/是南十五丁」

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再訪・式内 與杼よど神社。祭神は豊玉姫命、高皇産霊神、速秋津姫命。応和年間(961〜964)肥前国より勧請して水垂の地に創建されたと伝える。明治中期淀川改修工事のため現地に遷座。旧地はいま御旅所(今日の最終ターゲット)となっている。写真は左から社頭鳥居、拝殿(国の重文)、本殿。

豪商淀屋が寄進した高灯籠。

境内稲葉神社裏から淀城址越しに京阪の高架望見。

左は淀本町の駅前商店街。しっかりさびれて●●●●いる。右上が京阪電車淀駅。

府道204号線(奥海印寺納所線)は ここ納所のうその交差から左手の宮前橋へ向かって上がってゆき、ほぼ西行する。

桂川に架かる宮前橋の袂。右遥か遠く雲のかかるは愛宕山。

橋上から下流望見。三川合流点までここから大凡5`近くある。

行く手遠望。左やや山影の濃いのが天王山。右手は(多分)ポンポン山連山。

淀駅方面を振り返るとクレーン林立。シーズン終了とともに競馬場(周辺)の改良工事でもあるのか。

橋を渡って左が淀大下津町(右が水垂町)だが僅々数十軒の新興住宅のなかを彷徨。左手桂川堤防との間にもう一つ堤防らしきものがあってその間は草地。遊水池跡らしきものも見かけられ、三川のせめぎ合いの地形のなか、素人による與杼神社旧社地特定は困難とみた。

大下津町々内をウロウロし、ほぼ端っこに見つけた小祠。何の標示もないが、Mapによれば「與杼神社御旅所」でそばに小公園があるところから、ここを「與杼神社旧社地につくられた御旅所」と勝手に決定。場所は“京都市伏見区淀大下津町”。これで今日の最終ターゲット確認完了。

洛西浄化センター前では街路樹が軒並み強伐されていた。ここから長岡京市。

新幹線と名神高速をくぐると小畑川を渡る落合橋。この300b上流の犬川との合流点が「落合」なのだが。

中山修一記念館。以前AZハイキング帰途、個人的に立ち寄ったことがある。H社時代工場敷地の調査でお世話になった方。

以前AZハイキングの打上を兼ねて工場見学したことがあったSUNTORYのビール工場。

京都縦貫道高架下。「調子八角」は西国街道と丹波街道との分岐点にあたる。

阪急電車西山天王山駅は上記のそば。

かくして今日のささやかな落穂ひろい巡礼は完了。

→與杼神社→宮前橋→與杼神社御旅所→西山天王山駅(阪急)=茨木市駅(阪急バス)=JR茨木=

今日の総歩数 10,971 歩    ̄|△| ̄   ルートマップはこちら