最短の寺社巡りは53分間  2021年9月25日

♣ 独 行 “高山右近の郷を歩く” ♣

“高山右近の郷を歩く”と麗々しく謳ったが、何々、「生誕の地」碑の写真を撮っただけ、あとは寺社巡りで、“マリアの墓”にも詣でず仕舞い。大体がヤネェ、高山のことを碌に調べもしないで出かけたのが間違いであった。おまけにバス便の時間や歩くことなど念頭になかった・・・いやいや、取敢えず見て頂こう。

阪急バス高山BS下車。13:07。? 1時間07分あると思っていたがカン違い。53分しかないぞ、急げ!

阿多古神社近くにお寺・西方寺(山号は七宝山、真宗大谷派の寺院)。本堂前にハイキング姿の女性数人が休憩していた。

GoogleMapから推すとここが阿多古神社。おや、小祠がいくつもある...(バス停から350b)

まず一番手前が“八幡神社”

右後ろに“稲荷神社”

一番大きいのが“観音堂”だって...“薬師如来/十一面観音”とあるので間違いない。見事に神仏混淆。

一番奥に坐すのが今日のターゲットの一つ阿多古あたご神社”

阿多古さんと観音堂をバックに“今日の一枚”

見落とすところだった。社地から一段下がった場所にこの碑「✞高山右近生誕之地」

高山ジュスト重友(通称右近)
1552年生/1563年受洗/1615年比国配流/同年没//2017年列福

バス停近くにあった「高山高札場跡」。徳川時代の法令周知は高札場掲示によってなされたが、明治3年廃止された。という。
ㅤ因みに右記の高札公布は慶応4年3月だが、半年後明治に改元された。
ㅤなお、この中には高札の他五輪塔、地蔵尊、小石仏などが祀られ、力石なども置いてあった。

定(さだめ)
   一、切支丹宗門之儀者(キリシタン宗門の儀は)
     是迄御制禁之通(これまで御制禁のとおり)
     固く可相守事(固くあい守るべきこと)
   一、邪宗門之儀者(邪宗門の儀は)
     固く禁止候事(固く禁止そうろうのこと)
    慶応四年三月
太政官(だじょうかん)
   右之通(みぎのとおり)
   被仰出候間(おおせだされそうろうあいだ)
   堅可相守者也(堅くあい守るべきものなり)
              
日向(能勢日向守)

バス通りに出てきて北望。右向こう山沿いに“駆け上がる”のは、かの「高山の棚田」。手前中央に住吉神社の社叢を望む。

住吉っさん分かれの近くにもう一つのお寺・光明寺(山号は紫雲山、真宗本願寺派の寺院)

高山地区の鎮守・住吉神社。

バス道=茨木能勢線(府道R4)三叉路の西北西約20`向こうに見える鋭鋒は、かの 大船山 (EL653b)。この道350b向こうに“マリアの墓”があるとのことだったが、行く時間が微妙で涙を呑んで見送ることに。

「右近の郷」は町立のコミュニティーセンターで、廃校になった小学校をリニューアルオープンしたものと聞く。駐車スペースに車が何台かみえたので、何らかの活動に利用中であることがうかがえた。背後は石堂ヶ岡ピーク(EL680b)でゴルフ場がある(らしい)。因みにバス停付近はEL約440b。

千里中央からの直通バス便が土日往復とも2便しかなく、帰りを1便遅らせると2時間がとこ...北は止々呂美の谷筋へ下山する手もあったが(意気地なしが)ヤメ。高山口BSからここへ、そして更に明ヶ田尾山(EL620b)へ登って五月山へ縦走した1984年当時の元気・活力はいったいどこへ失せたのだ( ;∀;)。歩く気があったら便数の多い北摂霊園便で霊園事務所前BSで降り下り道徒歩1.6`で来れる。。ウム、その手があったか。すべて後の祭り。再( ;∀;)

=千里中央=高山BS→西方寺→阿多古神社→高山右近生誕之地碑→高山高札場跡→光明寺→住吉神社→高山BS=千里中央=

今日の総歩数 4,745 歩    ̄|△| ̄   ルートマップ省略